アジャセ(阿闍世・アジャータシャトル)

アジャセは、インド最強のマガダ国の王、ビンバジャラ(頻婆娑羅・ビンビサーラ)王の太子でした。
成長すると、父王を殺して王位を奪い、母・イダイケ(韋提希・ヴァイデーヒー)を幽閉しました。
心理学では、父親に敵意を持つエディプスコンプレックスに対して、母親を恨むことを阿闍世コンプレックスという言葉になっています。
このような、親殺しという重い罪を造ったアジャセですが、やがて仏教を聞いて、生きている時に絶対の幸福に救われます
そのことは、親鸞聖人の主著『教行信証』に詳しく教えられています。
一体どんなことがあったのでしょうか?

親殺しの因縁

アジャセは生まれつき性格が悪く、心には欲望や怒り、ねたみの心が燃え盛り、口には、嘘や噂話、悪口を好み、身体では喜んで殺生を繰り返していました。
ところが仏教では、それ以上に恐ろしいのが、五逆罪といわれる親殺しの罪です。
アジャセが親殺しの五逆罪を造るのには、きっかけがありました。
それがダイバダッタです。

ダイバダッタは、お釈迦さまのいとこで、当時のインドでは、お釈迦さまに次いですぐれた人でした。
ところが、お釈迦さまにだけはどうしても勝てず、いつも2番に甘んじていたため、ねたみや憎しみの心が逆巻いていました。
やがてダイバダッタは、何回もお釈迦さまを殺そうとして失敗します。

そこでダイバダッタは、まずお釈迦さまに帰依して仏教を保護していたビンバシャラ王を亡き者にしようと企てます。
将を射んと欲すればまず馬を射よ
ということです。
その時に目をつけたのが、ビンバシャラ王の子供のアジャセ太子でした。

ダイバダッタはアジャセに巧みに取り入り、すっかり信頼関係を築きます。
そしてある日、ダイバダッタが憔悴した様子で歩いていると、アジャセが尋ねます。
先生、どうかなされたか?
するとダイバダッタは、
はい、太子さまがみんなから悪口を言われていることを苦しく思っておりました
と答えます。
何、悪口?それはどんな悪口か?
「はい、実は、太子さまが生まれられる前、山奥で修行する修行者でした。
ところが、子供が欲しかったビンバシャラ王とお妃様のイダイケ夫人が、占い師から、修行者が死ねば子供が生まれると聞いて、修行者を殺したのです。
やがてお母さまは懐妊されたのですが、また占い師に見てもらうと、お腹の子供は大きくなると、親を殺す子供になると言われて、二階の産室から産み落として殺そうとしたのです。
その時あなたの指が一本失われたので、折指とあだ名しています。
私はそれを聞いて気に病んでいるのです」

ところが両親が自分を殺そうとしたと聞いたアジャセは、怒りが沸騰し、父のビンバシャラ王も、母のイダイケ夫人も、七重の牢に幽閉したのでした。
当時、非常に恵まれていた王族でありながら、親を殺すこの悲惨な事件が、仏教史上最大の悲劇といわれる王舎城の悲劇です。

ところが、この時、子供のために牢屋に閉じ込められて苦しんでいたイダイケ夫人は、お釈迦さまから阿弥陀如来の本願を聞き、牢屋の中で、絶対の幸福に救われたと、浄土三部経の一つ『観無量寿経』に説かれています。

では、この親殺しの大罪を犯したアジャセは、どうなったのでしょうか?

アジャセ王の病気

アジャセは、父親を幽閉して食事を断ち、残酷な仕打ちをしていた時、アジャセの子供の優陀耶(うだや)の指先にできものができました。
それが膿んで、優陀耶が苦しんでいると、アジャセは、その膿を吸ってやりました。
その時、牢から出されて自由の身になっていたイダイケが、この様子を見て、泣き始めます。
アジャセ、お前が幼い時、この子と同じように指にできものができたことがあったんだよ。
その時、やっぱりお父さんが膿を吸ってくれたんだよ。
その時のお父さんの姿にそっくり……

