浄土真宗のお盆
浄土真宗のお盆の特徴
浄土真宗には他の宗派にはない特徴があります。
それは、「精霊棚(しょうりょうだな)」や「迎え火」、「送り火」などを用いないことです。
精霊棚とは、位牌の前にお膳やたくさんの野菜や果物などをお供えするものです。
ナスやキュウリを牛や馬のようにして置いたりもします。
迎え火というのは、お盆の最初に焚く火、送り火は、最後に焚く火です。
これは何のためにするかというと先祖の霊を迎えてもてなすためです。
ナスやキュウリの牛や馬は、先祖の霊の乗り物です。
迎え火や送り火は、先祖の霊が迷わないための灯台のようなものです。
亡くなられた方がお盆になると地獄の釜が開いて先祖の霊が帰ってくるというのは俗信ですので、そもそも仏教の教えではありません。
しかも浄土真宗では、生きているときに信心獲得された方は、死ぬと同時に阿弥陀仏の極楽浄土に往生しています。
信心獲得されなかった場合は、死ぬまでの行いによって、因果の道理に従って、死んだ後に生まれる世界が決まります。お盆に出てくるということはないのです。
ではお盆というのは浄土真宗で、一体どういう意味があるのでしょうか?
お盆のお経に出てくるエピソード
まず「お盆」はいつのことなのでしょうか?
期間は、だいたい、8月15日を中心とした数日です。
「お盆」は正しくは「盂蘭盆」(ウラボン)といい、お釈迦さまの説かれた『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』から起こったものです。
このお経には、お釈迦さまの十大弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)のエピソードが出ています。
目連尊者は神通力(じんつうりき)第一と言われて、特に親孝行な人でした。
ところがその神通力によって、目連尊者の亡きお母さんが、痛ましいことに、餓鬼道(がきどう)に堕ちて苦しんでいることが分かりました。
目連は深く悲しんで、すぐに鉢にご飯を盛ってお母さんにあげようとしましたが、お母さんが喜んでそれを食べようとすると、たちまちそのご飯はぼっと青白い炎となって燃え上り、どうしても食べることができません。
鉢を投げて泣きくずれるお母さんを尊者は悲しみ、お釈迦さまに、
「どうしたら母を救えるでしょうか」
と尋ねました。
その時、お釈迦さまは
「それは、そなた一人の力ではどうにもならない。
この7月15日(旧暦では1ヶ月ずれています)に、飯、百味、五果等の珍味を十方の大徳衆僧に布施しなさい。
布施の功徳は大きいから、亡きお母さんは餓鬼道の苦難からまぬがれるであろう」
と教えてくださいました。
目蓮が、お釈迦さまの仰せにしたがったところ、お母さんは、たちどころに餓鬼道から天上界に浮ぶことができたそうです。
この喜びのあまり踊ったのが盆踊りの始まりだと言う人もあります。
お盆のエピソードから学べること
盂蘭盆は、この目連尊者のお話から、先祖供養の日となってしまい、今日に続いているのです。
でもこれは、一体私達に何を教えているのでしょうか。
ウラボンはサンスクリットですが、漢訳では「倒懸(とうけん)」ということで、倒(さか)さに懸(かか)れる者ということです。
『盂蘭盆経』とは、
「さかさに懸れる者を救う方法を教えた経」
ということです。
では、「さかさに懸って苦しむ者」とは誰のことでしょうか。
死後にだけ餓鬼道があるのではありません。
迷いを迷いと思わず、真実を真実と信じられず、迷いを真実と誤解して苦しみ悩んでいる人は、仏様からご覧になると、みんな
「さかさに懸って苦しんでいる者」
餓鬼なのです。
『歎異抄』には、
火宅無常の世界は、万のこと皆もって、空言たわごと真実あることなし
と教えられています。
「今は忙しいから、いつかそのうち仏教を聞いて本当の生きる意味を知ろう」
と考えている人が、多いのではないでしょうか。
もしそれが
「限りある命を持ちながら、限りない欲を満たしてから」
ということならば、それは賢いといえるでしょうか?
みんな、さかさに懸っている者ばかりではないでしょうか。
だから、お金があり、地位があり、美貌があり、能力があり、家族がある人は、それらによってますます苦しみ、それらの無い人は、これらを求めてますます悩んでいるのです。
有るも苦なら、無いのも苦、「有無同然(うむどうぜん)」です。
無ければほしい、有ってもほしい、欲しい欲しいと飢え続け、かわき続け、うらみ続け、満足ということを知らず苦しんでいる餓鬼ばかりではないでしょうか。
みんな本当の生きる意味を知らず、考えが逆立ちしていますから、どこを見渡しても、ただ苦しみ悩みの声ばかりです。
これがまさしく物を求め、物を惜しみ、争いの絶えない餓鬼道のすがたです。
この深刻な現実の自分の心を見つめる時、そんな餓鬼こそ本当の自分のすがただと驚くのです。
亡くなった先祖のことばかりを心配して、自分が餓鬼であることを忘れています。
お盆は、亡き先祖を救う日ではなく、仏教を聞いて、今現に、逆立ちして飢え、かわき、苦しみ続けている自分自身を救う日なのです。
このお盆をご縁に聞法精進致しましょう。
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著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。