浄土真宗の教えとは?
浄土真宗にはどんなことが教えられているのでしょうか?
世間では「念仏を称えたら死んだら極楽浄土へ往ける」という教えだと思っている人がありますが、それは間違いです。
浄土真宗の一枚看板は、平生業成の教えなのです。
これは一体どんな意味なのでしょうか?
目次
浄土真宗の教えの一枚看板
浄土真宗とは、親鸞聖人の教えのことです。
その親鸞聖人の教えを漢字4つで表した言葉が「平生業成」です。
平生業成という言葉は、親鸞聖人から出た言葉ですから、親鸞聖人がお生まれになるまではなかった言葉です。
親鸞聖人が初めて明らかにされた、浄土真宗の一枚看板が「平生業成」なのです。
「看板」とは、それを見れば、その店で何を売っているか分かるものです。
「魚屋」という看板が出ていれば、その店では魚が売っているのだとわかります。
「タバコ」とあれば、タバコが売られているのだと分かります。
看板は、その店で売っているものを皆さんに知らせる働きがありますから、非常に重要なものです。
もし魚屋さんに、「タバコ」という看板がでていたらどうなるでしょうか。
タバコが欲しい人が店に来ますが、肝心のタバコがないので、「看板に偽りあり」と腹を立てて帰ってしまいます。
逆に、魚が欲しい人は誰も来ませんから、店は倒産してしまいます。
ですから、お店の看板には、売っているものを掲げなければならないのです。
さらに、この店に来なければないものを看板に掲れば、それが欲しいお客さんが集まってきます。
浄土真宗の一枚看板が、平生業成だということは、親鸞聖人しか教えられていないことが平生業成だということです。
他の宗派にはない、浄土真宗の教えだけの特徴が平生業成なのです。
仏教の宗派だけではありません。
世界にたくさんの宗教がありますが、キリスト教でも他のどんな宗教でも教えられていない、世界に唯一の浄土真宗の教えの特徴が表されているのが平生業成なのです。
ところが、この平生業成は、ほとんどの場合、間違って使われています。
それはどんな間違いでしょうか?
平生業成の誤解
「平生業成」は、「へいぜいごうじょう」と読みます。
平生業成と聞くと、バスガイドさんが、「今日はみなさんの平生業成がよかったから、いい天気になりましたね」と使ったりします。
また、「あの人が、事故に遭ってあんなひどい死に方をしたのは、平生業成が悪かったからだ」と言われることもあります。
これは、平生の行いがよかったから天気が良くなったとか、平生の行いが悪かったから事故に遭ったということで、「平生業成」を普段の行いという意味だと思っているのです。
しかし「平生業成」は、浄土真宗にしかない、浄土真宗の教えを一言で表した言葉ですから、平生の行いという意味ではありません。
親鸞聖人が、今日世界の光といわれるのは、すべての人が本当の幸せになれる道を明らかにされたからです。
その親鸞聖人の教えを漢字4つで表したのが平生業成ですから、平生業成の意味を知れば、親鸞聖人の教えがすべて分かります。
では、平生業成はどんな意味なのでしょうか?
平生とは?
「平生」とは、死んでからではありません。
臨終でもありません。
生きているとき、ということです。
浄土真宗と聞くと、葬式や法事など、死んでからのことを教えられたように思っていますが、そうではありません。
死んでからどんなに大騒ぎしても、取り返しがつきません。
死んでしまったらどうにもなりませんから、生きている時が大事です。
死んでからでは間に合わない、生きている時でなければならないというのが、平生ということです。
この平生の意味は大体みんな分かっていると思います。
問題は、その次の業です。
業とは?
