お釈迦さまと仏教

仏教とは、約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまが、35歳で仏のさとりを開かれて、80歳でお亡くなりになるまでの45年間説かれた教えを今日仏教といいます。
お釈迦さまはなぜ仏のさとりを求められ、仏教にどんな教えを説かれたのでしょうか?

お釈迦さまがお生まれになるまで

お釈迦さまは、約2600年前、北インドのカピラ城に住む釈迦族の王、浄飯王(じょうぼんのう)のもとに生まれられました。
釈迦族は、北インドのヒマラヤの山麓の、大変優秀な民族だったといわれます。

お釈迦さまのことを正式には釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)といいます。
釈迦族の尊者ですので、釈尊(しゃくそん)ともいいます。
親鸞聖人は、釈迦と言っておられますので、お釈迦さまのことを釈迦といっても、別段失礼なことではありません。

お釈迦さまのお母さんは、マーヤー夫人といわれます。
隣の、拘利城(くりじょう)の城主、善覚王(ぜんかくおう)のお姉さんです。

ところが、この二人には、なかなか子供ができませんでした。
ようやく子供ができた時に、お産のぎりぎりまでカピラ城にいて、拘利城に戻ろうとします。
ところが、ぎりぎりまでカピラ城にいたので、旅行の途中で産気づきました。
王族ですので何があってもいいように、医者がついていましたので、ルンビニー園という花畑で、出産されました。

それが後のお釈迦さまです。
4月8日のことでしたので、4月8日を花祭りといって祝われています。

天上天下唯我独尊

お釈迦さまは、お生まれになると同時に、四方に七歩ずつ歩かれて、
天上天下 唯我独尊(てんじょうてんが ゆいがどくそん)」
と言われました。

こういうことは、いくらお釈迦さまでも考えられないことですが、こういう言い方で、お釈迦さまが80才でお亡くなりになるまで何を教えられたのか、表されているのです。

七歩とは、仏教では、苦しみ迷いの世界を「六道(ろくどう)」といわれて、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの世界です。
その苦しみ迷いの世界を一歩出るということが、人間に生まれた目的だ。
それは人間に生まれなければ果たすことのできない、たった一つの尊い目的なんだ、
それを私は明らかにしよう
、ということです。

マーヤー夫人は、ここで生まれてしまったので、里帰りする必要がなくなって、そのままカピラ城に戻られました。
ところが、高齢出産で難産だったために一週間後に亡くなられます。
浄飯王は、奥さんがなくなられたので、大変悲しんだのですが、子供を養育しなければなりませんので、後添えとして、後妻としてマーヤー夫人の妹の、マカハジャバダイ(摩訶波闍波提)夫人をもらわれました。
マカハジャバダイ夫人は、マーヤー夫人の妹で、善覚王の妹です。

アシダ仙人の涙

浄飯王は、生まれた子供を非常にかわいがりました。
跡取りができたことに大変喜んで、悉達多(シッダルタ)と名前をつけました。
お釈迦さまの名前をゴータマ・シッダルタといわれます。

そしてこの子が将来どうなるか知りたいと思われて、よく人の未来を言い当てるといわれたアシダ仙人を城へ呼んで、悉達多太子の将来を見させました。
ところが悉達多太子を一目見たアシダ仙人は、泣きだします。
このめでたい席に、不吉な涙を見せるとは、何事か
浄飯王は、大変怒りました。

アシダ仙人は、
大王がお怒りになられるのも無理はありません。
しかし、泣かずにおれなかった心もお聞きいただきたい。
私の見るところによりますと、王子様の将来は、二つ考えられます。
一つは、大変聡明な方ですので、将来は転輪王
(てんりんのう)になられましよう

転輪王」とは、世界を治めるといわれる王のことです。
浄飯王は
それではなぜ泣いたのか
と尋ねると、アシダ仙人は、
もう一つ考えられます。
ひょっとするといまだかつて誰も開いたことのない高い悟りを開かれる方になる、かもしれません。

