善導大師(ぜんどうだいし)とは?

善導大師(613-681)は中国の唐の時代に活躍された方で、終南大師とか光明寺の和尚といわれます。
善導大師は、浄土宗でも五祖のうちの3番目にあげられ、浄土真宗では七高僧の5番目にあげられて、阿弥陀如来の化身と尊敬されている高僧です。
法然上人は、偏依善導、ひとえに善導に依るといわれています。
一体どんな方で、どんなことを教えられたのでしょうか?

法然上人の尊敬

法然上人は、善導大師の主著『観無量寿経疏』を拝読している時に、阿弥陀如来に救われたといわれています。
そのため法然上人は、善導大師の教えに従い、主著『選択本願念仏集』には「偏依善導」と言われています。
ひとえに善導に依るということです。

そして『選択本願念仏集』の最後には、善導大師のことをこう言われています。

善導はこれ弥陀の化身なり。
しからばいうべし。またこの文はこれ弥陀の直説なりと。

法然上人は、善導大師のことを阿弥陀如来の化身、『観無量寿経疏』は阿弥陀如来が直接説かれたものとして尊敬しておられたのです。

親鸞聖人の尊敬

親鸞聖人も師・法然上人と同じく、阿弥陀如来の御心をえぐり出して明らかにされた善導大師は、とてもただ人とは思えない、とこう言われています。

大心海より化してこそ 善導和尚とおわしけれ(高僧和讃)

大心海」とは阿弥陀如来のことです。
善導大師はただ人ではない、阿弥陀如来の化身としか思えない、ということです。

また、『歎異抄』にはこう言われています。

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。
仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か。(歎異抄2章)

これは、阿弥陀如来の本願がまことだから、ただその本願一つを説かれた釈尊の教えにがあるはずはない。
釈迦の説法がまことならば、そのまま説かれた善導大師の御釈に偽りがあるはずがなかろう。
善導の御釈がまことならば、ひとえに善導大師に依られた法然上人の仰せにウソ偽りがあろうはずがないではないか。
法然上人の仰せがまことならば、そのまま伝える親鸞の言うことも、そらごととは言えぬのではなかろうか、という意味です。
阿弥陀如来、お釈迦さまの次に、七高僧の中でも善導大師と法然上人を挙げられ、親鸞聖人は善導大師をどれほど尊敬しておられるか分かります。

そんな善導大師は、どんな方だったのでしょうか?

善導大師の生い立ち

善導大師は、 613年という隋の末期、まもなく唐の時代になる中国に生まれられました。
日本ではちょうど聖徳太子が活躍されていた時代です。

善導大師は、幼い頃に明勝法師のもとで出家しました。
明勝法師は三論宗で、嘉祥と同じ師匠に師事した嘉祥と同門の僧侶でした。

善導大師は最初は『法華経』や『維摩経』を学びましたが、やがて極楽浄土を描いた絵を見られ、浄土へ往生したいという気持ちを起こしました。

やがて20歳頃になると、僧侶の決まりに従い、妙開律師のもとで授戒します。
それから厳しい戒律を守りながら、ますます修行に打ち込まれます。
ところが、なかなか生死の解決ができず、どうすれば助かるだろうかと、救われる教えを求めているうちに、『観無量寿経』に巡り会います。
観無量寿経』には、イダイケ夫人という王様の妃が救われたり、恐ろしい罪を犯した者も救われると説かれています。
善導大師は、「ただここに説かれる観法によってのみ、生死を超えられるだろう
と言って、師匠の妙開律師と共に『観無量寿経』に説かれる通り、浄土往生を願って十六の観法を修行するようになりました。
ところがその時の善導大師には、まだ『観無量寿経』の表面上に説かれる観法しか分からなかったため、生死の解決はできませんでした。
心を一つにして、観法に励めば励むほど、怒り煩悩が逆巻き、一つにならない心が知らされます。
善導大師は、昼も夜も、髪の毛についた火を振り払うほど一生懸命、をやろうとされ、それでもウソ偽りの善ばかりで、をやめることはできないことが知らされてきます。
こんな煩悩でやる善で浄土へ往生しようとしても絶対にできない
と苦しんだのです。

道綽禅師との出会い

そこで善導大師は、どこかにこのような悪をやめることのできない自分を導いてくだされる方はないかと、求法の旅に出たのでした。
その間には、慧遠の白蓮社の跡に訪れたり、広く中国各地を旅した末、ついに石壁の玄忠寺にたどり着きます。

