道綽禅師(どうしゃくぜんじ)とは?

道綽禅師(562-645)は中国の方で、西河汶水の玄忠寺におられましたので、西河禅師ともいわれます。
道綽禅師は、浄土宗でも五祖のうちの2番目にあげられ、浄土真宗では七高僧の4番目にあげられて、多くの人から尊敬されている高僧です。
七高僧の5番目に続く善導大師の直接の先生でもあります。
一体どんな方で、どんなことを教えられたのでしょうか?

道綽禅師の生涯

七高僧の4番目の道綽禅師は、 562年、七高僧の3番目の曇鸞大師が亡くなってから20年後の中国に生まれられました。
当時の中国は、北斉、北周、陳の3つの国に分かれ、争いの絶えない戦乱の時代でした。
道綽禅師は3つの国の中では北斉、今の山西省にあたる并州受陽県に庶民の子供として生を受けました。

道綽禅師が13歳になった時、隣国の北周の武帝が仏教の大弾圧を始めます。
何十万人もの僧侶は財産を没収された上で還俗させられました。
そんな逆風のまっただ中の575年、道綽禅師は14歳で出家されます。
ところが、3年後の578年、道綽禅師が仏道修行に励まれていた北斉に、北周の大軍が押し寄せてきて、ついに攻め滅ぼされてしまいます。
そのため北斉の領土だった地域でも、北周の武帝は仏教の大弾圧を始め、道綽禅師も還俗させられてしまいました。
北宗の大臣が皇帝を譲り受け、581年、随を建国すると、仏教が復興され、20歳になっていた道綽禅師は、また仏道を歩むことができるようになりました。
すべての人が救われると説かれた『涅槃経』に基づく涅槃宗に入り、学問を究めます。
その間、『涅槃経』40巻の講義を24回行ったといわれます。

30歳頃には慧贊禅師(えさんぜんじ)について禅定などの修行に打ち込みます。
こうして道綽禅師の名声は高まっていきますが、どれだけ修行に励んでも、仏教の目的である後生の一大事はどうしても解決ができません。
それどころか、戒律を守り、座禅などの自力の修行に励めば励むほど、煩悩の激しさが知らされてきます。
煩悩によってを造るその激しさを「もし悪を造ることを論ずれば何ぞ暴風駛雨に異ならん」といわれています。
台風やどしゃぶりの雨のように悪ばかり造り、どうにもならない自分の心に泣かれたのです。

曇鸞大師・善導大師との出会い

後生の一大事に悩み抜かれた道綽禅師は、慧贊禅師が亡くなった後、609年にたまたま石壁の玄忠寺(げんちゅうじ)を訪ねます。
玄忠寺は七高僧の3番目の曇鸞大師が活躍された寺で、曇鸞大師がお亡くなりになってから67年後のことでした。
そこで曇鸞大師の碑文にふれ、智慧も徳も到底及ばない曇鸞大師のような高僧でも、阿弥陀如来の本願によって苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福になられたと知られます。
曇鸞大師のような高徳な方でさえそうですから、ましてや自分のような智慧の浅い、徳もない者が、どうして自力の修行でさとりを獲られようかと、自力を捨てて浄土他力の仏教に帰依されたのです。
道綽禅師48歳の時でした。

それ以来、道綽禅師は玄忠寺に滞在して曇鸞大師の『浄土論註』と『観無量寿経』に取り組まれ、やがて阿弥陀如来の救いにあわれます。
それから『観無量寿経』を講義すること200回、『観無量寿経』を解説された『安楽集』という著作を著します。
81歳の時には、やがて七高僧の5番目となる、当時29歳の善導大師と出会い、真実の仏教を伝えます。
こうして、仏教の大弾圧や、度重なる戦乱の中、激動の時代を生き抜かれた道綽禅師は、真実の仏教を明らかにされ、84歳で浄土往生の本懐を遂げられたのでした。

では、道綽禅師のなされた仏教史上燦然と輝く業績とはどんなことだったのでしょうか?

