恩徳讃(おんどくさん)の意味

恩徳讃」は、浄土真宗の法話の最後によく歌われます。
楽譜は色々ありますが、本願寺派の沢康雄さん作曲の「旧譜」と大谷派の清水脩さん作曲の「新譜」の2種類が一番よく歌われます。
恩徳讃は、親鸞聖人の正像末和讃の最後の和讃です。
一体どんな意味なのでしょうか?

恩徳讃とは

本当の生きる意味を明らかにされ、浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、今日世界の光といわれます。
その親鸞聖人が90年のご生涯、持ち続けられた心が恩徳讃です。
そして親鸞聖人を一生涯動かし続けた心がこの恩徳讃なのです。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし(正像末和讃)

恩徳」とはご恩ということです。
親鸞聖人は、「身を粉にしても、報いずにおれないご恩がある。
骨を砕いても返さずにおれないご恩がある

と言われています。

身を粉にしたり、骨を砕けば死んでしまいますので、常識的に考えますと、そんなご恩は考えられません。
どんなに病気を治して下された医師がいても、死んでもご恩に報いずにおれないと思うでしょうか。
せっかく命を救ってもらっても、その命を失ってしまえば元も子もありません。
命を救ってもらっても、そうは思わないのです。

親鸞聖人はどなたのご恩を身を粉にしても返さなければならないと思われたのでしょうか?

恩徳讃の恩徳はどなたの恩徳?

親鸞聖人が身を粉に骨を砕いても返さずにおれないといわれたのは、どなたのご恩かといいますと、まず「如来(にょらい)」です。
如来」といっても、大日如来とか薬師如来、釈迦如来など色々ありますが、この如来は阿弥陀如来のことです。
阿弥陀如来の大慈悲のご恩は、身を粉にしても報ぜずにおれない、ということです。

次に「師主知識(ししゅちしき)」とは、お釈迦さまをはじめ、阿弥陀如来のことを正しく伝えて下された仏教の先生のことです。
正しい仏教の先生方のご恩も、骨を砕いても返さずにおれないといわれています。

1.阿弥陀如来とは

お釈迦さまも阿弥陀如来もレッテルが違うだけで同じ仏だと思っている人がありますが、そうではありません。
釈迦如来と阿弥陀如来はどう違うのかといいますと、蓮如上人は『御文章』にこう教えられています。

弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば
(御文章2帖目8通)

地球では、仏のさとりを開かれた方は、2600年前に現れたお釈迦さまただお一人ですが、大宇宙には、地球のようなものが数え切れないほどあります。
仏のさとりを開かれた方も数え切れないほどあるとお釈迦さまは説かれています。
それらの仏を十方諸仏といいます。
十方とは仏教で大宇宙のことです。
その大宇宙の仏の本師本仏が阿弥陀如来です。
本師も本仏も先生ということですから、大宇宙のすべての仏の先生が阿弥陀如来です。
お釈迦さまも大宇宙の仏の一仏ですから、阿弥陀如来とお釈迦さまの関係は、先生と生徒、師匠と弟子の関係にあります。

仏教では、弟子の使命は、先生の御心を伝えることだけですから、お釈迦さまは、阿弥陀仏のことを私たちに教えてくだされたのです。

2.師主知識とは

お釈迦さまの説かれた一切経は、七千余巻というたくさんのお経ですが、親鸞聖人は、一切経を何度も読み破られて、お釈迦さまの説かれたことは、阿弥陀如来の本願ただ一つであったと『正信偈』に教えられています。

如来、世に興出したもう所以は、ただ弥陀の本願海を説かんが為なり
(正信偈)

この如来は、この世にお出ましになった如来ですから、お釈迦さまのことです。
お釈迦さまが地球上に現れて、仏教を説かれた所以は、ということです。
所以」とは目的のことですから、お釈迦さまが仏教を説かれた目的は、ということです。

それは、ただ阿弥陀如来の本願一つを説かれるためであった、と断言されています。
一切経を99%読んでも、こんな断言はできません。
あとの1%に、他のことが書いてあれば間違いになってしまうからです。
親鸞聖人は、一切経を何回も読み破られての断言なのです。
ですから、お釈迦さまが一生涯教えられたことは、阿弥陀如来のこと一つであったのです。

お釈迦様は2600年前、インドにお生まれになられて、初めて阿弥陀仏のことを説かれた方です。
それから日本の親鸞聖人まで、インド、中国、日本と正しく伝えてくださった方があります。
その方々のご恩も骨を砕いても返さずにおれないと言われています。

このように親鸞聖人は、阿弥陀如来と師主知識のご恩に報いずにおれないといわれています。それはどんなご恩なのでしょうか?

