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「浄土真宗」入門講座

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七高僧とは?

七高僧とは、親鸞聖人が大変尊敬されている、インド、中国、日本の7人の高僧方です。
親鸞聖人は、これらの方がおられなければ、親鸞は救われなかったと、大変なご恩を感じられ、主著の『教行信証』には、七高僧のお言葉をたくさん引用されています。
一体どんな方々なのでしょうか?

七高僧とは

七高僧とは、親鸞聖人が大変尊敬されている、インド、中国、日本の7人の高僧方です。
その七高僧に、親鸞聖人がどんなご恩があるのかを、主著の『教行信証』にこう記されています。

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、
西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。
(教行信証総序)

愚禿釈の親鸞」とは親鸞聖人のことです。
愚かで馬鹿な親鸞といわれています。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや」とは、親鸞聖人は、29歳の時に阿弥陀如来に絶対の幸福に救いとられ、
嬉しいなー、親鸞、喜ばずにおれない」と言われているのです。
これが喜ばずにおれるか、愚かで馬鹿な親鸞が、どうしてこんな幸せな身になれたのか、といわれています。
次の「西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈」が、釈迦はじめ七高僧の教えです。
西蕃・月氏」とはインドのことですから、「西蕃・月氏の聖典」とは、お釈迦さまお経と、龍樹菩薩天親菩薩の教えです。
東夏・日域」とは中国、日本のことですから、「東夏・日域の師釈」とは、中国の曇鸞大師道綽禅師善導大師、日本の源信僧都法然上人のことです。

遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」とは、あうことのできないことにあえました。
絶対聞けないことが聞けました。本当に有り難うございました。
どんなにすごい阿弥陀如来の本願があっても、正しく伝えてくだされる方がなければ、この身に救われることはありませんでした。
私のような者をここまで導いて下されたご恩は、どんなに喜び過ぎても喜び過ぎることはありません。
本当に有り難うございました、ということです。

このように、親鸞聖人が大変なご恩を感じておられる七高僧をまとめると以下のようになります。

  1. 龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)
  2. 天親菩薩(てんじんぼさつ)
  3. 曇鸞大師(どんらんだいし)
  4. 道綽禅師(どうしゃくぜんじ)
  5. 善導大師(ぜんどうだいし)
  6. 源信僧都(げんしんそうず)
  7. 法然上人(ほうねんしょうにん)

阿弥陀如来の本願を正しく伝えられる方は、ほとんどないので、インド、中国、日本には何十万、何百万という僧侶があったかしれませんが、親鸞聖人が選ばれたのは、インドで2人、中国で3人、日本で2人の、合計たったの7人です。
時間的にもお釈迦さまから親鸞聖人までは1500年以上ありますが、その中のわずか7人ですので、大変な方々が七高僧なのです。

では、親鸞聖人は七高僧にどれくらいご恩を感じておられるのでしょうか。

親鸞聖人の七高僧へのお気持ち

親鸞聖人は、七高僧への感謝の気持ちを『恩徳讃』にはこういわれています。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
(正像末和讃)

如来大悲の恩徳」とは、阿弥陀如来のご恩のことです。
身を粉にしても報ずべし」とは、この幸せの身に救ってくだされた阿弥陀如来のご恩は身を粉にしても報いずにおれない、といわれています。

身を粉にしたら死んでしまいますから、死んでも報わずにおれないということです。
どんなに大切にしても、50年か100年の肉体の命を助けてもらってさえも、喜ばずにおれないのです。
ましてや未来永遠の後生の一大事を助けてくだされたのですから、身を粉にしても足らないという気持ちが起きてくるのです。
阿弥陀如来の救いにあうと、必ず恩徳讃の気持ちが起きてきます。

しかしそれだけではありません。
師主知識」とは、阿弥陀如来の本願を教えてくだされた先生方のことです。
阿弥陀如来の本願を伝えてくだされた七高僧のご恩も、骨を砕いても感謝せずにおれない、といわれています。
骨を砕いたら死んでしまいますので、死んでも足りないということです。
その阿弥陀如来の本願を初めに教えられたのは、お釈迦さまです。
ですからお釈迦さまのことは忘れることができません。
ところがお釈迦さまは2600年前のインドの方です。
インドから日本の親鸞聖人の所まで阿弥陀如来の本願を正しく伝えてくだされた方を親鸞聖人は、7人選ばれて、
この方々のご恩に骨を砕いても報いなければならない
と、七高僧を挙げておられるのです。