ところが、私はこの年ですので、この方が高い悟りを開かれて、尊い教えを説かれる頃には、もうこの世にはおりません。
こんな後にも先にもないような方にめぐりあっておりながら、その教えが聞けないなんてなんと残念なことでしょう。
それが、悲しくて泣いていたのです。

どうかその心情も察してお許しください」

浄飯王は、もうアシダ仙人のことなんか関心がありませんので
そうか、それならもう帰っていいぞ
褒美をとらせて、家に帰らせました。

英才教育

悉達多太子が7つのときに、浄飯王は、文武両道になるように家庭教師をつけました。
一人は、国一番の学者であるバッダラニー、当時の碩学でした。
浄飯王は、将来は跡継ぎになってもらいたいですので、文武両道にならなければならない。
もう一人武芸の先生は、センダイダイバーでした。

悉達多太子は、学問も武芸もどんどん上達してゆかれました。
浄飯王は、当時同年代で、国中の若者を集めて、競争させます。
今日ならオリンピック選手を決めるようなものです。
その大会でも、悉達多太子は、どんな種目でもダントツでした。
学問も武芸もずば抜けていて、いつも勝ってしまいました。

悉達多太子がいかにすぐれていたかは、二人の家庭教師がやがて二人で辞職を申し出てきたことからも分かります。
驚いた浄飯王が、
何か太子が乱暴するのか
と尋ねると、
いえいえ、もう太子様に教えることは何もありません。
馬から矢を射ると、私でも100発のうち1発か2発は外します。
ところが太子様は、百発百中です。
どっちが先生か分かりません。
どうかやめさせてください。
師匠の必要のない方です

それで、悉達多太子は、一人で学問や武芸を練習されるようになりました。

鳥が虫を食べるのを見て物思いにふける

あるとき悉達多太子は、畑を耕しているところで、出てきた虫が鳥に食べられているのをじっとみておられました。
虫や鳥だけでなく、人間もそれと同じように、弱肉強食である。
人は争い、弱い者が負けて強い者が勝つ。
一度は勝った者も、やがてはもっと強い者に負けてしまう。
この世は苦しみに満ちている。
なぜ死ぬまで苦しみながら生きねばならないのだろうか。
これでは生きる意味が分からないではないか。

それを見た浄飯王が、不安になりました。
浄飯王の頭に、アシダ仙人の言葉がよぎります。
これはもしかすると出家するかもしれないと思った浄飯王は、何とか思いとどまらせようと、結婚させることにしました。

悉達多太子が19才の時に国一番の美女を探して、結婚させられました。
それが、善覚王の娘のヤショダラ姫です。
ですから善覚王は深い因縁があります。
善覚王のお姉さんが、マーヤー夫人、
妹が、マカハジャバダイ夫人
娘がヤショダラ姫です。ミスインドでした。

4つの出会い

結婚された悉達多太子は、少しは明るくなりました。
やがてラーフラという子供も生まれました。
ところが、やがて太子が深く考え事をするような事件が起きます。

ある時、東の門が出ると、老人に会われました。
悉達多太子は、自分もやがて必ずこうなってゆかなければならないのか。
年をとれば、肉体の楽しみがなくなってしまう
と思われました。

やがて南の門から出ると、病人に出会いました。
今なら救急車で運ばれて行きます。
病気になりたくてなったのではなかろうに、あのように病気になって苦しまねばならないのか
と思われました。

そして西の門が出ると、死人に会った。
生まれたからには私もやがて必ず死んでゆかねばならない
と思われます。

年老いて、いつ病気になるか分からない。
やがて必ず死んでゆかなければならない。
何のために生きているのか分からないではないか。
老いるとか、病にかかるとか、死ぬということは、無常ということです。
無常を観ずるは菩提心のはじめなり
といわれますように、仏法を求める上で、無常観は大変重要なことです。