恩徳讃の恩徳は何のご恩?

親鸞聖人は、4歳の時に、お父さんを、8歳でお母さんを亡くされました。
そして、次に死んで行くのは自分の番だ、死んだらどうなるのだろうと真っ暗な後生に驚かれて、9歳で出家されました。

死は、私たちの人生最大の問題です。
それは、生きていればやがて必ず直面します。
誰も避けることのできない問題です。
死んだらどうなるか気にかかることが、仏法の始まりです。

親鸞聖人は、この死の問題を解決するには、仏門に入るよりないと思われたのです。
この死んだらどうなるかの一大事を「後生の一大事」といいます。
後生の一大事は、人生80年か100年よりも比較にならない長期間、苦しみの世界に沈まなければなりません。
取り返しのつかない一大事です。
仏教は後生の一大事を知るところから始まり、後生の一大事の解決に終わる
といわれるように、仏教の目的は後生の一大事の解決一つなのです。
ですから、恩徳讃の恩徳も、後生の一大事を解決して頂いたご恩です。

後生の一大事の重さ

この後生の一大事を解決することは大変なことで、
大宇宙の諸仏にさえもできないことです。
これを蓮如上人は『御文章』にこう教えられています。

むなしく皆十方・三世の諸仏の悲願にもれて、捨て果てられたる我らごときの凡夫なり。(御文章2帖目8通)

諸仏の悲願」とは、大宇宙のたくさんの仏さまの慈悲の願いです。
慈悲の心がなければ仏のさとりは開けませんので、大宇宙の諸仏には、みな慈悲の心があります。
慈悲」とは、苦しみを抜いて、楽しみを与えたいという心です。
その慈悲の願いを「悲願」といわれます。
ところが諸仏にはどんなに私たちを助けたいと思っても、助ける力はありません。
それが「悲願にもれて」ということです。
それというのも、私たちの罪が重すぎて、どうにもならないと捨て果てられたのです。
凡夫」とは人間のことです。
あまりに罪が重すぎてとても助けることができないと諸仏に見捨てられた私たちなのです。
ではどうすればいいのでしょうか?

後生の一大事の解決の唯一の道

そこで立ち上がられたのが、諸仏の先生の阿弥陀如来です。

しかればここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば、久遠実成の古仏として、今の如きの諸仏に捨てられたる末代不善の凡夫・五障三従の女人をば弥陀にかぎりて、「われひとり助けん」という超世の大願を発して、われら一切衆生を平等に救わんと誓いたまいて、無上の誓願を発して、すでに阿弥陀仏となりましましけり。(御文章2帖目8通)

弥陀にかぎりて、『われひとり助けん』という超世の大願を発して」と言われているように、阿弥陀仏だけが、すべての人を必ず助けるという、超世の大願(ちょうせのだいがん)をおこされたのです。
超世」の「」は、地球上のことだけではありません。
大宇宙のことです。
大宇宙の諸仏のおこせなかった大願をおこされています。
これが阿弥陀如来の本願です。

この阿弥陀如来の本願によって、生きているときに後生の一大事を解決して頂くと、死ねば浄土へ生まれられるとハッキリします。
これを『歎異抄』では無碍の一道(むげのいちどう)といわれ、今日の言葉では、絶対の幸福といいます。
生きている時に、後生の一大事を解決して頂き、絶対の幸福に救われますから、阿弥陀如来の救いを「平生業成(へいぜいごうじょう)」といいます。
平生業成」の「平生」とは死んでからではありません。生きているときです。
」とは、人生の大事業のことで、絶対の幸福のことです。
」は完成のことで、絶対の幸福に生きているときになれる、ということです。