それを聞いたアジャセは電撃に打たれたように父親の愛情を感じました。
おれは騙されていた」と後悔し、
すぐに牢屋へ行って、父上をお出ししろ
と臣下に命じます。
ところが臣下が牢屋にかけつけた時には、時すでに遅く、ビンバシャラ王は息絶えた後でした。

深く後悔したアジャセは、取り返しのつかない親殺しの罪悪観に苦しんだのでした。
その良心の呵責によって熱病になり、やがて、皮膚病が全身を覆います。
さらにそれが化膿して、周囲には悪臭がたちこめるようになりました。
ああ私は今、生きながらに地獄の苦痛を受けているのだ。
もうすぐ死んで地獄に堕ちる

と恐怖に怯えるのでした。
それを見たお母さんのイダイケは、子供の苦しむ姿を見るに忍びず、色々な薬を塗って介抱しました。
ところが皮膚病はますます悪くなるばかりで、少しもよくなる気配はありません。
アジャセは、「お母さん、この病気は肉体ではなく、心から出たものですから、薬を塗っても治すことができません。
私はこのまま悪業の報いを受けるばかりです

と言って苦しんでいました。

大臣の見舞い

そんな時、6人の大臣が、代わる代わるお見舞いにやってきました。

1.月称大臣…富蘭那を推薦

1人目は、月称という大臣でした。
「大王はなぜそんなに憔悴されて顔色を悪くされているのですか。
お身体の痛み、または心の痛みでしょうか」と見舞いました。
アジャセは、 「私は昔、智慧のある人から聞いたことがある。
地獄へ墮ちるに間違いない人間が世間に五人ある。
父殺しや母殺しなどの五逆罪を造った人々である。
ところが私は何の罪もない父王を殺して王位を奪った

どうして身も心も苦しまずにいられようか。
どんな名医でも、この病は治せないだろう

月称大臣は慰めます。
「大王、そんなに心配されますな。
世間でも心配すればますます心配になり、眠ればますます眠くなる、色も酒も同じこと、と言われます。
地獄へ墮ちる者が五人あるなどといわれますが、誰か地獄へ行って見て来た人があるでしょうか。
多くの知識人は、地獄というのはこの世にあると言っています

大王の病気を治す名医がないと仰せになりますが、今、富蘭那(ふらんな)という名医があります
この人は一切の智慧を持ち、自在に心を一つにして、行いは清らかで、多くの人々に尊い法を説いています。
この人の教えによれば悪業というものもなければ悪業の報いというものもない。
善業というものもなければ善業の報いというものもないとのことです

この人はちょうど今王舎城に来ておられますので、どうぞ、この人の所へ行って法を聞き、身心の病を治療なされてはいかがでしょうか

アジャセ王はそれを聞いて
そんなによく今までの罪を除き去ってくれる人ならば一度行って聞いて見ようか
と思いました。

富蘭那というのは、富蘭那迦葉(プーラナ・カッサパ)ともいわれ、善悪の業報を認めません。
これを仏教で空見外道といわれます。
因果応報の因果の道理を否定しますので、この教えに従うと、倫理も道徳もない世の中になってしまいます。

2.蔵徳大臣…末伽梨狗賒梨子を推薦

2番目にやってきたのは、蔵徳という大臣でした。
「大王、どうしてそんなに憔悴され、唇が乾いて、弱々しい声を出しておられるのですか。
痛まれるのはお身体ですか、お心でしょうか」
アジャセは、こう答えます。
「私は心も体も苦しい。
私は智慧の目がない。
悪い友達に近づいてダイバダッタのような悪人にそそのかされて、仏教を信じ、保護していた父の王を殺してしまった。
私は智者から、父や仏や仏弟子に対して善からぬ心を起こし、悪事をしたものは阿鼻地獄
(無間地獄)へ墮ちると聞いたことがある。
これを思えば私の心は震えて苦しむのだ

それを聞いた大臣は慰めます。
「大王、そんなに心配されますな。
法といっても2つあります。
1つは出家の法、もう1つは王法です。
王法では父を殺して王となるのは、逆とはいっても罪ではありません