「業」は、大事業の業の字を書いて、「ごう」と読みます。
大事業のことです。
大事業というと、大きな事業ということで、松下幸之助のやった事業や、徳川家康の天下統一の事業などを言うときに、大事業といわれます。
ところが、ここで大事業といわれるのは、人生の大事業のことです。
人間に生まれてきたのは、これ一つというものです。
言葉を変えれば、本当の生きる目的です。
私たちは何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか、
なぜどんなに苦しくても生きねばならないのか、
という本当の生きる意味です。
私たちが生まれてから死ぬまでを、禅宗の僧侶、一休はこう言っています。
「世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく」
これは、女性だけではなく、男性も、同じようなコースをたどります。
この生まれてから死ぬまでに、これ一つ果たせば、人間に生まれてよかったと大満足できるものが、人生の大事業です。
あなたは何の為に生きていますか?と聞くと、仕事のため、業績を残すため、家族のため、世の中をよくするため、土地のため、財産のため、名誉のため、色々な生きがいを答えます。
お金を稼ぐため、結婚するため、ペットのため、オリンピックで金メダルをとるため、ノーベル賞をとるため、寝るためなど、人それぞれ色々な趣味があります。
ところが、このようなものは、どこまでいっても心からの安心も満足もありません。
徳川家康が晩年にこのように言っています。
人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し
「人の一生」とは、家康が、自分の一生は、ということです。
家康は、一生涯重荷を下ろすことができなかったと言っています。
「重荷」というのは、苦しみのことです。
家康は、天下を統一して、征夷大将軍になって、300年近く続いた徳川幕府の礎を築き、日本の歴史上最も成功した人といわれます。
あれだけのことをした家康が、一生涯苦しみはなくならなかったと言っているのです。
天下をとったら重荷を下ろせるかと思ったけど、おろせなかった。
将軍になったら重荷を下ろせるかと思ったけど、おろせなかった。
幕府を開いたら重荷を下ろせるかと思ったけど、おろせなかった。
重荷を背負っていても、どこか路傍の石に腰掛けて、一休みできればまだいいのですが、「遠き道を行くがごとし」と言っています。
果てしなく歩き続けなければならなかったということです。
きりのない道、ゴールのない道を、重荷を背負って歩き続けなければならなかったということです。
それはなぜかというと、家康のやったことは、人生の大事業ではなかったからです。
家康は、重荷さえ下ろせれば、天下統一しなくてもよかったし、将軍にならなくてもよかったのです。
私たちの生きている目的は、重荷を下ろすことにあるのです。
家康は、私たちが人生の目的と思っている仕事や、子育て、趣味や生きがいは全部やったのです。
それでも重荷を下ろせず、果てしない道を歩き続けなければならなかったと言っています。
死ぬまで苦しみ続けなければならなかったということです。
私たちは、苦しむ為に生まれてきたのではありません。
人生には、人間に生まれてよかったと大満足できる目的があるのです。
そこに到着したというゴールがあります。
それを果たすことが本当の生きる意味なのです。
その本当の生きる目的を教えられたのが、浄土真宗の教えであり、平生業成の業なのです。
成とは?
平生業成の成とは、完成する、達成する、ということです。
完成というのは、でき上がってしまったことを言います。
「私の家が完成しましたから見に来てください」と友達に言います。
その友達が完成した家を見に行ったら、まだ大工さんがトントンカンカンとやっています。
そうなると「何だこれは。完成したと言って、まだ完成していないじゃないか」と言います。
完成というのは、もうでき上がってしまって、釘一本打たなくても良いようになったことを言います。
足すものも引き去るものもない、これ以上何もする必要がない状態になったのが完成です。
親鸞聖人の教えられる人生の大事業には、完成がある、ということです。
この大事業が完成したとき、人間に生まれてきたのはこれ1つであった、という生命の大歓喜が起きます。
これが卒業であり、ゴールです。
これが浄土真宗の教えの目的なのです。
その人生の大事業は、死んでからでは間に合いませんよ、生きているときに完成できるから、早く完成させなさいと教えられているのが浄土真宗の教えなのです。
ではその浄土真宗に教えられる人生の大事業とはどんなことなのかについては、以下のメール講座でご覧ください。
浄土真宗の本質を学ぶ
浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。
関連記事
著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。