悉達多太子は、最後に北の門から出ると沙門に会われました。
沙門というのは修行者です。
この人は、何とかこの老いと病と死を解決しよう、魂の解決をしようとしているんだ
と思われました。

お釈迦さまは、この4つの出会いによって、
自分も何とかこの老いと病と死を解決したい
という気持ちが強くなっていったのでした。
これを「四門出遊(しもんしゅつゆう)」といいます。
こうしてお釈迦さまは、また物思いにふけられるようになっていくのでした。

お釈迦さまの出家の理由

また陰りをおび始めた悉達多太子に、
浄飯王は、
やっぱりお嫁さん一人では足りないのかな
と思って、季節毎の四季の御殿をつくって、太子一人のために500人の美女をはべらせました。

悉達多太子も、しばらくは歌ったり踊ったりして、一時楽しんでいました。
ところが、ある晩、ひょっと目を覚ますと、そこには昼間着飾っていた女達が寝ていました。 それを見た太子は、昼間は綺麗だったのに、夜のあまりの格差に驚かれました。
愕然として
騙されていた
という気持ちになられました。

その晩のうちに、親も捨て、妻も捨て、子も捨て、四季の御殿も捨て、将来約束された王の位も捨てて、すべてを捨てて、車匿(しゃのく)という御者を一人連れて城を出られました。
29才2月8日のことでした。
これを「出城入山(しゅつじょうにゅうせん)」といいます。
城を捨てて山に入られたということです。
そして今まで誰もやった人のないような苦行に入られたのでした。

なぜ悉達多太子はすべてを捨てて、山へ入られたのかというと、一つは四門出遊が大きなきっかけでした。
やがて老いて、病にかかって、必ず死んで行かなければならないという無常観です。

また、悉達多太子には、罪悪観もあったと思います。
この世は弱肉強食です。
競技大会で、提婆達多と争って、ヤショダラ姫を手に入れた。
お釈迦さまは、すぐれておられたので、色々な人からねたまれたと思います。

四季の御殿で五百人の美女をはべらせていたので、人間関係も大変でした。
自分も罪を造るし、他人にも造らせます。
この無常観と罪悪観が、仏教を求める上で最も大事なことなのです。

それで、何とかしてこの解決をしなければならないと、城を出て、山に入られたのでした。

悉達多太子は、まず隣の国に行かれて、色々な師匠を回られたのですが、満足されませんでした。
そこで、無師独悟を覚悟されて、苦行林に入られたのでした。

お釈迦さまの捜索

お釈迦さまが出て行かれて、カピラ城では大変なことになりました。
四季の御殿の500人の美女たちは、浄飯王から
お前ら500人もいて、何をしていたのだ
と叱られます。

浄飯王は、緊急に重臣達を集めて、
誰か捜しに行ってくれる者はないか
と会議を開きます。

重臣達にとっても、太子がいなくなってしまったというのは国の一大事です。
キョウチンニョ(憍陳如)という重臣が
私に探させてください
と申し出ました。

よし4人の家来をつけるから、5人で探してきてくれ
と浄飯王から言われて、悉達多太子を探し始めます。
やがて、苦行林に入って行かれたと聞いて、ついに追いつきました。
お釈迦さま、王様も奥様も心配されています。
どうかお帰りください

といくら言っても、話は平行線になるだけです。
お釈迦さまの心は巌のごとく変わりませんでした。
お前たちはまだ分からないのか。
この世は無常なんだ。
一日たてば一日年がいく。
いつ病気になるか分からない。
最後は必ず死んでいく。
この老いと病と死を解決しなければ、父上や妻や子も苦しんで死ぬだけなのだ。
お前たちにはまだ分からないのか

