輪廻転生(りんねてんしょう)とは

輪廻転生」とは、生まれ変わりのことです。
しかも車の輪が同じ所をぐるぐる回るように、生まれ変わりを繰り返します。
しかも生まれ変わる世界は苦しみ迷いの世界ばかりです。
どうすれば輪廻転生の輪から離れる「解脱(げだつ)」ができるのでしょうか?

輪廻転生は説かれていない?

輪廻転生とは、苦しみ迷いの世界を繰り返し生まれ変わることです。
よく、死んだら無になるという人があります。
しかもそういう人は、科学的には死んだら無になると思っていますが、
科学を学ぶと、死んだら無になることは科学的には実証できないことが分かります。

時々、仏教では輪廻転生は説かれていないという人がありますが、お釈迦さまは、お経の至るところに説かれています。
例えば『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』にはこうあります。

衆生、長夜に生死輪廻す。(雑阿含経)

衆生」とは、生きとし生けるもの、ということで、私たちも衆生です。
生死(しょうじ)」とは、輪廻と同じことで、生まれたり死んだりすることです。
私たちは、遠い過去から生まれ変わり死に変わり、車の輪が果てしなく回るように、生死を繰り返しているので、それを長い夜にたとえて、「長夜に」といわれています。
私たちは、果てしなく遠い過去から、永遠の未来に向かって、果てしなく輪廻転生しているのです。

また、たまに浄土真宗では輪廻転生はしないと思っている人がありますが、そうではありません。
浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、主著の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』にこのようにいわれています。

自ら流転輪廻をはかるに、微塵劫を超過す(教行信証)

1劫(こう)は4億3200万年といわれますから、大地を微塵(みじん)に砕いた数の劫よりも長い期間が過ぎ去ったけれども、輪廻転生してきた。
ずっと迷いを重ねてきたといわれています。

では生死輪廻(しょうじりんね)とか、流転輪廻(るてんりんね)とはどんなことなのでしょうか?

この世の輪廻

輪廻というのは、車の輪が回ると書きますように、車の輪が回るように際限がない、果てしがない、ということです。
生死というのは苦しみですから、苦しみに果てしがないことです。
これを親鸞聖人は御和讃に、こう教えられています。

生死の苦海ほとりなし(高僧和讃)

私たちの生きている世界を苦しみの海にたとえられて、海に果てしがないように、苦しみ悩みが次から次へとやってきて、果てしがない、と教えられています。
科学がどんなに進歩しても、経済がどんなに発展しても、自殺者はなくなりません。
これほど便利な生活ができるようになった日本でも、毎年何万人という人が、
こんなに苦しいのなら、死んだほうがましだ
と自ら命を断っています。

便利な生活ができても、どれだけお金があっても、心からの安心や満足はできないのです。
生死の苦海ほとりなし
といわれている通りです。

私たちの毎日も、同じことの繰り返しで、時間だけが過ぎていきます。
一休は、
人生は 喰て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる」(一休)
と言っています。
食べたり出したり、寝たり起きたりの繰り返しで、子供が親となり、その子供もまた親となって、やがて人生を終えて死んでしまう、ということです。
毎日が同じことの繰り返しで、人間に生まれてよかったという喜びがないまま、人生を終わってしまうのです。

では、この世で輪廻から離れられず、輪廻したまま人生を終わった人は、死んだらどうなるのでしょうか?

輪廻転生する世界

この世で輪廻から離れられなかった人は、迷いの解決ができていませんから、死んでまた輪廻します。
死後の輪廻というのは、別の迷いの命に生まれ変わるということです。

生まれ変わりというと、多くの人は、人間界だけを生まれ変わると思っています。
ところが、次に生まれるのは、必ずしも人間とは限りません。
もちろん動物や魚に生まれ変わったりもします。
どんなところに生まれ変わるのかというと、お釈迦さまはこう教えられています。

我、衆生の六道を輪廻することを観る(楞伽経)

すべての生きとし生けるものは、六道という6つの迷いの世界を生まれ変わり死に変わり、輪廻しているとお釈迦さまは言われています。
その色々な生命に生まれ変わっている中で、私たちは今たまたま人間に生まれているのです。
また、このようにも説かれています。

三界の衆生、六趣を輪廻すること旋火輪の如し(観仏三昧経)

三界の衆生」というのは、すべての生きとし生けるもののことです。
六趣」というのは、六道と同じで、6つの苦しみ迷いの世界です。
すべての生きとし生けるものは、旋火輪のように、六道を生まれ変わり死に変わり、輪廻しているといわれています。
旋火輪」というのは、暗い所で火のついた棒を回した時に見える、丸い火の軌跡です。
すべての人は、火の輪のように、輪廻転生を繰り返しているのです。

では六道というのは、どんな世界なのでしょうか。

六道とは?