絶対の幸福とは、永遠の幸福のことですから、永遠の生命が救われるということです。
本来は永遠に苦しみの世界に沈むところ、死ねば浄土へ往って、仏に生まれることができるのです。
だから、この世で救われたというのとは比較にならない喜びなのです。

親鸞聖人は、29歳のときに、阿弥陀如来に救われたといわれています。
阿弥陀如来の絶対の救いにあえば、渦巻く人生のままが光明輝く人生と転じ、燃え立つ煩悩のままが、ご恩喜ぶ種となります。
大海の一滴も報いきれない身に泣かされて、身を粉にしても、骨を砕いても、ご恩返しせずにおれなくなります。
やるなといわれてもやります。
恩徳讃の気持ちが起きないのは、まだ救われていないからなのです。
では、どうすれば、阿弥陀如来のご恩に報いることができるのでしょうか?

ご恩返しするには?

親鸞聖人は、29歳で阿弥陀如来に救われて、返しきれない広大なご恩に泣かれ、どうすればご恩返しできるかと悩まれました。
あまり悩まれて、三日三晩高熱を出されて寝込まれたこともあります。
その時、親鸞聖人が思い出されて、「そうだった」と叫ばれたのが、この善導大師のお言葉です。

自ら信じ人に教えて信ぜしめることは
難きが中に転た更に難し。
大悲を伝えて普く化す、
真に仏恩を報ずるに成る。

自ら信じ人に教えて信ぜしめることは」とは、自分が絶対の幸福に救われて、人も絶対の幸福に救われるまで導くということです。
自分も他人も幸せになる、自利利他ということです。
難きが中に転た更に難し」とは、難しい中にも難しい、これほど難しいことはない、ということですが、その難しいことをやる、ということです。
大悲を伝えて普く化す」とは、阿弥陀如来の本願を伝えるということです。
阿弥陀如来の本願を伝えるとは、それ一つ教えられたのが仏教ですから、仏教を伝えるということです。
仏教を伝えて、すべての人が絶対の幸福に救われるまで導くことこそが、「真に仏恩を報ずるに成る」といわれています。
真に」とは、一番ということです。
仏教を伝えることこそが、最も阿弥陀仏のご恩に報いることになるのだ、ということです。これは、親鸞聖人の主著の『教行信証』にも引用されているお言葉です。

恩徳讃の「身を粉に、骨を砕いても報わすにおれない」ということは、
死んでも伝えずにおれないということですが、
これは決してオーバーではありません。
単なる形容詞でもありません。
親鸞聖人は本心から言われているのです。

では、29歳で阿弥陀仏の救いにあわれた親鸞聖人は、どのような恩徳讃のご活躍をなされたのでしょうか?

親鸞聖人の恩徳讃のご活躍

親鸞聖人は、29歳で阿弥陀如来に救われてから、90歳でお亡くなりになるまで、まさに波瀾万丈のご生涯でした。

31才では、僧侶として初めて公然と結婚されています。
これを「肉食妻帯」といいます。
世間中から死ぬまで非難攻撃を受けられました。
それまで出家して修行をしなければ救われないのが仏教だと思われていたところ、ありのままで救われるのが仏教であることを身をもって明らかにされたのです。
その勇気も恩徳讃のお気持ちからです。

34才では、お友達と大げんかをしておられます。
お友達の仏教の聞き誤りを放っておくことはできなかったために、大論争をされてまで、本当の仏教を明らかにされたのです。
それで、お友達からも非難攻撃を受けられるようになりました。
あの激しさも恩徳讃のお気持ちに動かされてのことです。

翌年の35才の時には、真実の仏教をあまりにも徹底されたために、信心の時の権力者から弾圧を受けられました。
一時は死刑の判決まで受けられて、京都から新潟県へ流刑になっておられます。
今でいえば、死刑が無期懲役になったということです。
権力者と決別されてまで、真実の仏教を徹底された潔癖さも、恩徳讃のお気持ちからです。