その玄忠寺で、すでに80歳になられた道綽禅師と巡り会うことができたのでした。
善導大師29歳の時でした。

道綽禅師から、『大無量寿経』を通して初めて『観無量寿経』の真意が知らされること、そしてそれは、『観無量寿経』の大部分に説かれる観法ではなく、お経の最後に説かれる念仏にあるとの教えを受け、長年の疑問が解けたのでした。
こうして道綽禅師が84歳でお亡くなりになるまでの約5年間、真剣に聴聞した善導大師は、ついに阿弥陀如来に救われ、絶対の幸福に生かされたのでした。

善導大師の活躍

その後、善導大師は当時の唐の都長安に赴かれました。
当時の長安では、西遊記で有名な玄奘(げんじょう)が、インドでお経を手に入れて帰国し、翻訳作業を始めていました。
皇帝は仏教を保護し、中国仏教の黄金時代を迎えていました。
善導大師は、都の南の終南山悟真寺に住まれ、長安市街の光明寺を道場として、人々に阿弥陀如来の本願を説かれたのです。
善導大師の努力は「三十余年、別の寝処なし」といわれ、30年以上、布団を敷いて休まれなかったといわれます。
夜更まで学問や写経、執筆を続け、そのまま机にうつぶすようにして休まれたのです。
また「かつて目を挙げて女人を見ず」といわれ、淫らな心の生じないように、向こうから女性らしき人がくると、見ないようにされたといわれます。

善導大師は10万巻以上の『阿弥陀経』を写経して人々に与えたり、深く自分の心を見つめられ、その救われた体験からほとばしる布教は熱烈であったといわれます。
観無量寿経疏』にはこう言われています。

帰去来(いざいなん)魔郷にはとどまるべからず。
曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみなへたり。
いたるところに余の楽なし、ただ愁歎のこえをきく。
この生平をおえて後、かの涅槃の城にいたらん。(観無量寿経疏)

いざ行こう、苦しみ悩みのこの世界に長くとどまってはならない。
果てしない遠い過去から、六道を生まれ変わり死に変わりして、色々な生命に生まれてきたが、楽しい所はどこにもなく、愁い嘆きの声だけが満ちていた。
この一生を終えた後は、極楽浄土へ生まれようではないか、ということです。

このような切々とした説法によって、数え切れない人々が変わらない幸せに導かれ、長安の城内は、念仏の声に満たされたといいます。

さらに善導大師は、『観無量寿経疏』4巻、『法事讃』2巻、『観念法門』1巻、『往生礼讃』1巻、『般舟讃』1巻の5部9巻の著作を著され、69歳で浄土へ往生されています。
では、善導大師は、どんなことを明らかにされたのでしょうか?

善導大師の教え

親鸞聖人は、『正信偈』に、善導大師をこう讃えられています。

善導独明仏正意(正信偈

これは、勤行の時、ひときわ大きな声で読むところです。
善導独り、仏の正意に明らかにして」と読みます。

この「独り」というのは、七高僧の中で一人ということではもちろんなく、当時の中国でただ一人、ということです。
当時の中国は、仏教が最も栄えた時代でしたので、天台宗を開いた智顗(ちぎ)、華厳宗のもとになった地論宗の浄影(じょうよう)、三論宗の嘉祥(かしょう)などの弟子がたくさんありました。
ところが、誰も仏の正しい心に明らかではなかったということは、天台も浄影も嘉祥も、仏の正しい心に明らかではなかったのです。

仏の正意」の仏というのは、お釈迦さまのことです。
お釈迦さまの正意というのは、正しい御心ということで、お釈迦さまは仏教に何を教えられたのか、ということです。
それはただ一つ、南無阿弥陀仏です。
これを蓮如上人は、『御文章』にこう教えられています。

一切の聖教というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり。(御文章)

一切の聖教」とは、お釈迦さまの説かれた一切経です。
それを解説した仏教書も全部入ります。
ただ」というのは、ただ一つということで、他にはなかった、ということです。
一切経に説かれたお釈迦さまの心は、ただ南無阿弥陀仏の六字、これ一つであった、ということです。

この南無阿弥陀仏の名号がどんなにすごいものか、蓮如上人は、こういわれています。

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。(御文章)

この南無阿弥陀仏は、漢字でいえばわずか六つだから、そんなに功徳があるとは誰も思えないだろうが、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳があるといわれています。
無上」とは、この上がない、限りない、
甚深」とは、非常に深い、
功徳利益」とは私たちを幸せにする力です。
その私たちを幸せにする力が広くて大きいことは、その極まりがない、無限の働きがある、ということです。