六道とは、六つの迷いの世界です。
私たちは、死ぬまでの行いによって、次の世界に生まれるのですが、大きく分けると6つになります。それが六道です。
この六道を5つに分けた場合は、「五道(ごどう)」とか「五趣(ごしゅ)」ともいいます。

では、六道とはどんな世界かというと、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の6つの世界です。
それぞれどんな世界でしょうか。

まず1番目の「地獄界」というのは、最も苦しみの激しい世界です。
死ぬまでの行いが悪い人は、地獄に堕ちて果てしなく長い間苦しみを受け続けなければなりません。
怒りの心によって堕ちると教えられています。

2番目の「餓鬼界」 というのは、飢えや渇きに苦しむ世界です。
食べたいものも食べられず、飲みたいものも飲めずにガリガリに痩せ細って苦しみます。
欲の心によって堕ちると教えられています。

3番目の「畜生界」というのは、動物の世界です。
弱肉強食でいつ喰われるか分からないので、常にびくびくして怯えている世界です。
愚痴の心で堕ちると教えられています。

4番目の「修羅界」というのは、ケンカの絶えない世界です。
夫婦ゲンカの絶えない家を「あの家は修羅場だ」といいますが、いつも争い続ける世界です。

5番目の「人間界」は、私たちが今生まれている世界です。
人間に生まれるには、殺生をしない、嘘をつかない、お酒を飲まないなどの「五戒」といわれる5つのルールを守り続けなければなりません。
そう簡単に生まれることのできない世界です。

6番目の「天上界」は、楽しみの多い世界です。
仏教ではのことを天とか天人というので、天上界は、神の世界とか、天国のようなものです。
この世界に生まれるには、五戒を守っているのはもちろん、さらに「十善」といわれる十の善を行わなければなりません。
それでも天上界は永遠ではありません。
やがて寿命がきて、それまでの行いによって、また次の世界へ輪廻転生しますので、天上界といえども迷いの世界です。

これらの6つの迷いの世界を私たちは、生まれ変わり死に変わり輪廻転生し、迷いの旅を続けているのです。
この六道のうちのどの世界に生まれるかは、順番などはなく、死ぬまでの自分の行いによって決まります
どの世界に生まれるかは、因果応報なのです。

では私たちは、いつから輪廻転生してきていて、これまで累計何回くらい輪廻転生しているのでしょうか?

輪廻転生の始まりと回数

私たちは一体いつから輪廻転生してきたのか、現在、何回目くらいなのでしょうか?
よく世間では、転生回数は200回とか、平均500回とか、数百回単位でいわれています。
これは、動物や人間、及び天上界だけに生まれ変わるとして、地球の歴史から考えて、その位の数字を想定しているからです。
ところが仏教では、輪廻転生するのは、地球上だけではありません。
地獄や餓鬼など色々な命に生まれ変わります。
私たちがいつから輪廻転生してきたのかというと、お釈迦さまは、『大無量寿経』にこう教えられています。

一切の諸天人民、一切の四衆、永劫よりこのかた五道に展転して、憂畏勤苦つぶさに言うべからず。
乃至今世まで生死絶えず。(大無量寿経)

一切の諸天人民」というのは、すべての神も人間も、ということです。
四衆」というのは、お釈迦さまのお弟子を4通りに分類して、出家の男性、出家の女性、在家の男性、在家の女性の4通りを四衆といいます。
ですから「一切の四衆」というのは、男女や出家を問わず、すべてのお釈迦さまのお弟子も、ということです。
永劫よりこのかた五道に展転して」というのは、果てしない遠い過去から、六道を生まれ変わり死に変わりして、ということです。
憂畏勤苦つぶさに言うべからず」というのは、その輪廻転生してきた間の憂いや恐れ、苦しみは、詳しく説くことができない。
言語に絶する苦しみである、ということです。
乃至今世まで生死絶えず」というのは、限りない過去から、人間に生まれている今まで、輪廻転生は絶えたことがない、ということです。

親鸞聖人も『教行信証』に「無始生死」と言われていますように、輪廻転生は始まりがありません。
始まりのない始まりから輪廻転生を繰り返しているのです。
ですから転生回数は、数百回、数千回はおろか、幾億兆とも知れません。
今人間に生まれるまでに無限回の輪廻転生をしてきているのです。

では、そんな輪廻転生に終わりはあるのでしょうか。
私たちは、いつまでしなければならないのでしょうか?

