浄土真宗の勤行(おつとめ)

浄土真宗の人は、朝晩、勤行(ごんぎょう)をすることになっています。
勤行」は「おつとめ」とも言われます。
お仏壇の前で、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読するものです。
浄土真宗の勤行には、一体どんな意味があるのでしょうか?

浄土真宗の目的

浄土真宗の勤行は、先祖供養ではありません。
亡くなられた家族の幸せを願ってお経を読んでいるのでもありません。

浄土真宗の勤行が何のためにあるのか、その意味を知るには、浄土真宗の教えを知らなければなりません。
浄土真宗には何を教えられているのかといいますと、生きているときに、絶対の幸福になることです。これを「平生業成」といいます。
平生業成とは、死んでからではなく、生きているときに、絶対の幸福になれる、ということです。
絶対の幸福とは、変わらない幸せのことです。
歎異抄』には無碍の一道と教えられています。
この無碍の一道を今日の言葉でいうと、絶対の幸福となります。

絶対の幸福になるには、お金や財産、地位、名誉ではなれません。
後生の一大事の解決によってのみ、絶対の幸福になれると教えられています。

後生の一大事とは何かというと、後生とは死んだらどうなるということです。
死はどんな人にとっても、人生最大の問題です。その上、時間の問題でやがて確実に直面します。
その100%確実な未来が暗いまま、今、明るい生き方をすることはできません。
死んだらどうなるか、後生明るくなってこそ、今を明るく生きられるのです。
仏教では、お金や財産、地位、名誉のような喜びの続かない、儚い幸せを追い求めるのではなく、後生の一大事を解決して絶対の幸福になることが、本当の生きる意味だと教えられています。

では、どうすれば後生の一大事を解決できるのかというと、後生の一大事解決できる力があるのは、阿弥陀如来一仏ですので、阿弥陀如来の本願によらねば絶対に解決できません。
阿弥陀如来は本願に、どんな人も聞く一つで救うとお約束されていますから、蓮如上人は、「仏法は聴聞に極まる」と教えられています。
聞く一つで、後生の一大事を解決して絶対の幸福になれます。
浄土真宗で一番大事なのは聴聞です。

では私たちはどれくらい聴聞しているでしょうか?

浄土真宗の勤行の意味

私たちがどれくらい聴聞するか考えてみますと、
いたずらに 過ぎる月日は多けれど 法を求むる 時ぞ少なき
といわれるように、目先の生き方ばかり考えて、仏教を聞く時間はほとんどありません。
聞法よりも、生きるために努力している時間のほうがはるかに長い私たちです。

1年365日のうちで、何日聞法の日があるでしょうか。
聞法の日には、24時間のうち、聴聞している時間はどれ位あるでしょうか?

聞いているときでも、心は散り乱れ、関係のないことが思えてきます。
真剣に聞いている時はどれだけあるでしょうか?

法を求める時は非常に少ないのです。

後生は一大事だと思って、聴聞したいと思っても、1年365日、聴聞できるわけではありません。
浄土真宗の法話が開かれていなければ、聴聞できないのです。
そんなどうしても聞けないときにはどうすればいいのでしとょうか?

阿弥陀如来の救いにあうのに、1番大事なのは、真剣な聴聞です。
その次が勤行です。
ですから朝晩の勤行は、阿弥陀如来の救いにあうには、極めて大事な勝縁なのです。

浄土真宗の勤行とは

勤行とは、朝晩、お仏壇御本尊の前で、心を静めて、親鸞聖人の書き残された『正信偈』と、蓮如上人の『御文章』を拝読させて頂くものです。

正信偈』は、親鸞聖人が、「阿弥陀仏に救われたぞ、阿弥陀仏に助けられたぞ
と、絶対の幸福に救われた喜びを述べられて、
あなたもこの世界に出る為には、この高僧方の教えにしたがって下さいと、
一字一涙の思いで七高僧の教えを書き残されたものです。

御文章』は、蓮如上人の書かれたお手紙を集めたものです。
蓮如上人は、親鸞聖人の教えられたことを、そのまま手垢をつけずに教えられた方です。
親鸞聖人が右へ行きなさいと教えられたら、蓮如上人も、右へ行きなさいと教えられました。
その親鸞聖人の書き残された『正信偈』と、蓮如上人のお書きになられた、『御文章』を拝読させて頂くのが浄土真宗の勤行です。

娑婆にあって、を求め、欲に流され、欲に殺されている人ばかりです。
その中で、朝晩、御本尊の前にすわって、心を静めて、親鸞聖人の書き残された『正信偈』と、蓮如上人の『御文章』を大きな声で拝読させて頂きます。

普段、私たちの口は、生臭いものを食べ、口を開けば、出てくるのは自分の自慢か他人の悪口ばかりです。
そんな真実のかけらもない私たちの口から、真実の言葉を吐くことになりますから、尊い仏縁になるのです。
聞法のご縁のない時は、つとめて阿弥陀如来に親近するように、努力しなければなりません。

蓮如上人のオススメ

蓮如上人はこう教えられています。

蓮如上人仰せられ候、「本尊は掛けやぶれ、聖教は読みやぶれ」と対句に仰せられ候。 (御一代記聞書)