ちょうど迦羅々(からら)という虫は、母の腹を破って生れますが、自然の摂理ですから、罪がないようなものです。
王法も同じように父や兄を殺したところで罪にはなりません。
それに対して出家の法は蚊や蟻を殺しても殺生罪と言いますが、王法とは違うのです
大王は自分の病気を治す医者はいないと言われますが、末伽梨狗賒梨子という一切の見識を持つ先生があって、すべての人を赤子のように憐れみ、煩悩を離れていて、人々の三毒の毒矢を抜いて下さいます
ちょうど今王舎城に来ておられますので、一度この人の教えを聞いてみられてはいかがでしょうか

それを聞いてアジャセは
そんなに私の苦しみを抜いてくれる偉い人なら一度会ってみようか
と思いました。

この思想は、身分によって法が違い、人間は殺生をしても人間に生まれるという常見外道です。

末伽梨狗賒梨子というのは、アージーヴィカ教のマッカリ・ゴーサーラのことで、運命はすべて最初から決まっているという運命論を唱えた人です。
現代の科学でも、自由意志というものは存在しないという方向に傾いていますが、もし運命が決まっていて変わらないとすれば、何かを頑張る意味がないので、無気力な生き方になってしまいます。

3.実徳大臣…刪闍耶毘羅胝子を推薦

3番目に見舞いに来たのは実徳という大臣でした。
「大王、なぜ飾りをとられ、髪の毛を振り乱しておられるのですか?
体が痛まれるのですか?心が痛まれるのですか?」
「これがどうして心身共に痛まずにいられようか。
私の父は慈愛にあふれ、常に哀れみを持たれた方であった。
その父王は占い師の所へ行き、仇が宿っていると予言されても私をかわいがって下された。
その父王を私は殺害したのだ。
私は昔、智者から、母に通じたり、比丘尼を汚したり、浄財を盗んだり、仏教を聞いている人を殺したり、父母を殺した者は、必ず無間地獄へ墮ちると聞いた。
どうして苦しまずにいられるか

それを聞いた実徳大臣は、
「どうかそんなことで愁い苦しまれないでください。
すべての人は皆過去の業をもっています。
過去の業があるから色々に生まれ変わり死に変わり、輪廻するのです。
ビンバシャラ王にもそんな過去の業縁があったからあのような死に方をされたのです

アジャセ王には何の罪もありません」
こういうと、実徳大臣は、最後に
刪闍耶毘羅胝子(さんじゃやびらていし)という先生がおられます。
ぜひ一度教えを聞いてみて下さい

と勧めました。

この思想は、一因外道といわれ、縁を無視します。

刪闍耶毘羅胝子は、サンジャヤ・ベーラッタプッタで、基本は苦行主義ですが、確認できないことについては考えない懐疑論者です。
これは現代でいえば普遍的な真理はないとする相対主義といわれます。
もともと舎利弗と目連は刪闍耶毘羅胝子の弟子でしたが、仏教に出会うと、お釈迦さまに帰依して仏弟子になりました。

4.悉知義大臣…阿嗜多翅舎欽娑羅を推薦

4番目は、悉知義という大臣が同じように見舞いの言葉を述べました。
するとアジャセは、
私は今どうして、身心の苦痛を受けずにいられよう。
罪もない父の王を殺してしまった。
昔智者が、父を殺せば限りなく長い間、大苦悩を受けぬばならないと聞いた。
私はまもなく地獄に堕ちる。
この身心の病気を治す医者はどこにもない

と苦しみます。

「大王、どうかそんなに苦しまれますな。
ご存じのことと思いますが、昔、羅摩という王が父を殺して王位につきましたし、その他、たくさんの王が、父王を殺して王位につきましたが、一人も地獄へ墮ちた王はありません
また誰一人そのことを気にして苦しんでいません。
六道輪廻といっても、誰も見た人はないではありませんか。
もしあったとしても、人間と畜生の世界だけです。
その人間や畜生といっても別に因果応報で生まれるのではありません。
だから善悪の業というものもありません。

あまり悩まれますとますます悩ましくなってしいます」
このように慰めると、悉知義大臣は最後に
「今、阿嗜多翅舎欽娑羅(あぎたししゃきんばら)という先生がおられます。
ぜひ一度教えを聞いてみてください