と一喝されます。

それで、憍陳如たちは、
これはダメだ
と帰って浄飯王に報告します。

そうなると、浄飯王も親ですから、
それほどまでに固く決心しているのか
と頷きます。

浄飯王には、なぜそんな決意をしているのかまったく分からないのですが、決心が変わらないと分かると、
今まで息子は苦労知らずの生活をしてきた。
それが一番苦しい苦行林の生活をするのは大変だろう。
お前たち、面倒をみてもらえないか

と言われます。

それで、憍陳如たちは、
親というのは、有難いものだな。 親を裏切って出て行った子供にさえ、まだそのように思うのか。
浄飯王様のためだ

と、悉達多太子の世話をしに行きました。

すると、悉達多太子は、
お前らまた来たのか。 何回来てもだめだぞ。
世話なんかされて修行になるか

と言われるので、憍陳如はじめ5人も、一緒に修行することにしました。

仏のさとり

修行中のお釈迦さま
修行中のお釈迦さま

そして悉達多太子は、6年間厳しい修行をされます。
あまりにすごい修行をされたので、骨と皮ばかりになってしまわれました。

そこで、ニレゼン河に入られて沐浴(もくよく)をされました。
今でいうと、お風呂に入られたようなものです。

ところが、河からあがる力がなくなってしまわれました。
そこに通りかかった善生女(ぜんしょうにょ・スジャータ)という乳売りの娘に、
少し食べ物を分けてもらえないか
と頼まれます。

仏のさとりを開かれる直前のお釈迦さまですから、善生女も感じるところがあって
これは絶対にストーカーではない
と思って、親切に乳がゆを分けてあげました。

それを飲まれたお釈迦さまは、菩提樹の下に座を作られて、35才の12月8日の未明、一見明星(いっけんみょうじょう)、豁然として仏のさとりを開かれました。

さとりといいましても、低いさとりから高いさとりまで全部で52あります。
その最高のさとりの位を仏のさとりといいます。

お釈迦さまは、さとりを開かれてしばらくは、そのさとりを確かめられて、喜ばれました。
こんなことを言っても、誰も分からないだろう。
もし仏法を謗ったら、謗法罪という恐ろしい罪になってしまう。
罪を造らせるだけだ。
このままで涅槃に入ったほうがいいのではないか

一度は自殺まで考えられました。

しかし、私が話をしなかったら、誰も分からない
と仏教を伝える決意をされました。

最初のお弟子

誰に話をしようと思った時、今まで一番身近で修行していた憍陳如をはじめ5人に伝えねばならないと思われます。
その途中で2人の商人と出会ったので、話をしてお弟子になりました。

5人は、お釈迦さまが近づいてこられるのを見ると
修行者は沐浴してはいけないとされているのに悉達多太子は沐浴された。
また、女性を見てさえもいけないのに、乳がゆをもらって飲んだ。
あんな堕落した者、世話をやく必要はないから、ほっといて自分らで修行しよう。
見るのも汚らわしいから見ないようにしよう

と5人で堅く約束しました。

ところが、その悉達多太子が向こうから近づいてこられます。
一人が見ると、
これは今までとまったく違う
あまりの尊さに、「世尊」といって走っていってひれ伏します。

一人が行ったから、もう一人がふと見ると、また走っていって「世尊」とひれ伏します。
そうやって五人ともバタバタっと走っていってひれ伏してお弟子になってしまいました。

これがお釈迦さまの最初の正式なお弟子です。 この憍陳如たち5人のことを五比丘(ごびく)といいます。
比丘とは、お弟子のことです。
お釈迦さまには、女性のお弟子もあったから、尼という字を下につけて比丘尼(びくに)といいます。
この後、お釈迦さまはどんどん仏教を説いてゆかれるのです。

仏教にただ一つ教えられたこと

お釈迦さまが35才で仏のさとりを開かれて80才でお亡くなりになるまで説いていかれた教えを仏教といいます。

では、お釈迦さまは仏教に一体何を教えられたのかというと、それはただ一つのことだったと親鸞聖人は、『正信偈』に教えられています。

如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)
(正信偈)