阿弥陀仏に生きている時に救われた人は、こういう気持ちが必ず起きてくるのです。

七高僧のご恩

阿弥陀如来に救われた人の心をたとえますと、蛇口をひねるときれいな水がたくさん出てくるのは、もとをたどればまず貯水池があるからです。
貯水池に満々と水がたたえられていなければ、私たちは水の恩恵を受けることはできません。
貯水池にたとえたのが阿弥陀如来のご恩です。

では貯水池さえあれば私たちは家でどれだけでも水が飲めるのかというと、そういうわけにはいきません。
貯水池から、長い長い水道管が家までつながっていなければなりません。
この水道管にあたるのが、お釈迦さまであり、七高僧です。
この水道管がどこかで切れていたら、その後に水は届きません。
お釈迦さま、龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都、法然上人のどなたか一人でもおられなければ、そこでちょうど水道管が切れたようなものです。
2600年前、お釈迦さまが阿弥陀如来の本願を説かれてから、親鸞聖人のもとまで届けてくだされた方々です。
その七高僧のご恩をたとえるならば、貯水池に満々とたたえられた水を、水道管がどこも破裂せずに私の家まで届けてくだされた、その水道管のおかげを親鸞聖人は喜ばれているのです。

ですから親鸞聖人は、主著の『教行信証』にも、『高僧和讃』にも、浄土真宗の勤行で拝読する『正信偈』にも、七人の方の名前を挙げて、その方々のどこがすばらしかったか教えられています。
親鸞聖人は、
これらの方々の導きによって救われた。七高僧の教えに間違いはなかった
とハッキリ知らされ、ぜひ一人でも多くの方に知って頂きたいと『正信偈』の最後はこう結ばれています。

唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)
(正信偈)

これは「唯この高僧の説を信ずべし」と読みます。
この高僧」とは七高僧のことです。
七高僧の教えを信じて進みなさい、と『正信偈』を終わられているのです。
それだけ親鸞聖人は、この七高僧の教え以外、皆さんに教えたことがないんだといわれているのです。

親鸞聖人の教え

ですから親鸞聖人は、常々こう言われていました。

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、
如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。
御文章

ここでも親鸞聖人は、「親鸞」とご自分のお名前を出しておられますが、
これは他の人のことではないよ、この親鸞はこうだ
といわれています。
親鸞聖人は、ご自分の名前を出されるのは、非常に重大なことをいわれる時です。

更に珍しき法をひろめず」とは、今まで誰も説かなかった、新しい教えを伝えているのではありません
ということです。
ここは科学や学問などとは違います。
すでに分かっていたことばかり言っていたら、科学も学問も進歩はありません。
すでに発表されていることを論文に書いたら、学者生命が終わります。 必ず、今まで誰も言っていない、珍しいことを言わないといけないのが科学や学問の世界です。
世間でも、ありふれたものは売れません。
レアなものほど高く売れます。

ところが親鸞聖人ははじめから
私はレアな教えは説きません
と逆のことを言われています。
それで浄土真宗を明らかにされたのです。

では親鸞聖人は浄土真宗には何を教えられているのかというと次に、
如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり
といわれています。

如来の教法」とは、釈迦如来の教えのことで、仏教です。
お釈迦さまから、七高僧と伝えられた仏教を、私も間違いないと知らされ、皆さんにもお伝えしているだけなんだ、ということです。
実際、親鸞聖人の教えは主著の『教行信証』にすべて書かれていますが、85%はお釈迦さまや七高僧の書かれたものの引用です。
七高僧の書かれたものを七祖聖教といいますが、七高僧の主著をまとめると以下になります。

  1. 龍樹菩薩……十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)
  2. 天親菩薩……浄土論(じょうどろん)
  3. 曇鸞大師……浄土論註(じょうどろんちゅう)
  4. 道綽禅師……安楽集(あんらくしゅう)
  5. 善導大師……観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)
  6. 源信僧都……往生要集(おうじょうようしゅう)
  7. 法然上人……選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)
お釈迦さまは、お経にこんなこと説かれている。
龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』にこんなこと書かれている。
天親菩薩は『浄土論』にこんなこと書かれている。
曇鸞大師は『浄土論註』にこんなこと書かれている。
道綽禅師は『安楽集』にこんなこと書かれている。
善導大師は『観無量寿経疏』にこんなこと書かれている。
源信僧都は『往生要集』にこんなこと書かれている。
法然上人は『選択本願念仏集』にこんなこと書かれている。
こういう引用ばかりで書かれたのが親鸞聖人の主著の『教行信証』です。
ほとんどが釈迦、七高僧のお言葉ですから、「更に親鸞珍らしき法をも弘めず」と言われている通りです。
ですから七高僧も、親鸞聖人も、時を超え、時代を超えて一貫して同じことを教えられているのです。

