浄土真宗のお歳暮−歳末の礼

歳末の礼

約500年前、仏教に明らかにされた本当の生きる意味を日本全国津々浦々に伝えられた蓮如上人が、年末に、京都から大阪へ行こうとされた時のことです。

12月6日に富田殿へ御下向にて候間、5日の夜は、大勢御前へ参り候に、仰せに「今夜は何事に人多く来たりたるぞ」と。

山科本願寺(京都市山科区)におられた蓮如上人が、明日12月6日は、摂津(大阪府高槻市)の富田御坊へ出発しようとされた時、前日の5日の夜にはたくさんの人が蓮如上人を訪ねてきました。

「どうしてあんなに沢山の人が来られたのじゃ?」
とお尋ねになられると、お弟子の法敬房順誓は言いました。

順誓申され候は
「まことにこの間の御聴聞申し、有難さの御礼のため、また明日御下向にて御座候、御目にかかり申すべしかの間、歳末の御礼の為ならん」
と申し上げられけり。

「上人さまが、明日ご出発になられますから、もう年内にお目にかかることができません。
それで、歳末のお礼に参ったのでございましょう
とお答えしました。

すると、どうおっしゃったと思いますか?

そのとき仰せに
無益の歳末の礼かな、歳末の礼には、信心をとりて礼にせよ
と仰せ候いき。(御一代記聞書)

そんなものは礼にならん。必要ない。
歳末の礼には信心をとりて礼にせよ

とおっしゃっています。

信心をとる」というのは、本当の生きる目的を完成し、絶対の幸福になることですから、
「そんな人並みな礼よりも、はやくそなたがたが本当の生きる目的を完成して、本当の幸せになることが、この蓮如のもっとも嬉しいことなのだ。
仏教を聞いて、歳末の礼には、はやく本当の幸せになってもらいたい」
とおっしゃったのです。

一年といっても、毎年あっという間に過ぎてゆきます。

今年も一年、私たちは一体、何をしてきたでしょうか。
何を求めて、生きてきたのでしょうか。

どれだけお金があっても、地位や名誉があっても、心からの安心も満足もないと分かっていながら、やっぱりそんなものを求めては来なかったでしょうか。

どれだけ便利で自由になれば、満足できるのか、どんな子供に育てば安心できるのか、どれだけ名誉や財産をつくれば、満足して死ねるのか。
私たちの求めているすべては求めきったということがなく、やがて滅びるものばかりです。

生まれがたい人間に生まれたのは何のためなのかよくよく反省し、仏教を聞いて、一日も早く、本当の生きる目的を知り、達成させて頂きましょう。

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