「現代人の仏教教養講座」

 

「浄土真宗」入門講座

浄土真宗の大切な所をわかりやすく解説

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生きる意味を、知ろう。

地獄(じごく)とは

地獄」とは、苦しみの世界です。
果たしてどんな所で、どこにあるのでしょうか?
そして誰が作った場所で、どんな人が、どの位の期間、地獄に堕ちるのでしょうか。
また、浄土真宗では死んだら地獄に堕ちるのでしょうか?

地獄は存在するのか

地獄は存在しない」という人があります。
そんな人は、
地獄があるんなら見せてもらいたい
と言いますが、見る方法があります。
それは今すぐ死ぬことです。
死ねば嫌でも地獄に堕ちて行きます。

せっかく地獄が見られるのに、やるでしょうか?
やらないでしょう。
それはなぜかというと、
自分で死ぬのはよくないから自然に死ぬのを待つ
とか色々言いますが、結局は、死が恐ろしいからです。
死んでも地獄が存在しないなら、恐ろしいはずがありません。
気楽に死ねるはずです。
それなのになぜ死なないのかというと、頭では地獄の存在を否定していても、死んだらどうなるか怖いからです。

頭で地獄があるとかないとかいっても、心では死ぬのが怖いのです。
それは、頭で考えていることと、私たちの永遠の生命とは違うからです。
どんなに頭で死後の世界はないと言い張ってみても、永遠の生命は、死後の世界を知っているからです。
過去世で嫌というほど味わってきたのです。
それで心の底では死が怖いのです。

普通はみんな未来に地獄はないと考えますが、今の自分の心の奥深くをのぞいてみるとわかります。
腹底はいつも死を恐れているのです。
今死んだらと思うと真っ暗で、後生が不安でならなくなります。
地獄は自分の胸に聞くものです。

仏教を聞いて、本当の自分の姿を照らし出された時、
どうにもならない恐ろしい地獄を全身に知らされます。
死後の存在も疑う余地がありません。
自分の腹底を真面目にのぞいたことのある人なら、みんな必ず自分自身の地獄に泣いています。

もし生きている時に、この世で地獄を見たければ、仏教を聞くことです。
阿弥陀如来の本願によってのみ、真実の自己が知らされます。
自分の過去も未来も現在も手に取るようにハッキリと知らされるのです。

では、その地獄について、仏教の先生方はどのように教えられているのでしょうか?

地獄の種類

地獄というのは、インドの言葉で㮈落迦(ならか)とか泥犂(ないり)ともいわれる苦しみの世界です。
お釈迦さまは、人は死ねば自ら造った悪業によって地獄に堕ちると教えられているのですが、
地獄にはどんな種類があるのかというと、大きく分けると8種類あるとお経に説かれています。
これを「八大地獄」といいます。

それを七高僧の2番目にあげられる天親菩薩は、『倶舎論(くしゃろん)』に、苦しみの激しい方から軽い方へ向かってこう教えられています。

七㮈落迦は無間の上に在りて重累して住せり。その七とは何ぞ。
一には極熱、
二には炎熱、
三には大叫、
四には号叫、
五には衆合地獄、
六には黒縄地獄、
七には等活なり。(倶舎論)

七高僧の6番目の源信僧都は、『往生要集』に、苦しみの軽い方から苦しい方へ向かって、こう教えられています。

地獄、また分かちて八となす。
一には等活、
二には黒縄、
三には衆合、
四には叫喚、
五には大叫喚、
六には焦熱、
七には大焦熱、
八には無間なり。(往生要集)

まとめると、8種類ある地獄はこうなります。
1.等活地獄
2.黒縄地獄
3.衆合地獄
4.叫喚地獄
5.大叫喚地獄
6.焦熱地獄
7.大焦熱地獄
8.無間地獄(阿鼻地獄)
それぞれどんな世界なでしょうか?
七高僧の6番目の源信僧都は、『往生要集』に詳しく教えられています。

1.等活地獄(とうかつじごく)

等活地獄は、地獄の中でも最も苦しみの軽い地獄です。
等活地獄に堕ちた罪人は、指から鋭利な鉄の刀が生えて、お互いに狂ったように斬り合います。
斬り刻まれて死ぬと、冷たい風が吹いて、すぐに息を吹き返します。
死のうと思っても死ねません。
切り刻まれてもまたもとのように生き返るので、等活地獄といいます。

