本光房了顕と血染めの聖教

1471年、蓮如上人が57歳で福井県の吉崎に来られると、浄土真宗は北陸に急速に広まります。
吉崎御坊にはたくさんの宿舎が建ち並び、東北地方からも参詣者が集まるようになりました。
ところが3年後の1474年、吉崎御坊に火の手が上がり、浄土真宗の歴史に残る事件が起きたのです。
それは一体どんなことだったのでしょうか?

親鸞聖人の直筆の教行信証の重要性

蓮如上人が福井県の吉崎という所で布教せられると、瞬く間に浄土真宗が広まっていきました。
それから3年経った3月28日の夕方、吉崎御坊の南大門あたりから火の手が上がりました。
原因はハッキリはしませんが、おそらく放火であろうといわれています。

その時蓮如上人は、ご自分の部屋で、親鸞聖人の直筆の『教行信証』を拝読しておられました。

親鸞聖人が、自ら書かれたものというのは、それを誰かが書き写したものとは、全く価値が違います。
書き写したならば、書き誤りということもありますし、直筆となりますと、写し間違いはありません。
浄土真宗の門徒にとって最も大切な、親鸞聖人の教えがすべて書き記された、直筆の教行信証です。

その内容は、親鸞聖人の身長がどれだけあったとか、体重がどれだけあったとか、イケメンだったとか、そういう個人的なことではありません。
たとえ目玉が一つであっても、口がひん曲がっておられた方であっても、そんなことは私たちには問題ではありません。
どういう教えを説かれていたのか、どういう教えを伝える為にご苦労せられたのか、その教えが命なのです。

その教えを私たちが正確に知るのが大切です。
親鸞聖人のお言葉は、一字一句おろそかに読んではならないものです。
その時には、やはり親鸞聖人がじかに書かれたものが一番正確です。

親鸞聖人直筆の『教行信証』は6巻ありますが、親鸞聖人のお弟子方も、そういうお気持ちがあって、大切に護られていました。

親鸞聖人直筆の教行信証を猛火が襲う

吉崎御坊が火事になったとき、「火事だ!」という声に、大変驚かれて、さすがの蓮如上人でも私たちと変わりません。
机の上に、読んでおられた親鸞聖人直筆の『教行信証』を置き忘れて外へ飛び出されます。

その時は、非常に強い風が吹いていたそうで、たちまち火は、蓮如上人のおられた部屋へ迫って行きました。
外へ出られて蓮如上人は「ハッ」と置き忘れてきたことに気がつかれます。
自らの落ち度ですから、お弟子たちが止めるのも振り切って、自分の部屋へ取りに行かれようとされます。

ところが火の手が割に早かったので、とても間に合わないかも知れません。
蓮如上人はその時はもう60歳になっておられました。
60歳といえば、現代ならば医学の力で平均寿命が延びましたので、まだ若い青年ですが、当時、室町時代の平均寿命は15歳といわれましたので、非常に長生きをされていました。

当時の60代の人は、それだけ体力的にも現代に比べて劣っていたことは間違いありません。
そういう年になっておられた蓮如上人は、火の手が迫っている時に、果たして自分の部屋へ飛び込んで『教行信証』を護れるか、そういう不安はあったと思いますが、とにかく取ってこようとされました。

本光房了顕の決意

それをお弟子達の中の一人、本光房了顕(ほんこうぼうりょうけん)が見て、こう感じます。
これは大変だ。『教行信証』も、ひょっとすると蓮如上人も失うかもしれない。
これは人類の危機だ

了顕はとっさに
私がとって参ります
と言って、近くにあった水を頭から何杯もかぶり、蓮如上人のおられた部屋へ向かって突進します。

すでに吉崎御坊の本堂に火の手が回り、柱や屋根に火がつく中、火の粉と煙をかき分けながら、了顕は走ります。
ようやく蓮如上人のお部屋にたどり着くと、机の上に『教行信証』があるのを見つけます。
それは、人類究極の目的である「絶対の幸福」と「浄土往生」が記された、『教行信証』証巻でした。
やれ嬉しや」と了顕は持ち出そうとしますが、その時、天井が崩れ、入って来た道が塞がります。
時すでに遅し。
その日は、乾いていた日で、とても火の回りが早く、あっという間に吉崎御坊の全体が燃え上がったのです。
もうどこが入り口やら出口やら分かりません。
まわり中が火の海になってしまいました。