と勧めました。

これは子供が親を殺すのは自然の摂理であって悪くないという思想で、自然外道といわれます。

阿嗜多翅舎欽娑羅は、目に見えるものしか認めない唯物論の思想で、現代人にも多い考えです。
死んだら無になると教えます。
その当然の帰結として、好きなことをして現世を最大限に楽しまなければならないという快楽主義です。

5.吉徳大臣…迦羅鳩駄迦施延を推薦

5番目は吉徳という大臣でした。
今まで同様の見舞いの問答をしてからこう慰めます。
「大王、地獄なぞありません。
そもそも殺すということもありません。
バラモン教で言うように固定普遍の我があるとすれば、肉体が滅びても我がずっと続きますから何の問題もありません。
また、仏教で言われるように、無我だとすれば、因縁がついたり離れたりして常に変わり続けて我はありませんから、殺すも何もありません。
ですから殺生罪というものはないのです

どうかご心配召されますな。
今、迦羅鳩駄迦施延(からくだかせんえん)という先生がおられます。
ぜひ一度教えを聞いてみてください

と勧めました。

地獄も殺生罪もないと言っている迦羅鳩駄迦施延は、カクダ・カッチャーヤナともいわれ、に捧げ物をして運命を与えてもらう自在天外道といわれます。
無我ではなく、固定不変の霊魂があると教えています。

6.無所畏大臣…尼乾陀若提子を推薦

最後に無所畏(むしょい)という大臣が、他の大臣と同じようにアジャセを慰めて、尼乾陀若提子(にけんだにゃくだいし)を推薦しました。

この尼乾陀若提子は、現在も残る、苦行で来世に幸せを得ようとするジャイナ教の教祖です。

こうしてアジャセ王は、これらの6人の大臣から当時の代表的な思想家の教えを勧められましたが、アジャセ王の心の病は少しも治りませんでした。
これらの6人の教えは六師外道といわれる仏教以外の教えです。

耆婆がお釈迦さまを紹介

最後に見舞いに来たのは、お抱えの医師である耆婆(ぎば)でした。
王よ、最近はよく眠れますでしょうか
耆婆よ、私の病は重い。
仏教を保護した父の王を殺したことから起きた重い病だ。
だからこの病気は、どんな名医でも治すことはできない。
昔、智者から行いの悪いものは必ず地獄に堕ちると聞いた

私はすでにそれをやってしまったのだ。
それが苦になってもう夜も眠れない

王は恐ろしい悪業を造られましたが、深く後悔して慚愧の心を懐いておられます。
諸仏世尊は常にこう言われています。
二つの善い法がある。
一つは慚であり、
二つは愧である。
慚とは、自分が再び罪をつくらないようにする心であり、愧は他人をして再び罪を造らせないようにする心である。
又慚は自らに恥ずる心であり、愧は他人に対して恥ずる心である。
この慚愧の心のない人は人ではなく畜生です

こう慰めた後、耆婆はこう続けます。

王はこの病はこの誰にも治せないと言われますが、カピラ城の淨飯王の子、悉達多という方があります。
この方は仏のさとりを開かれた最も尊い方です。
必ず心の病を治してくださいますから、共に教えを受けに参りましょう

と勧めました。

ところがアジャセは、
耆婆よ、お前はそんなに言ってくれるが、世尊のような尊い方の所へ私のような極悪人がどうして行けよう
と歎きます。

その時、空中から
大王よ、五逆罪を造れば、その報いは決して免れることはできない。
ブッダが涅槃に入られたらお前は阿鼻地獄に沈んで永劫に浮かぶ瀬がない。
それではあまりに哀れだから、早くブッダのもとへ行って教えを受けよ

不思議な声がします。
驚いたアジャセは戦慄して体を揺らしながら、
声はすれども姿は見えず。お前は一体何者だ!?
と叫ぶと、
大王よ、私はそなたの父・ビンバシャラである。
決して因果の道理を否定する六大臣の言葉に迷ってはならない。
耆婆の言う通り早くブッダのもとへ行け

アジャセはこれを聞いて、とてもいたたまれず、悶絶して大地に倒れました。

アジャセの聞法

この様子をはるかに感知されたお釈迦さまは、
私はアジャセのために涅槃に入らない
といわれました。
えっ?それはどういうことでしょうか?
とお弟子の迦葉(かしょう)がお尋ねすると、
アジャセとは、さとりが開けず、煩悩に苦しむすべての人のことである
とお答えになり、月愛三昧(がつあいざんまい)という境地に入られました。

