御文(おふみ)・御文章(ごぶんしょう)

御文(おふみ)とは、御文章(ごぶんしょう)ともいわれ、浄土真宗の8代目、蓮如上人の書かれたお手紙です。
中には浄土真宗の教えのエキスがおさめられ、「凡夫往生の手鏡」といわれています。
私たちが絶対の幸福になるのに大切なことが教えられているのです。
どんなお手紙なのでしょうか?

御文の著者は蓮如上人

御文を書かれたのは蓮如上人です。
蓮如上人は、浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人の200年後に現れた室町時代の方です。
蓮如上人が43歳で本願寺の法主になられ、親鸞聖人の二百回忌を勤められた時は、わずか四間四方の御堂で、参詣者は、午前中は数人、午後からが60数人であったといわれます。
その蓮如上人が、親鸞聖人の教えを正確に、日本全国津々浦々まで、最も多くの人に伝えられ、今日の浄土真宗が、日本最大の仏教の宗派となった基礎を築かれたのです。
そのとき、蓮如上人はお手紙を沢山書かれました。
早くから蓮如上人を支えた、滋賀県の堅田門徒は、船での行商の際にもそのお手紙を携帯し、旅先で読み聞かせ、多くの人を導いたといわれます。

蓮如上人は、著作が少なく、親鸞聖人の『正信偈』を解説された『正信偈大意』のみです。
蓮如上人が84歳でお亡くなりになってから、蓮如上人が御門徒の方々に出されたお手紙を集められたものが、『御文』であり、『御文章』なのです。
そこには一体どんなご苦労があったのでしょうか?

御文をまとめた円如法師のご苦労

御文を集めてまとめたのは、蓮如上人の孫である円如(えんにょ)法師です。
お父さんは、本願寺9代目の実如上人、円如法師の子供さんが、本願寺10代目の法主・証如です。

円如法師、8歳のときに蓮如上人が亡くなられました。
幼い頃から蓮如上人のお手紙に感動していた円如法師は、日本全国に散らばった御文を集めて末代の人々にお伝えしたいと思い立ち、11歳で活動を始めました。

生まれつき体は強くなかったといわれますが、根気強く、日本全国のご縁の深い方々を訪ね歩き、20年かけて、300通以上の蓮如上人のお手紙を集めました。

その集められた中から、どんな人にも関係のある内容の80通を5帖にまとめて「五帖御文」ができました。
1帖目から4帖目は年代順で、5帖目は年代のわからないものが集めてあります。
それ以外を「帖外御文」といいます。

そして、円如31歳の8月20日未明、御文をまとめ終わって5時間後に亡くなったと言われます。
11歳で御文を集め初めてから20年、壮絶な殉教によって31歳の短い生涯を閉じられました。
このような命をかけたご苦労があって、私たちは御文を拝読できるのです。

御文の構成

御文章は1帖目から5帖目まで、約15通ずつまとめられています。
一帖目 15通
二帖目 15通
三帖目 13通
四帖目 15通
五帖目 22通

5帖目には、年代は分かりませんが大切な、
末代無智の章」(1通)
聖人一流の章」(10通)
白骨の章」(16通)
などの有名なお手紙が収められています。

聖人一流章」は、浄土真宗の勤行で拝読され、
白骨の御文」は、浄土真宗の葬式でよく読まれるものです。

1帖目から4帖目は書かれた年代順ですので、4帖目15通は、蓮如上人が書かれた最後の筆の跡です。蓮如上人の御遺言です。
そこには、「どうかすべての人に、命のある間に救われてもらいたい」という思いが切々と綴られています。
では御文にはどのようなことが書かれているのでしょうか?

御文を書かれた方針

御文は、蓮如上人のお手紙ですが、蓮如がご自身のことを「ああだった」「こうだった」とか、「私はこう思う」「こう考える」ということは、書かれてありません。
ただひたすら、親鸞聖人の教えばかりが書かれています。
書き出しから、時候の挨拶もなく、単刀直入にこのように書かれています。

聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候」(5帖目10通)
夫れ、当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは、まず他力の信心をもって肝要とせられたり」(2帖目10通)
抑、親鸞聖人の一流に於いては、平生業成の儀にして……」(1帖目4通)
抑、親鸞聖人の勧めたまうところの一義の意は偏にこれ末代濁世の在家無知のともがらに於て、何の煩もなく、速やかに疾く、浄土に往生すべき、他力信心の一途ばかりをもって本と教えたまえり」(3帖目7通)
祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心一つに限れり」(2帖目3通) 
当流聖人の勧めまします安心というは、何のようもなく……」(5帖目18通)
抑、開山聖人の御一流には、それ、信心ということをもって先とせられたり」(2帖目2通)
当流の安心の一義というは、ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」(5帖目9通)
挙げればきりがありませんが、御文章に書かれているのは、一貫して親鸞聖人の教え以外にないのです。

御文の1帖目1通に、親鸞聖人が
更に親鸞珍しき法をも弘めず、如来の教法を、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり
とおっしゃっていたことが記されています。
蓮如上人も親鸞学徒として、自分のことはふれられず、ひたすら親鸞聖人と同じように、
更に蓮如、珍しき法をも弘めず、親鸞聖人の教えを、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり
を実践されているのです。
では、御文には、どんなことが書かれているのでしょうか?

御文の内容

蓮如上人は、親鸞聖人の主著『教行信証』を何回も何回も読み破られ、大事なことを1000の中から100選ばれ、100の中から10に絞られ、10の中から1に絞られて、御文に書かれています。
ですから、蓮如上人は、こう言われています。
御文は如来の直説なり」(『御一代記聞書』124)
阿弥陀如来の本願を明らかにされた親鸞聖人の教えを分かりやすく教えられているので、阿弥陀如来の直接説かれたようなものだということです。
御文には、浄土真宗の教えの要ばかりが書かれているのです。

しかも『教行信証』は漢文で書かれていますが、御文は平仮名交じりで、違えのないよう、分かり易く明解に教えられていますので、このように言われています。

蓮如上人御病中に慶聞に、「何ぞ物を読め」と仰せられ候時、「御文』を読み申すべきか」と申され候。
さらば読み申せ」と仰せられ候。
三通二度ずつ六返読ませられて仰せられ候。
我が作りたるものなれども殊勝なるよ」と仰せられ候。
(『御一代記聞書』125)

蓮如上人が病気でお休みになっておられるとき、看病に来られたお弟子の慶聞房に、 「何か読んでくれ」 と言われました。
慶聞房が、
御文を読みましょうか
とお尋ねすると、
ならば読みなさい
といわれました。
3通のお手紙を、2回ずつ、合計6回読ませられ、
自分が書いたものとはいえ、何とすばらしいことが書かれているのか
と言われました。

御文は、大変わかりやすく書かれているので、これ以上にもっと深い教えがあるのではないかと思う人がありますが、 そうではありません。蓮如上人はこう言われています。

御文はこれ凡夫往生の鏡なり。御文の上に法門あるべきように思う人あり、大いなる誤りなり
(『御一代記聞書』178)

凡夫往生の鏡」といわれ、私たちが絶対の幸福に救われる最短の道が教えられているのが御文です。手鏡のように肌身離さず持ち歩き、繰り返し読ませて頂くようにいたしましょう。
ただ、それでも500年前の室町時代の言葉で書かれていますので、このサイトでも代表的な御文章を解説していきたいと思います。

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