親鸞聖人と同じ恩徳讃の世界

それで本光房了顕、かねてから身を粉にしても、骨を砕いても、返し切れない、阿弥陀如来と、その本願を伝えてくだされた蓮如上人のご恩を常に感じて、親鸞聖人と同じ、恩徳讃の気持ちにあふれていました。
恩徳讃(おんどくさん)とは、親鸞聖人のご和讃です。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし(恩徳讃)

阿弥陀如来の本願に救われ、他力信心を獲得して生かされる世界はみな同じです。
親鸞聖人と同じように、夜も昼も常に忘れることができないのは、如来大悲、師主知識のご恩一つという限りない幸せの身になれます。

そういう了顕でしたから、
有り難い、その万分の一でも受けたご恩をお返しする時が来た
と覚悟しました。

しかし、火の中で死んで行くのはいいけれど、ここへ飛び込んできた目的は、親鸞聖人直筆の『教行信証』を護るためであって、死ぬためではありません。
このままなら『教行信証』は護れない。
さてどうするか。
水でもあれば、その中へ入れることもできましょう。
自分の体は、やがて灰になってしまう。
教行信証』だけはそうしてはならない。
護らねばならない。

それは『教行信証』という一冊の本を護るということではありません。
親鸞聖人の命をかけて伝えてくだされた浄土真宗の教えを護るということです。

どうやって護るか
了顕は火の中で考えました。

その考えている間にも、刻々とまわり中の火に攻められて、体は熱くなり、命は失われて行きます。
その時にガラッと天井の一角が崩れ落ちて、了顕の肩へ落ちてきました。

手を当ててみると、手には真っ赤な血がついています。
そうだ、水がなかったら血だ。この血で護るんだ。
肉体は焼けても最後残るものは、内臓であり、血だ。
これで護ろう

了顕は思ったのです。

そこにどっかり座って、「蓮如さま、ありがとうございました。
多生にも億劫にもあえない阿弥陀如来の本願に救われた本光房了顕は幸せ者でございました。
やがて必ず散りゆく命、この教えを護るためなら、本望でございます。
お許し下さい蓮如さま、お先にお浄土へ参ります

了顕は、持っていた短刀で、自ら腹を十文字にかき切ったのです。

一文字では、体の中へ『教行信証』が入りません。
表面が出ていただけでも、そこが焼けてしまえば教えが正確に残らなくなります。
外科の医者で麻酔をかけたわけでもなく、自ら腹を十文字に切り開いて『教行信証』を内臓奥深く押し込んだのは、ただ一つ、教えを護る、それ以外、了顕の頭にはありませんでした。
了顕は、そのままうつ伏せに倒れ込みます。

血染めの聖教・腹ごもりの聖教

やがて火が静まり、いつまでたっても、本光房了顕は帰ってきませんでした。
夜明けが近くなり、焼け跡をみんなで探していると、黒焦げの本光房了顕が発見されました。

蓮如上人は、『教行信証』も、自分の不始末で焼いてしまった。
また本光房了顕も殺してしまった。
みんな自分の責任だと、非常に悲しんでおられました。

ところが、本光房了顕の遺骸を発見した道宗というお弟子が、
どうもおかしい
よくよく本光房了顕の焼けただれた体を見ていると、お腹の中に『教行信証』証の巻が護られているのを発見します。

それを蓮如上人はご覧になられて、さめざめと泣かれながら
おお了顕、けなげであった。よくぞ、この蓮如の果たさねばならぬことを……、
よくぞそこまで。
了顕、そなたこそまことの仏法者、そなたの選んだ決死の報恩、親鸞学徒の鑑じゃ。
永久に全人類の迷闇をはらす、灯炬になるであろう

あたかも生きた人にものを言われるように、教行信証を護られたことを泣いて喜んでおられます。
本光房了顕は、燃えるような恩徳讃の気持ちを、そのまま実行して、私たちに見せてくれたのです。

本光房了顕が護った『教行信証』は現存しています。
今日「腹ごもりの聖教」とも「血染めの聖教」とも言われています。
聖教(しょうぎょう)」とは、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書き残されたもののことです。
腹ごもりの聖教」とは、腹の中から出てきたということです。
血染めの聖教」は、血で染まっているからです。

このように、本光房了顕は教えに命を散らしたのですが、これほどまでして報いようとした広大なご恩とは何だったのでしょうか?