本尊」とは、親鸞聖人も蓮如上人も、浄土真宗の正しい御本尊は、名号だと教えられています。
この御本尊は、大事に箱にしまっておくのではなく、お仏壇におかけしなさい。そのお仏壇は一度も開いたことがないのではなく、毎日開いておつとめしなさい、ということです。
聖教(しょうぎょう)」とは浄土真宗の本のことですので、『正信偈』や『御文章』も聖教です。
聖教も常に開いて、何度も何度も読んで、破れるまで読みなさいと言われています。
「破れ」といっても、もちろん粗末に取り扱って破りなさいということではありません。
御本尊もお聖教も丁寧に取り扱われますから、それでも破れてしまうほど、常に親しみなさい、ということです。

「対句」ですから、この2つをいつも並べておっしゃった、ということです。
それは、日々、御本尊をおかけして、おつとめをしなさい、ということです。

それには、どんなに忙しくても、朝夕の勤行だけは欠かしてはならないのです。

勤行を怠っていると?

しかし、どこの家庭でも、現実には朝夕は戦場のように忙しく、勤行する余裕がありません。
朝は御仏飯も捧げるのですが、仏さまを後回しにして、家族だけが朝食を頂きます。
しかし、お仏飯を何日も捧げないで、仏を餓死させては勿体ないことです。

お仏花は枯れてドライフラワーか材木のようになりますが、
お仏花が枯れているのは、聞法心が枯れている証拠だと思って間違いありません。

さらにお仏壇には、ほこりがうず高くつもって真っ白になりますが、ほこりに覆われているのは、求道心が、三毒の煩悩に覆われている実証です。

妙好人の庄松は、ある家を訪ねて、仏前に詣ってから主人に向かって、
この頃、木が枯れているから、たき火に注意しなされや
と言っています。
その家の主人は、初めは何のことやら分からなかったそうですが、後で気がついて、反省したといわれます。

毎日どう生きるかに一生懸命で、五欲に追い回されている私たちですが、朝晩、心静かに仏前にひざまずくことは、得難い仏縁となるのです。
蓮如上人御一代記聞書にこう言われています。

一日のたしなみは、朝つとめにかかさじと、たしなむべし。
(御一代記聞書)

浄土真宗の人ならば、朝夕の勤行は怠ってはならないのです。

勤行の心構え

仏法は聴聞に極まる」といっても、毎日聴聞できるわけではありません。
ところが『正信偈』は親鸞聖人のご説法であり、『御文章』は蓮如上人のご説法です。
朝晩、おつとめをすることは、親鸞聖人と蓮如上人のご説法を聴聞することになります。

しかもせっかく浄土真宗の教えを聴聞しても、浄土真宗で教えられている朝晩の勤行をしないというのでは、教えの通り実行していないわけですから、空回りしているようなものです。
朝晩の勤行もしないで聴聞していても、真剣に聴聞できるはずがありません。
朝晩の勤行をしない人が、自分は浄土真宗だといっても、名前だけです。
1年365日、朝晩おつとめをするのが求道です。

正信偈』の意味が分からないんですが……」という人がありますが、
最初は『正信偈』や『御文章』の意味が分からないのは普通のことですので、心配いりません。
正信偈』の意味は正信偈.comにすべて解説してあるので読めば分かりますので
ご安心ください。
御文章』の意味も、代表的なものはこのサイトに解説してあります。
そもそも意味が分かっておつとめをしている人はごくわずかです。

意味が分からなくても、勤行には大きな意味があるのです。
それは、阿弥陀如来の目に見えないお力が私たちにかかってくださることです。
意味が分からなくても、朝晩の勤行を実践するのは、大変な仏縁になるということです。

朝晩の勤行は、親鸞聖人、蓮如上人の教えを毎日聞かせて頂き、阿弥陀仏の救いに遇わせて頂く大切な聞法のご縁ですから、朝晩の勤行は欠かさず励行するように致しましょう。

では、どうすれば朝晩の勤行を実践できるのでしょうか?

勤行を実践する方法

私たちは、勤行は忘れても、食事は忘れません。
朝晩のおつとめは、食事の前にするように心がけるのがいいでしょう。
ある人は、箸箱をお仏壇の引き出しに入れて、一回でも阿弥陀仏とのご縁を求めさせて頂いている人もあります。

またある人は、3日間出張というときには、その分、出張に行く前日におつとめをしておかれます。
3日だったら6回です。その日の夕方のおつとめと合わせて7回になります。
1時間以上かかりますから、そう簡単にできることではありません。
しかし、後生の一大事はケタ違いの大問題ですから、人それぞれ、色々な心がけで少しでも仏縁を求めさせて頂いているのです。

人の一生は儚いものです。
私たちの命も無常ですから、一日も片時も急いで仏縁を求めなければなりません。
どんなに疲れていても、忙しくても、朝晩の勤行は欠かさず実行して、絶対の幸福に大きく前進いたしましょう。

そして、阿弥陀如来に救われた人は、救われた喜びから、阿弥陀如来の広大なご恩に感泣し、より一層、おつとめをせずにおれない御恩報謝のおつとめとなるのです。

ではどうすれば阿弥陀如来の救いにあって、絶対の幸福になれるのかということについては、以下のメール講座と小冊子に分かりやすくまとめてありますので、今すぐお読みください。

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