道綽禅師の教え

安楽集』に記された道綽禅師の教えの最も重要なところを、親鸞聖人は、『正信偈』にこう教えられています。

道綽は聖道の証し難きことを決し、唯浄土の通入す可きことを明す。
正信偈

道綽」というのは道綽禅師のことです。
聖道」というのは、聖道門の仏教です。
道綽禅師は、仏教に2つあるといわれ、1つ目は聖道2つ目は浄土と教えられています。
聖道門というのは、出家をして戒律を守り、修行によって煩悩をなくして仏のさとりを目指す教えです。
宗派でいえば、華厳宗法相宗天台宗真言宗禅宗などです。
聖道の証し難い」というのは、さとりを開くのが難しいということです。
これは「難しい」という字ですが、次に「決す」とありますので、難しいけど、頑張ればできないこともない、ということではなく、できないということです。
聖道仏教では、山にこもったりして修行していますが、どんなに頑張っても助からないと断言されたのです。

何が助からないのかというと、後生の一大事です。
仏教の目的は、借金や病気、人間関係のトラブルなどのこの世、どう生きるかの問題を助けるのではありません。
後生の一大事を解決して、この世から本当の幸せになるのが目的です。
その後生の一大事の解決は、聖道仏教ではできないと断言されたのです。
こんな断言は余程強い信念がなければできません。
どうしてこんな断言ができたのでしょうか?

道綽禅師の時代

当時、中国では末法(まっぽう)の世に入ったと信じられていました。
末法というのは、お釈迦さまが亡くなられた後の時代を3つに分けられたものです。
その期間については、道綽禅師が『安楽集』に教えられていることを、親鸞聖人は『教行信証』にこう引用されています。

釈迦牟尼仏一代正法五百年、像法一千年、末法一万年には、衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せん。(教行信証)

お釈迦さまが亡くなられた後の500年間を「正法(しょうぼう)」
正法が終わって千年間を「像法(ぞうぼう)」、
像法が終わって1万年間を「末法(まっぽう)」といいます。
その後は「法滅(ほうめつ)」といって、お経はすべて消滅してしまいます。

この3つの時代では、正法には、まだお釈迦さまの教えも、行ずる人も、さとりを開く人もあります。
ところが像法になると、教えと行ずる人はありますが、さとりを開く人はなくなります。
末法になると、教えはありますが、行ずる人もさとりを開く人もなくなるとお釈迦さまが色々なお経に説かれています。
たとえば大集経にはこうあると道綽禅師は、『安楽集』に教えられています。

我が末法の時の中の億億の衆生、行を起し道を修せんに、未だ一人も得る者あらず
(大集月蔵経)

末法の時代の人は、どんなに修行に励んでも、一人もさとりを開くことはできない、ということです。

これらの時代とその特徴を表にするとこうなります。

時代 期間
正法 釈迦滅後5百年
像法 正法後1千年
末法 像法後1万年
法滅 末法後永遠

道綽禅師は、自ら聖道仏教の修行に打ち込まれて、到底助からないことを体験され、しかもお釈迦さまがこのように説かれていますので、聖道仏教では助からないと、スパッと言い切られているのです。

現代も末法ですので、聖道仏教で後生の一大事を解決することはできません
ではどうすればいいのでしょうか?

すべての人が救われる唯一の道

親鸞聖人が『正信偈』に、「唯浄土の通入す可きことを明す」と教えられているように、道綽禅師は『安楽集』にこう教えられています。

当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、唯浄土の一門有りて通入すべき路なり。
(安楽集)

道綽禅師の当時も現代も末法ですから五濁といわれる悪い世の中です。
修行をする人も、さとる人もありません。
ところが、そんな現代のような末法の世の中でも、次に「」とありますから、たった一つだけ、すべての人が救われる道のあることを明らかにされています。
通入」というのは、極楽浄土へ往けるということで、救われるということです。
ですから道綽禅師は、仏教ならどんな宗派でも、方法が違うだけで、究極的には同じ仏のさとりがえられるとは言っておられません。
浄土仏教だけが唯一の救われる道だと『安楽集』に明らかにされているのです。
そして浄土仏教とは、阿弥陀如来の本願によって生きている時に苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福になれる教えです。

親鸞聖人も天台宗で聖道の修行をしておられましたので、道綽禅師がこのように明らかに教えてくだされたなればこそ、阿弥陀如来の本願に、今、救われることができたと喜ばれ、道綽禅師を七高僧の4番目に挙げて尊敬しておられるのです。

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