念仏さえ称えたら助かるの?
浄土真宗は「念仏称えたら救われる教え」
とみんなに思われています。
以前はこんなことが高校の教科書にまで書いてあったこともあります。
本当に念仏を称えたら救われるのでしょうか。
親鸞聖人の教えは?
浄土真宗というのは、親鸞聖人の教えをいうのですから、これが浄土真宗かどうかは、親鸞聖人に聞かなければなりません。
親鸞聖人は、主著『教行信証』にはどうあるでしょうか?
然るに称名憶念すること有れども、無明なお存して所願を満てざる者あり。
(親鸞聖人『教行信証』)
これは、一生懸命念仏を称えていても、救われない者がいる、ということです。
どうも単に念仏を称えるだけでは、救われないようです。
では、親鸞聖人の教えを全く自分の考えを入れず、正確に、最も多くの人に伝えられた蓮如上人はどうでしょうか?
蓮如上人の教えは?
蓮如上人のお手紙である『御文章』にはこのように繰り返し記されています。
「名号をもって、何の心得も無くして、ただ称えては助からざるなり」
(御文章1帖目15通)
南無阿弥陀仏の名号を、何も心得ずに、ただ、称えていても助からないのである。
世間に沙汰するところの念仏というは、ただ口にだにも南無阿弥陀仏と称うれば、助かるように皆人の思えり。それは覚束なきことなり。
(御文章3帖目2通)
口に念仏称えれば助かると思っているけど、間違いだ。
ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず。
(御文章3帖目3通)
いくら念仏称えていても、阿弥陀仏の救いにあえませんよ。
浄土往生はできませんよ。
世の中に人のあまねく心得おきたるとおりはただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、極楽に往生すべきように思いはんべり。それは大きに覚束なきことなり。 (御文章3帖目4通)
念仏称えていても、浄土往生できませんよ。
人間に流布して、皆人の心得たる通は、何の分別もなく、口にただ称名ばかりを称えたらば、極楽に往生すべきように思えり。それはおおきに覚束なき次第なり。
(御文章5帖目11通「御正忌」)
世間に広くみんなが心得ているのは、何の違いも知らずに、口にただ念仏を称えたら極楽に往生できると思っている。とんでもない間違いだ。
では、念仏を称えても助からないとすれば、何によって助かるのでしょうか?
親鸞聖人に聞いてみましょう。
何によって救われる?
親鸞聖人は、『教行信証』にこう教えられています。
涅槃の真因は唯信心を以てす。
「涅槃の真因」とは、浄土へ往生する真実の因ということです。
「唯」ですから、2つも3つもありません。1つです。
そのたった1つのこととは何かというと、「信心」だといわれています。
たった1つですから、念仏は入りません。
念仏ではなく、信心1つで救われると教えられたのが親鸞聖人なのです。
これをそのままたくさんの人に伝えられたのが蓮如上人です。
これを漢字4字でいうと?
浄土真宗の朝晩のおつとめで『正信偈』の後に拝読される非常に有名な「聖人一流」という御文章の中には、浄土真宗の教えすべてが記されています。
その冒頭です。
聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候。
(聖人一流の章)
「聖人」とは、親鸞聖人です。
蓮如上人が「聖」の字を使って聖人と言われた場合は、親鸞聖人に決まります。
法然上人とか覚如上人の時は、蓮如上人は「上人」と書かれますが、親鸞聖人の時は「聖人」です。
「聖人一流の御勧化」とは、親鸞聖人90年の教えのすべてです。
「今から聖人の教えのすべてを書くからね」
とおっしゃっています。
「信心をもって本とせられ候」
「信心一つで助かるんですよ」
とおっしゃっています。
阿弥陀仏に救われて浄土往生できる身になるのは、信心一つなのです。
仏教の目的は、浄土往生です。
これが、仏教の教えの目的であり、私たちが親鸞聖人のみ教えを聞く目的も、これ一つです。
蓮如上人が、念仏を称えても助かりませんよ、といわれたのはなぜかというと、信心をもって本とするからだと蓮如上人は教えておられます。
「声に出して南無阿弥陀仏と称えれば、助かると思ってるけど、それは間違いですよ、信心ですよ」
だから「信心をもって本とせられ候」
世間中の人が、思っていることを、
「間違いだぞ、それはー!」
ものすごいことをおっしゃっています。
「信心一つで助かるんですよ」
これを漢字4字で「信心為本」といいます。
「信心をもって本と為す」
これを「信心正因」ともいいます。
浄土真宗・親鸞聖人の教えは「信心正因」なのです。
聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候。
蓮如上人は、
「念仏為本じゃないんだよ。浄土真宗の教えは、信心為本なんだよ」
と教えられています。
浄土真宗で念仏とは?
では、念仏は何なのでしょうか?
浄土真宗では、念仏は救われたお礼の念仏です。
ですから、聖人一流の章にもこのように教えられています。
その上の称名念仏は如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と心得べきなり
(聖人一流の章)
ですから浄土真宗の教えは、漢字8字で言えば
「信心正因 称名報恩」
といわれます。
いくら念仏称えていても、助かりません。
信心一つです。
浄土真宗の教えを正しく学ばせて頂きましょう。
浄土真宗の本質を学ぶ
浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。
関連記事
著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。