その月愛三昧から放たれた清らかな光が王舎城に届き、アジャセ王が照らされると、体の病が癒されていきます。
気づいたアジャセは驚いて、
耆婆よ、これは一体何ごとだ!?
と尋ねると
これはブッダの月愛三昧の光明にございます
大王が、自分の病を治す医者はないといわれたので、ブッダが月愛三昧に入られて、まずはお体を癒して見せられたのでしょう。
月愛三昧とはブッダの大慈悲の働きで、月の光にはすべて青蓮華の花を咲かせる働きがあるように、月愛三昧には人々に善心を起させる働きがあります
また月光はすべての道行く人に歓喜を与えるように、月愛三昧も涅槃を求める修行者に歓喜を与えます

その時お釈迦さまは、目を開かれると、
すべての人々がさとりを得る最も大切な因縁は善き友、善知識である。
なぜならアジャセ王が耆婆の勧めにしたがわなかったら、王は来月7日に必ず命終わって無間地獄に墮ちなければならなかったからである

と言われています。

蓮如上人は、そのことを『御文章』にこう教えられています。

宿善開発して善知識にあわずば、往生は叶うべからざるなり。

宿善開発」とは、無常と罪悪が知らされて、後生の一大事に驚きが立ち、居ても立ってもいられなくなることです。
そんな心が起きても、善知識にあわなければ助からないといわれています。
善知識とは、仏教を正しく説かれる先生のことです。
お釈迦さまは善知識の元祖です。
正しい仏教を聞く縁となった耆婆も広い意味では善知識です。

こうしてアジャセは、耆婆を縁として、お亡くなりになる直前のブッダのもとを訪れ、真剣に教えを聞いたのでした。

アジャセの信心

そして最後、アジャセは阿弥陀如来の本願に救われ、その感動をこのように表現しています。
我今はじめて伊蘭子より栴檀樹を生ずるをみる。
伊蘭子はわが身これなり。
栴檀樹はすなわちこれわが心、無根の信なり
」(涅槃経)
伊蘭子」とは、悪臭を放つ伊蘭樹という木の、毒のある種のことです。
栴檀(せんだん)」とは、「栴檀は双葉より芳し」という諺で有名な、香りの高い木です。
毒の種のような煩悩に汚れた肉体から、香り高い無根の信が生じた、といっています。
無根の信」というのは、親を殺し、仏教を信じない自分のどこにも根っこのない、まったく阿弥陀如来よりたまわる他力の信心です。
そして耆婆に対して、
われ今いまだ死せずしてすでに天身をえたり
といって喜んでいます。
生きている平生に、心は浄土に遊ぶ明るく愉快な心に生かされた、ということです。

こうしてアジャセ王は長年にわたって熱心に仏教を広める保護者になったのでした。

アジャセの母親のイダイケ夫人もそうですが、阿弥陀如来の大慈悲は、後生の一大事が知らされて、その苦しみのどん底にいる三定死の人の胸に徹底するものなのです。

アジャセとは誰のことか?

このことを親鸞聖人は『教行信証』信巻に引用され、救われる前と救われた後の違いと、どんな人が阿弥陀如来の本願に救われる対象なのかを、詳しく教えられているのです。

では、アジャセとは誰のことでしょうか?
お釈迦さまも言われている通り、五逆罪を造ったアジャセは、すべての人の姿です。
親鸞聖人は、『末灯鈔』にこう言われています。

親をそしる者をば五逆の者と申すなり。
(末灯鈔)

手にかけて親を殺すのはもちろん五逆罪ですが、「邪魔だ」「あっちへ行け」などと、ののしるのも、五逆の罪なのです。
さらに仏教では心を最も重くみられるので、心の中で親を邪魔者扱いすれば、五逆の者なのです。

ではどうすれば私たちも、生きているときに阿弥陀如来に救われて、絶対の幸福になれるのかにつきましては、以下の小冊子に分かりやすくまとめておきました。今すぐお読みください。

浄土真宗の本質を学ぶ

浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。