ところが、猫に小判、豚に真珠と言われるように、私たちにそれを分かる智慧がないのです。
だからお釈迦さまは、一生涯南無阿弥陀仏の功徳を教えたけれど、説き尽くすことができなかったと言われて亡くなっています。
南無阿弥陀仏の功徳は、お釈迦さまの大雄弁でも、説き尽くせません。
どんな人でも生きている時に絶対の幸福にする、一切経におさまり切れない大功徳が南無阿弥陀仏にある、ということです。

この南無阿弥陀仏の宝を頂きなさい、と教えられたのが、仏の正意です。
それをただ独り明らかにされたのが善導大師だったのです。

当時広まっていた間違い

当時の中国は、歴史上最も仏教が盛んでしたが、この南無阿弥陀仏の働きを正しく理解している人がありませんでした。
お釈迦さまがお経に説かれているので、確かに南無阿弥陀仏には尊い功徳があるのは間違いないけど、どんな人でも生きている時に絶対の幸福に救いきる力まではない、と思ったのです。
そのため『観無量寿経』には、王様のお妃であるイダイケ夫人が、出家も修行もせずに、絶対の幸福になったことが説かれているのですが、天台宗の智顗も、地論宗の浄影も、三論宗の嘉祥も、それはイダイケ夫人が過去世で高いさとりを開いていた聖者の化身だったからだと解釈し、弟子たちにも教えていたのです。

中でも甚だしいのは、華厳宗と近い関係にある摂論宗(通論家)の解釈でした。
南無阿弥陀仏は唯願無行(ゆいがんむぎょう)だから、私たちを生きている時に絶対の幸福にする働きまではないと教えていたのです。

唯願無行」というのはただ願だけで行はない、ということです。
どんなことでも、願と行がそろわないと成就しません。
例えば、「マイホームが欲しい」というのは願です。
ところが、貯金が1万円しかないと、マイホームは建ちません。
腹が立ちます。
マイホームを建てる願いはあっても力がない、ということです。

それと同じように、南無阿弥陀仏は、素晴らしいことは間違いない。
しかし苦しみ悩む私たちをこの世で助ける働きまではないというのが唯願無行ということです。

念仏を称えて救われるのは?

では『観無量寿経』の最後に、五逆罪を造った極重の悪人が、南無阿弥陀仏を称えて救われたと説かれているのはどうしてかというと、お釈迦さまの 「別時意趣(べつじいしゅ)」という方便と解釈しました。
別時意趣」というのは、怠け者にモチベーションを起こさせるための話の仕方ということです。
例えば、億万長者になるには一日一円貯金すればいい、というようなものです。
それは確かに億万長者になれますが、一億日かかります。
別時意趣の別時というのは、別の時ということで、遠い未来ということです。
南無阿弥陀仏と称えるだけでは、「阿弥陀さま、助けてください」と願うだけで、それだけの修行をしていないのだから、いつかは助かる縁となっても、すぐに助かるのではない、ということです。

当時、念仏はこのような方便だとお釈迦さまの真意が誤解されていたので、念仏を称える人はほとんどいなくなってしまったと言われます。

善導大師の六字釈

このようなすべての人が救われる道は、風前の灯火となっていた危機的な状況で、一人立ち上がられたのが善導大師でした。

善導大師は、南無阿弥陀仏は「願行具足(がんぎょうぐそく)」であると明らかにされました。
願も行も南無阿弥陀仏におさまっているから、南無阿弥陀仏を頂いた時救われる、ということです。
南無阿弥陀仏には無上甚深の功徳利益がおさまっているから、死んでからではない、生きている現在救われる、平生業成の教えを善導大師は明らかにされたのです。

親鸞聖人は、これこそ仏の正意だと言われ、このように教えられたのは善導大師だけだったので、『正信偈』に
善導独り仏の正意を明らかにされた
と言われているのです。

どのように明らかにされたのかというと、それが善導大師の古今楷定(ここんかいじょう)の六字釈です。
古今楷定というのは、古今の間違いを正し、是非を定めることです。

これを蓮如上人は、『御文章』に何度も何度も引用されています。

「南無阿弥陀仏」の六字を善導釈していわく
「『南無』というは帰命なり。またこれ発願回向の義なり。
『阿弥陀仏』というはその行なり。
この義をもってのゆえに かならず往生することを得」といえり。(御文章)