七高僧の教えられたこと

では七高僧は何を教えられたのでしょうか。
それは、お釈迦さまの正しい教えです。
親鸞聖人は、『正信偈』にこう言われています。

印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)
中夏日域之高僧(ちゅうかじちいきしこうそう)
顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせいしょうい)
(正信偈)

これは「印度西天の論家、中夏・日域の高僧、大聖興世の正意をあらわす」と読みます。
印度西天の論家」とは、インドの龍樹菩薩と天親菩薩のことです。
中夏・日域の高僧」とは、中国、日本の高僧方のことで、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都、法然上人のことです。
ですから「印度西天の論家、中夏・日域の高僧」とは七高僧のことです。
七高僧は、大聖興世の正意をあらわされたと言われています。
大聖」とはお釈迦さまのことです。お釈迦さまがこの世へ何を教えに来られたのかを明らかにしてくだされた。
正しいお釈迦さまの教えを七高僧が明らかにしてくだされたから、親鸞助かったんだ、ということです。

お釈迦さまの教えは、三世十方を貫く真理です。
三世十方を貫くとは、三世を貫き、十方あまねくもの、ということです。

三世を貫くとは、いつでも変わらないということです。
何千年前の人にも、現代人にも、何千年後に生まれて来る人にも共通したことです。
いつの時代も変わらないことを教えられたのがお釈迦さまです。

十方をあまねくとは、どこでも変わらないということです。
大宇宙のどこへ行っても変わりません。
インドの人も中国の人も日本の人も、アメリカやヨーロッパの人にも共通することです。
どこの国へ行っても変わらないことを教えられたのが、お釈迦さまなのです。

七高僧の教えられたことも、お釈迦さまの教えられたこと一つですから、いつの時代も、どこの国でも変わらないことを教えられています。

では、お釈迦さまが教えられたことは何かというと、親鸞聖人は『正信偈』にこう教えられています。

如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)
(正信偈)

これは「如来世に興出したもう所以は唯弥陀の本願海を説かんとなり」と読みます。
如来」とは地球上に現れた如来ですから、釈迦如来、お釈迦さまのことです。
如来世に興出したもう所以は」とは、釈迦一代の教えは、ということです。
それは「」一つのことであった、と断言されています。
そのお釈迦さまがたった一つ教えられたことは何かというと、「弥陀の本願海」であるといわれています。
弥陀の本願海とは、阿弥陀如来の本願のことです。阿弥陀如来の本願は、大変、広く、深いので、海にたとえて「本願海」といわれています。
親鸞聖人は、お釈迦さまが教えられたことは、阿弥陀如来の本願一つだと明らかにされています

お釈迦さまが教えられたことは、阿弥陀如来の本願一つですから、七高僧が教えられたことも阿弥陀如来の本願一つなのです。
阿弥陀如来は、すべての人を必ず絶対の幸福に救うとお約束されています
お釈迦さま、七高僧が一貫して教えられたのは、すべての人が変わらない幸せになれるたった一本の道なのです。

親鸞聖人が明らかにされたこと

親鸞聖人の教えられたことも、そのお釈迦さま、七高僧の教え以外にありませんから、親鸞聖人の教えも、お釈迦さまや七高僧と同じ阿弥陀如来の本願一つです。
釈迦も七高僧も親鸞聖人も教えられたことはまったく同じ、すべての人が本当の幸せになれるただ一つの道なのですが、それを私たちに最も分かり易く、受け取りやすいように教えられたのが親鸞聖人なのです。
親鸞聖人は、お釈迦さまや七高僧が一貫して教えようとされた、本当の幸せになれる道を、最も鮮明に明らかにされたので、今日、世界の光といわれるのです。

では親鸞聖人が明らかにされた変わらない幸せとはどんな世界で、どうすればその身になれるのかについては、以下のメール講座にまとめておきましたのでご覧ください。

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著者紹介

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生おさなみみずき

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。何とか仏教に関心のある人に知らせようと10年ほど失敗ばかりした後、インターネットの技術を導入し、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者3千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらおうと奮戦中。

仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能