自力仏教と他力仏教の違い

自力仏教と他力仏教とは何でしょうか?

浄土真宗や浄土宗は他力の仏教です。
天台宗や真言宗、禅宗などは自力の仏教ですが、一体どこがちがうのでしょうか。

お釈迦様の説かれた教えは、すべて書き残され、「一切経」といわれます。
その数は、七千余巻といわれる沢山のお経です。
その中で、お釈迦様が、このお経は
深法
出世本懐教(釈迦がこの世にあらわれた目的のお経)」である
と言われる代表的なお経が2つあります。

法華経』と『大無量寿経』です。
(『法華経』は、天台宗などの聖道門自力仏教
大無量寿経』は、浄土宗浄土真宗などの浄土門他力仏教です)

では私たちが本当の幸福に救われるのはどちらでしょうか。

まず、法華経についてお釈迦様に聞いてみましょう。

どんな人に説かれたのですか?

この法華経は深智の為に説く、浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず、一切の声聞及び辟支仏は、この経の中においては、力及ばざるなり。

無智の人の中に於てはこの経を説くことなかれ、もし利根にして智慧明らかに多聞強識にして仏道を求むる者あらば、かくの如き人の為に説くべし。 (『法華経』譬喩品)

人間よりはるかに上の、声聞や、辟支仏でも、力及ばないそうです。

では、私たち人間は、どうすればいいのですか?

法華経を信じえない者の為には如来の余の深法を教えよ。
(『法華経』嘱累品)

法華経を信じられない人には、お釈迦さまの他の深法である『大無量寿経』を教えなさいとおっしゃっています。

では、『大無量寿経で』は本当の幸福に救われるのですか?

如来世に出興する所以は、道教を光闡し、群萌を拯い恵むに真実の 利を以ってせんと欲してなり。(『大無量寿経』上巻)
(この釈迦がこの世に生まれた目的は、これから説く真実の利(阿弥陀仏の本願)によってすべての人を救うためなのだ)

また、お釈迦様は、色々な経典に、死後1500年たつと、末法の時代になり、法華経などの自力の仏教では助からなくなるとおっしゃっていますが今日でも助かるんですか?

当来の世に経道滅尽せんに我慈悲を以って哀愍し特にこの経を留めて止住すること百歳せん。(『大無量寿経』下巻)
(やがて、法華経などの一切の経典が滅尽する、末法・法滅の時代が到来するが、この大無量寿経だけは永遠に残り、ますますすべての人を絶対の幸福に導くことであろう)

では、『法華経』や『大無量寿経』以外のお経には、何と説かれているのでしょうか。『大集経』に見てみましょう。

我が末法の時の中の億億の衆生、行を起し道を修せんに、未だ一人も得る者有らず」と。当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、唯浄土の一門有りて通入すべき路なり。
(末法になると、自力の仏教でさとりを開けなくなると、唯一、浄土の一門(阿弥陀仏の本願)でしか助からないのだ。)

このように、お釈迦さまは、阿弥陀仏の本願によって救われなさいと勧めてゆかれたようです。

では、八宗の祖師といわれる龍樹菩薩にも聞いてみましょう。

みな名を称し阿弥陀仏の本願を憶念することかくのご とし。
もし人、われを念じ名を称しておのづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得

─中略─
人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、即のときに必定に入る。
(『十住毘婆沙論』)

阿弥陀仏の本願」を憶念してこの世で正定聚(必定…あと一段で仏という位)に救われたと記されています。

では、インドの天親菩薩はどうでしょうか。

世尊、我、一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつる(『浄土論』)
(お釈迦様、私は、一心に、阿弥陀仏に帰命致しました)

やはり、阿弥陀仏に救われたと言われています。

では、自力の仏教である日本の天台宗を開いた最澄にも聞いてみましょう。

もし末法の中に持戒の者有らば、既にこれ怪異なり。市に虎あらんがごとし。これ誰か信ずべきや。(『末法燈明記』)
(末法の時代に持戒の者を探すのは、市に虎を探すようなもので、
誰がまともに信ずるだろうか)

お釈迦様が『大集経』に言われているように末法になると、天台宗などの修行ができる人は存在しなそうです。

余談ですが、日蓮宗で勧められる題目は、お釈迦様の一切経に出てきません。

(当然南無阿弥陀仏の念仏は一切経に何度も出てきます)

また、日蓮が弘安元年に書いた手紙によると

余経も法華経もせんなし(その他のお経も、法華経も助からない)

と全仏教を否定して、根拠のないものをすすめているようなので少なくとも仏教ではないようです。

したがって、仏教に関していえば、お釈迦様をはじめ、高僧の方々は皆さん、末法の今日、阿弥陀仏の本願を正しく教えられた浄土真宗を勧められているのです。

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