どんな人が等活地獄に堕ちるのかというと、殺生の罪を造った人で、生き物を殺した人です。

等活地獄については、蓮如上人の『御文章』にこのように出てきます。

人間の五十年をかんがえみるに、四王天といえる天の一日一夜に相当れり。
またこの四王天の五十年をもって等活地獄の一日一夜とするなり。(御文章2帖目12通

等活地獄の期間は、約900万年を一日として、500年です。
地球の年齢よりもはるかに長い1兆6千億年以上の長い間、切り刻まれて苦しみ続けなければなりません。

2.黒縄地獄(こくじょうじごく)

黒縄地獄に堕ちると、熱い鉄板の上に寝かせられ、熱鉄の縄で縛られます。
その縄でできた線に従って、熱鉄の斧で、彫刻のように切り刻まれます。
麻酔なしで外科手術を受けるよりも痛く、外科手術なら悪い所を治そうとするのですが、地獄では悪くなる一方です。

地獄の獄卒の鬼が、罪人たちに向かって
心が一番悪く、自分の心が自分を縛って閻魔大王のところへ連れて行く。
家族もこれを救うことはできないのだ

と叱りつけます。

その苦しみは、等活地獄の10倍です。
そして黒縄地獄の期間は、等活地獄の8倍です。

どんな人が堕ちるかというと、殺生をした上に、他人の物を盗む偸盗(ちゅうとう)の罪を造った人です。

3.衆合地獄(しゅうごうじごく)

この地獄には、大きな山が向き合って二つあります。
罪人がこの地獄に堕ちると、その山が自然に動いて挟まれ、潰されます。
完全につぶれると、山はまた元の位置に戻って繰り返されるので、堆圧地獄ともいいます。

また、鉄の山に打ち付けられたり、石臼に入れられて、餅のようにきねでつかれたりします。

この地獄の苦しみは、黒縄地獄の10倍、期間は黒縄地獄の8倍です。

どんな人が堕ちるかというと、殺生と偸盗と、よこしまな男女関係である邪淫(じゃいん)の罪を造った人です。

4.叫喚地獄(きょうかんじごく)

叫喚地獄というのは、ここに堕ちた罪人が、あまりの苦しみに、とても耐えきれずに泣き叫ぶので、叫喚地獄といいます。
ここに堕ちると、風のように走る獄卒に捕まえられて、釜ゆでにされたり、鉄板の上で焼かれます。
罪人が獄卒を恨むと、
自分で悪業を造っておきながら、なぜ私を恨むか。
自分の煩悩に騙されて悪い行いをした時になぜ後悔しなかった。今さら後悔してももう遅い

と叱りつけられます。

叫喚地獄の苦しみは、衆合地獄の10倍、期間は8倍です。

叫喚地獄には、殺生、偸盗、邪淫に加えて、飲酒をした人が堕ちます。

5.大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)

ここでは叫喚地獄と同じように、釜ゆでにされたりするのですが、その苦しみは、叫喚地獄の10倍で、大いに泣き叫ぶので大叫喚地獄といいます。
殺生、偸盗、邪淫、飲酒に加えて、嘘をつくとこの地獄に堕ちます。

大叫喚地獄の獄卒は、罪人を
嘘の猛火は大海さえも焼く。ましてや人を焼くことはたきぎを焼くようなものだ
と叱りつけます。

期間は、叫喚地獄の8倍です。

6.焦熱地獄(しょうねつじごく)

焦熱地獄というのは、激しい炎が罪人を焼くので焦熱地獄といいます。
焦熱地獄の小さな炎を地球に持ってくると、一瞬で焼き尽くされます。
大叫喚地獄までの炎を見ると、雪か霜のように見えます。

焦熱地獄に堕ちると、獄卒に捕まって熱した鉄板の上に仰向けにされて、頭のてっぺんから足のつま先まで金棒で叩かれて肉団子にされます。
また、焼き鳥のように串を通されて、極熱の鉄板の上で猛炎で表も裏もあぶられて、全身から火を噴きます。

殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語に加えて邪見の罪で焦熱地獄に堕ちます。

7.大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)