南無阿弥陀仏」の「南無」には2つの意味がある。
一つは帰命、もう一つは発願回向ということです。
次に「阿弥陀仏」というのは行だ。
行というのは助ける働きであり、助ける力です。
南無阿弥陀仏にはこのように、願も行もおさまっているから必ず往生できるんだ。
南無阿弥陀仏一つで救われると善導大師は教えられたのです。

では、帰命とか発願回向というのはどんなことなのでしょうか。

南無の意味

南無というは帰命」とは、南無は信ずる心である、ということです。
何を信ずる心かというと、阿弥陀仏です。
私たちにはまことの仏である阿弥陀仏を信ずる心は微塵ほどもありませんので、まことの阿弥陀仏を信ずる心を作って与えてくだされるということです。

発願回向」の回向とは、与えるということですから、 願をおこして与えるというのが発願回向です。
阿弥陀仏が回向するという願をおこして作ってくだされた信ずる心が南無なのです。
これを蓮如上人は、このように教えられています。

この信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便より発さしむるものなり。
(御文章2帖目1通)

信ずる心も念ずる心も、私たちの心ではなく、阿弥陀如来のお力でおこされた心です。
私たちには信ずる心も念ずる心もないから、阿弥陀仏がおこされるわけです。

だから阿弥陀仏を信ずるのは、私たちの心ではありません。
阿弥陀仏が下された願です。

信ずる心くらいはある?

普通は信心といえば、信ずる心くらいは自分にあるとか、信ずる心くらいは自分が起こさなければならないと思います。
唯願無行といった人たちも、自分に「阿弥陀さま、助けてください」という願があると思っていますし、お釈迦さまを信ずるとか、観音菩薩を信ずるという場合、自分の心で信じます。

ところが、まことを信じられるのは、まことの心を持った者だけです。
まことの心のない者は、まことを信じることができるはずがありません。

ところが私たちは、自分にまことの心がないとはどうしても思えません。
少しくらいはあるだろうと思っています。

ところが親鸞聖人は、真実の自己をハッキリと知らされて、こう言われています。

浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし(悲歎述懐和讃)

浄土真宗」は阿弥陀如来の本願のことです。
阿弥陀如来の本願に救われると、まことの心は微塵もないとハッキリします。

ところが、観音さまを信じているとか、
お釈迦さまを信じているという信心は、
自分の心で信じていますから、そもそも信じる心がまことではないので、まことの信心ではありません。
それでは助かるはずがありません。
絶対の幸福になるには、まことのものをまことの心で信ずるしかないのです。

まことを信ずるには?

では、まことの心が微塵もない私たちが、どうしてまことの阿弥陀仏を信ずることができるのでしょうか。
それには阿弥陀仏がまことの心を作って、与えてくださるしかありません。
阿弥陀仏の作ってくだされたまことの心で阿弥陀仏を信ずる、ということです。

阿弥陀仏は、まことを信ずる心も、南無阿弥陀仏の南無の二字におさめてくだされます。
その心で阿弥陀仏を信じさせて助けるというのが南無阿弥陀仏の六字です。
だから、南無阿弥陀仏の南無は、南無釈迦牟尼仏や南無観世音菩薩の自分で信じようとする南無とはまったく違います。
私の心ではなく阿弥陀仏の心なのです。

しかしながら、阿弥陀仏を信ずる心というのは、本来は私たちが持たねばならない心なので「」といいます。
」というのは仏教でのことです。
阿弥陀仏の本願を「」といいます。
法というのは信ずる対象です。
この機と法と一体になったのが機法一体(きほういったい)の南無阿弥陀仏です。
これを蓮如上人は、このように教えられています。

「南無」の二字は、衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。
次に「阿弥陀仏」という四の字の謂は、弥陀如来の衆生を助けたまえる法なり。
この故に、「機法一体の南無阿弥陀仏」といえるは、この意なり。
(『御文章』三帖目七通)

信ずる機」とは信ずる心のことです。
信ずる心を持たない者のために、信ずる心もおさめた南無阿弥陀仏の六字の名号を作ってくだされたのです。
願も行もない私たちが、なぜ浄土へ往けるのかというと、名号の中に願も行もおさまっているから、名号を頂いた一念の瞬間に「願ぜずの願人、行ぜずの行人」となって、生きている時に往生が定まるからです。
この機法一体の南無阿弥陀仏を丸もらいして、どんな極悪人でも、生きている時に後生の一大事を解決して、絶対の幸福に救われます

この善導大師の古今楷定の六字釈によって、お釈迦さまの正意は明らかにされ、どんな人でも救われる大きな道が開かれたのです。

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