輪廻転生の終わり

よく浄土真宗では、死んだら極楽に生まれるから、輪廻転生はしないと思っている人が多くあります。

輪廻転生に終わりがあるのかということについて、お釈迦さまはこのように教えられています。

もろもろの衆生、諸趣を輪廻し、よく脱することなし。(正法念経)

諸趣」とは、色々の世界のことで、六道のことです。
私たちは六道を輪廻して、「よく脱することなし」というのは、脱することができない、ということです。
ということは、輪廻転生には果てしがなく、終わりはない、ということです。
これからも永遠に輪廻転生して、苦しみ迷いの旅を続けなければならない、ということです。

それが、「生死の苦海ほとりなし」ということです。
私たちは、今人間界に生まれた人生が終われば、死後も果てしなく輪廻転生をし続けなければならない、ということです。
これを後生の一大事といいます。
後生というのは、死んだらどうなるか、ということですから、死んだら永遠に苦しみ迷いの旅をし続けなければならない大問題を後生の一大事といいます。

では、そんな果てしない輪廻転生の中で、私たちが一時的に人間に生まれたことに何か意味があるのでしょうか?

人間に生まれた意味

私たちが人間に生まれたことにはどんな意味があるかというと、大いに意味があります。
その後生の一大事の解決を教えられたのが、仏教であり、その真髄を明らかにされたのが、浄土真宗なのです。
ところが、仏教を聞けるのは人間に生まれた時だけですので、人間に生まれた時しか、迷いを解決して、輪廻転生から離れることはできないのです。

私たちが生まれてから死ぬまでの間に、この果てしない迷いを解決して、未来永遠の幸せになることが、本当の生きる意味なのです。
これを蓮如上人は、『御文章』にこう教えられています。

我が身ありがおの体をつらつら案ずるに、ただ夢の如し、幻の如し。
今に於ては、生死出離の一道ならでは、願うべき方とては、一もなく、また二もなし。(御文章)

今は人間に生まれているといっても、この世は無常の世界。
最後は夢幻のように消えて行く、ということです。
私たちの真に願うべきことは、生死から出離すること以外にはない、
輪廻転生から離れて永遠に変わらない幸せになること一つだ

これが本当の生きる意味なのだ、
ということです。

では、どうすればこの輪廻転生の迷いの解決ができるのでしょうか?

輪廻転生の解決の道

輪廻転生から離れるにはどうすればいいのでしょうか。
仏教では、すべての結果には必ず原因があると教えられています。
輪廻転生にも、原因がありますので、その原因を知り、その原因をなくせば、輪廻転生から離れることができます
では、その輪廻転生の原因とは何かというと、親鸞聖人は、こう教えられています。

流転輪廻のきわなきは
疑情のさわりにしくぞなき(高僧和讃)

流転輪廻のきわなきは」というのは、輪廻転生に果てしがないのは、ということです。
私たちは、どんなにお金があつても、好きなことをやっても、同じところをぐるぐる回って、苦しみ悩みに際限がありません。
私たちが果てしなく迷い続けているのは、なぜかということを、
流転輪廻のきわなきは
といわれています。
ですから、流転輪廻のきわなきは、というのは、私たちの苦しみ悩みの根本原因は、ということです。

では、流転輪廻のきわなきは、なぜかというと「疑情のさわりにしくぞなき」といわれています。 「しくぞなき」というのは、これに及ぶものはない、これ以上のものはない、ということです。
私たちの苦しみ悩みの根本原因は「疑情(ぎじょう)」なのです。

親鸞聖人は『正信偈』にもこう教えられています。

生死輪転の家に還来することは、決するに疑情をもって所止となす。(正信偈)

生死輪転の家に還来する」というのは、苦しみ悩みの世界を行ったり来たりして、家のように離れることができないのは、ということで、私たちが苦しみ悩んでいるのは、ということです。
次に「決するに」といわれています。
これは一つあげるとすれば、これだ、と決定されているのです。
では、私たちが輪廻転生している苦しみ悩みの根本原因を一つあげるとすれば何かというと、それは「疑情をもって所止となす」といわれています。
疑情」一つだ、ということです。

疑情」は煩悩ではありませんので、疑情さえ断ち切られれば、煩悩はそのまま、この世で絶対の幸福になって、死ねば阿弥陀如来の極楽浄土へ往生して、仏に生まれることができるのです。

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