他力とは?
他力の誤解
浄土真宗では、
「他力本願」とか、
「自力を捨てて、他力に帰せよ」
と言われます。
この「他力」とは、一体どんな意味なのでしょうか?
世間では、「他力」といえば
「なるべく他人の力にたよって、自分はいい思いをしようとする」
ことのように思われています。
これが間違いだという人でも、
・「自分より優れた者の存在を認め、現状に甘んじることなく、自らにより多くを課し、進んで苦難を引き受け、誰よりも努力するような存在」
・「目に見えない大きな宇宙の力」
・「出口なき闇の時代にギラリと光る、すさまじいパワーを秘めた〈生きる力〉」
・「自力を可能にするための、根本的なもの」
はては
・「究極的にはすべて他力」
など色々な意見があり、混乱してきます。
一体「他力」とは何なのでしょうか。
他力とは?
浄土真宗を開かれた、親鸞聖人に聞いてみましょう。
親鸞聖人は、主著『教行信証』にこう記されています。
他力というは如来の本願力なり
(教行信証行巻)
「如来」とは阿弥陀如来のことです。
「阿弥陀仏の本願の力」とは、「阿弥陀仏のお力」のことです。
『他力』とは阿弥陀仏のお力だけを他力といいます。
もともと仏教の言葉なので、これが正しいのであって、世間では間違ったことばかり言われているのです。
世間では間違いばかり
よくテレビでも、他人のふんどしで相撲をとるとか自分以外の人の力のことを他力といっています。
これは、阿弥陀仏のお力ではありませんので、他力ではありません。
他にも
「私たちは他力によって生かされている」
と言ったりします。
「太陽によって生かされている」
「風が吹いているから生かされている」
太陽なら、ちょうどよく照ってくれるならいいのですが、毎日毎日かんかんでりでは干上がってしまいます。
そんな時、
「太陽様、おかげさまで稲が枯れてしまいました」
と感謝することはできません。
雨も、自分が使いたいだけ降ってくれたらいいのですが、洪水になったらどうでしょう。
「洪水様、おかげで家も流されて、何もなくなってしまいました」
感謝できるでしょうか。
これらは自然の力です。
自然の力は、私たちを育むこともありますが、苦しめることもあります。
それは他力ではありません。
他力とは、阿弥陀仏のお力ですから、あくまで私たちを大安心、大満足、絶対の幸福にさせて下されるお力のみをいうのです。
他力によらなければ真の幸福にはなれませんので、浄土真宗の教えを正しく学ばせて頂きましょう。
浄土真宗の本質を学ぶ
浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。
関連記事
著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。