如来所以興出世」は、如来世に興出したもう所以は、と読みます。
この「如来」は釈迦如来のことで、お釈迦さまのことですから、釈迦一代の教えは、ということです。

唯説弥陀本願海」は、ただ弥陀の本願海を説かんがためなり、と読みます。
釈迦一代の教えは、2つも3つもなかった。ただ一つのことを教えられたのだ、ということです。
これは、一切経七千余巻を全部読まなければ言えないことです。
親鸞聖人は、一切経を何回も読み破られて、断言されているのです。
ではそのただ一つのこととは何かというと、「弥陀の本願海」であるといわれています。
これは、海のように広くて深い、「阿弥陀如来の本願」のことです。

阿弥陀如来の本願とは、阿弥陀如来という仏様の本当の願いということです。

釈迦と阿弥陀仏の違い

よく世間では、仏と名のつくものは、お釈迦さまでも阿弥陀仏でも大日如来でも何でも同じだろうと思っている人が多くあります。
しかし、まったく違う仏です。
特に釈迦と阿弥陀仏の違いが分かりませんと、親鸞聖人の教えは絶対分かりません。
本当の生きる意味も分からないことになってしまいます。

お釈迦さまは、地球上ではただ一人の仏様ですから釈迦牟尼仏の「むに」は、無二という意味です。
阿弥陀仏は、地球上の仏様ではありませんから、他方仏(たほうぶつ)といわれます。

お釈迦さまは大宇宙には、たくさんの仏様がおられると、説かれています。
これを十方諸仏(じっぽうしょぶつ)といいます。
その本師本仏が、阿弥陀仏です。
これはお釈迦さまが説かれていることですが、そのことを蓮如上人は『御文章』に分かりやすくこう教えられています。

弥陀如来と申すは三世十方の諸仏の本師本仏なり(御文章)

三世十方の諸仏というのは、大宇宙のたくさんの仏方のことです。
その本師本仏は、阿弥陀仏です。
本師本仏というのは、先生の仏ということです。
ですから、大宇宙の諸仏の先生が阿弥陀仏で、大宇宙の諸仏は阿弥陀仏の弟子ということです。

お釈迦さまも十方諸仏の一人ですから、阿弥陀仏のお弟子です。
弟子の使命は、仏教では先生の御心をお伝えするだけですから、お釈迦さまは、一生涯阿弥陀仏の本願一つを説かれたのです。

老病死の問題は、阿弥陀仏の本願によらなければ助からない。
私のまねをしても、さとりは開けないんだから、阿弥陀仏の本願によって救われなさい、ということです。

阿弥陀如来の本願とは

では阿弥陀如来の本願の「本願」とは何かというと、『歎異抄』では弥陀の誓願ともいわれていますように、誓いであり、お約束のことです。
本願を持っていなかったら、仏になれませんから、仏様はみんな本願を持っています。
中でも、本師本仏の阿弥陀仏の本願がずば抜けています。

親鸞聖人は、主著の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の最初に阿弥陀仏の本願のことを「難思の弘誓(なんしのぐぜい)」といわれています。

難思の弘誓は難度海を度する大船(教行信証)

難度海(なんどかい)」というのは、苦しみ悩みの絶えない人生のことです。
生きる時には色々な苦しみがありますが、やがて老いる、病にかかる、死ぬという苦しみがやってきます。

阿弥陀仏の本願は、年老いないようにするという本願ではありません。
病気を治すという本願でもありません。
死ななくするという本願でもありません。
そういう者をそのまま乗せて明るく楽しく渡す、ということです。
だから親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願は、苦しみ悩みの人生を明るく楽しくわたす大きな船だ、といわれているのです。

ではどうすれば、お釈迦さまがただ一つ教えられた、阿弥陀仏の本願に救われるのかについては、以下の小冊子に分かりやすくまとめてありますので、今すぐお読みください。

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