その後、関東へ行かれ、弁円という山伏が刀を持って殺しにきた時も、
御同朋・御同行(おんどうぼう・おんどうぎょう)」
とかしづかれ、親しく仏法を伝えられています。
その優しさも恩徳讃のお気持ちからです。

雪の中、一夜の宿を求められたときは、仏教嫌いの日野左衛門に断られました。
親鸞聖人はその日野左衛門を救うために、その門前で、雪をしとねに石を枕に休んでおられます。
あの柔和さも恩徳讃から現れたものです。

84才の時には仏法をねじ曲げた、50才の長子善鸞を義絶され、死ぬまで顔を合わされませんでした。
あの厳しさも、恩徳讃のお気持ちからです。

阿弥陀仏に救い摂られたご恩返しはこれで相済み、これで報い終わったということはありません。
頂いた幸せばかりが大きくて、どれだけやっても少しも報いきれない仏恩に感泣するしかありません。
どれだけやっても済みません、済みません、と御恩報謝に突き進まずにおれないのです。

このように親鸞聖人は、29才の時に阿弥陀如来に絶対の幸福に救われて以来、
身を粉にしても、骨を砕いても返さなければならないご恩があるんだと、
恩徳讃の心に生涯を貫かれています。
親鸞聖人の言動はすべて、恩徳讃から出てきているのです。

では、それは死ねば終わりでしょうか?

恩徳讃は死んだら終わり?

死んでも報いずにおれないという恩徳讃のお気持ちは、親鸞聖人のご遺言である『御臨末の御書』にも言われています。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。

我が歳きわまりて」とは、いよいよ親鸞、この世も最期となったということです。
では死んだらどうなるかといいますと、「安養浄土に還帰す」といわれています。
安養」とは阿弥陀如来のことですから、
安養の浄土」とは、阿弥陀仏の極楽浄土のことです。
死ねば、浄土へ往生することがハッキリしている、ということです。

では、親鸞聖人は、死んで極楽浄土へ往かれて末永く幸せに暮らしておられるのでしょうか?
ああ娑婆はひどい所だった。
弁円は白昼堂々殺しにくるし、日野左衛門の門前では寒くて死にそうだった。
極楽ではゆっくりしよう

とは言われていません。ゆっくりするどころか、
和歌の浦曲の片男浪の寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ
と言われています。

これは、海岸に打ち寄せる波のように、すぐに帰ってこようということです。
和歌の浦曲の片男浪」とは、親鸞聖人がお好きだったといわれる和歌山県の片男波海岸の波です。
波は、寄せては返し、寄せては返し、無限に寄せかけ寄せかけ返ってきます。
親鸞聖人は、その波にたとえられて、何度死んでも、無限に返ってきて、ご恩返しせずにおれないんだと言われているのです。

そして、
一人居て喜ばは二人と思うべし、
 二人居て喜ばは三人と思うべし、
 その一人は親鸞なり

一人じゃないぞ、二人だぞ、二人じゃないぞ、三人だぞ、
いつも親鸞はそばにいるからな、常にあなたの側から離れないぞ、といわれています。
一人居て喜ばは」ということは、苦しい時は遠くから見ていて、喜んだら近くに行こうということではありません。
喜んでいるときは、別に来てもらわなくても大丈夫です。
喜んでいる時にそばにいるということは、苦しい時も、悩んでいる時も、悲しんでいる時も、そばにいるということです。

すぺての人が、親鸞と同じ、この身に救われるまで、じっとしておれないんだ。
この世で精一杯ご恩返ししたけど、広大無辺なご恩の万分の一、億分の一もできなかった。
だから最後の一人が阿弥陀如来の救いにあうまで、何度でも戻って来るぞ

ということです。

しかもお亡くなりになる時にもこのように言われて、
親鸞聖人の恩徳讃は、死んで終わりではなかったということです。
この恩徳讃の気持ちは永遠に変わりません。
死んでからもずっとその心は続きます。
そして寄せかけ寄せかけ返ってくる波のように、今も熱い恩徳讃のお気持ちで、あなたのもとへ来られているのです。

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