了顕が報いようとしたご恩とは?

この本光房了顕が私たちに教えていったことは、浄土真宗の一部の人だけ知っていればいいというものではありません。全人類に伝えなければならないことです。

それは、親鸞聖人の明らかにされた、本当の生きる意味です。
言葉をかえれば本当の生きる目的ということです。

私たちは何のために生まれてきたのか、なぜ苦しくても生きねばならないのかというと、ただ食べたり飲んだりするためではありません。
仕事をするために生まれてきたのでもなければ、たまに旅行に行くこと一つを楽しみに生きているわけでもありません。

みんな考えていることは、生き方ばかりです。
生き方というのは、どう生きるかという生きる手段です。
どうすれば金がもうかるか、楽しく過ごせるか、ということです。

政治もそうです。「どう生きる」のために、どんな党がいいか、投票しています。
経済も同じことで、「どう生きる」のために経済もあります。
科学もそうです。
医学もどうすれば、長生きすることができるか、命を延ばすことができるかということで、どう生きるかです。
その他、人間の営みのすべてはどう生きるかということだけです。

水泳にたとえるなら、どんな泳ぎ方をすれば、早いか、楽に泳げるか、楽しく泳げるか、色々の泳ぎ方があります。
人間の努力は、泳ぎ方の研究であり、努力です。
泳ぎ方の努力は大切なことです。
泳ぎ方も大切ですが、どこへ向って泳ぐかという泳ぐ方角とか目的地はもっと大切ではないでしょうか。

私たちは、生まれたときに海に放り込まれたようなものです。
まわり中、空と水しか分かりません。泳ぐ目的地は知らないのです。
目的地が分からなくても、泳がなければ沈んでしまいますから、とにかく泳ぎます。
しかし私たちの体には限度があります。
どんな泳ぎ方をしても、目的地が分からなければ、やがて死ぬよりありません。

一番の問題は、向かう方向、泳ぐ方向なのです。 私たちの人生でいえば、生きる方角とか目的地です。
全人類が一番知りたいのは、何のために生まれてきたのかという本当の生きる意味です。
こんな大事なことはありません。

それを親鸞聖人が、本当の生きる目的は、絶対変わらない絶対の幸福になることであり、絶対の幸福になった人は、死ねば浄土へ往って永遠の幸せになれることを明らかにされたのです。

本光房了顕が教えのために命を散らしたということは、親鸞聖人の教えを正しく聞いて未来永遠の幸せになるために、私たちはこの世に生まれ、今日まで生きてきたのですから、その究極の教えの真髄を、見せてくれたということです。

人の命の尊さ

この話を聞いて、時々「あんな1冊の本よりも人の命のほうが大切なのではないか」という人がありますが、それは『教行信証』に何が書かれているか分からない人です。

親鸞聖人の教えは、全人類が助かるただ一本の道だから、了顕は
これが燃えてしまったら大変だ。全人類が助からない
と火の中へ飛び込んでいったのです。

浄土真宗の教えは、今から生まれてくる何億何兆の人が救われることでもあります。
それは一人の人間の命なんかとケタ違いに重いのです。
人の命が尊いからこそ、万人の救われる法だと了顕は分かっていたから、万人の救われる道のために自分の命をかけたのです。
今から幾億兆の人が救われるたった一本の道を守るために、自分の命を炎の中に身代わりにして、『教行信証』を護ったのです。
未来の何億兆の人を救済するためなのです。

親鸞聖人が教えられたことは、本当の生きる意味ですから、その私たちの幸せに与える影響は、政治家や経済人、科学者などとは比較になりません。
本光房了顕は、その真実の教えを永遠の人類に伝えるために、尊厳な命を燃やしました。 必ず亡びる命、人類救済に散らした了顕に、勝る道があるでしょうか。
こんな尊いことはないのです。

では『教行信証』に何が教えられているのかということは、その本質を小冊子とメール講座にまとめておきましたので、今すぐ以下からご覧ください。

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