大焦熱地獄の火炎は極めて激しく罪人を焼くので大焦熱地獄といいます。
ここに堕ちる罪人は、死ぬと、まだ大焦熱地獄に到着しないうちから、大きな地獄と手足の熱い鬼の姿を見て恐れおののきます。
やがて閻魔大王のところで叱責を受け、悪業の縄で縛られて、大焦熱地獄に連れて行かれます。
到着すると見渡す限り大火炎で、獄卒に捕まえられて、真っ赤に焼けた鉄の城に閉じ込められて焼かれます。
獄卒から「この火は普通の火ではなく、地獄の業火である。
普通の火は消すことができるが、業の火は消すことができないのだ

と叱りつけられます。

焦熱地獄の苦しみは、大焦熱地獄の10倍です。

殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語、邪見に加えて戒律を守っている出家の僧侶を犯すと大焦熱地獄に堕ちます。

8.無間地獄(むけんじごく)

無間地獄は、阿鼻地獄(あびじごく)ともいいます。
無間地獄には、堕ちるだけで2千年かかります。
無間地獄に到着すると、一切はただ火炎です。
その苦しみは、大焦熱地獄の1000倍です。
無間地獄から大焦熱地獄を見ると、天上界に見えます。
もしこの無間地獄の苦しみを説いたり聞いたりする者があれば、どちらも血を吐いて死んでしまうほどの苦しみです。

期間は八万劫です。
1劫は4億3200万年といわれるので、気の遠くなるような長い期間です。
無間地獄には、親殺しをはじめとする五逆罪、仏教を謗る謗法罪などの罪を犯した人が堕ちます。

地獄はどこにある?

地獄というと、多くの人は、地下に刑務所のような場所があって、そこに落ちると思います。
罪を犯した人が、死ぬと閻魔大王の裁判を受けて、地獄行きの判決を受けると、獄卒の鬼に連行されて、地獄に連れて行かれる、というイメージです。
ところが、実際に地面を掘っていくと、地獄の世界が広がっているのではありません。
仏教で教えられる地獄は、そういう世界ではないのです。
こういう歌があります。

火の車 造る大工は なけれども
己が造りて 己が乗りゆく

火の車というのは、火で燃えている車のことですが、苦しい状態をいいます。
あそこのうちは、今、火の車だそうだ」というと、生活が苦しいことを言います。
現代では、車を作っているのは、トヨタとかホンダとか日産などの自動車メーカーですが、昔は、車といえば大工さんが造りました。
ところがこの歌では、火の車を造る大工はいないんですよ、といわれています。
火の車は、他人が造ったのではなくて、己が造って、己が乗り行く。

地獄というのは苦しみの世界ですが、誰か他人が造ったものではないんですよ、
その人その人の悪業が造った苦しみの世界なんですよ、ということです。
自分の悪い行いで、苦しい状態を生み出しているのです。
だから、地獄は誰かが造ってそこに閉じ込められるのではなく、自分が自分の周りに生み出した世界なのです。

地獄を生み出す行いとは?

では、自分のどんな行いが地獄を生み出すのかというと、欲や怒りや愚痴の心です。

私たちの欲は、どこまで求めても、まだ足りない、まだ足りない、もっともっとと限りなく求め続けます。
欲の深さにはきりがありません。どこまでも求め続けるのが欲の心です。

怒りというのは、腹の立つ心です。
少し気に入らないことがあると、イライラしたり、カッとなって怒ります。

ねたみというのは、愚痴の心です。
因果応報の因果の道理が分からずに、幸せそうな人を見ると、引きずり下ろしたくなります。
また、苦しんでいる人をみると面白がる心です。

このような欲と怒りと愚痴の煩悩で、悪ばかり造っているのです。
その悪によって、自ら生みだしている世界が地獄です。
だから、死ねば必ず地獄へ堕ちて苦しまなければならないとお釈迦さまは教えられています。

浄土真宗では死んだら地獄?

親鸞聖人は、
お釈迦さまのおっしゃっている通りだった
と『歎異抄』でこう言われています。

いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。(歎異鈔)

」というのは善のことです。
いずれの行も及び難き身」というのは、親鸞は一つの善もできなかった、できない親鸞であった、ということです。
だから「地獄は一定すみか」といわれています。
すみか」といったら離れることができない家のようなものです。
一定」というのはハッキリしている、ということですから、死ねば地獄はハッキリしている、ということです。
間違っても極楽へは往けない、誰が堕ちなくても親鸞は地獄行きだと言われているのが、
いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし
というお言葉です。
お釈迦さまの教えられた通りだったと親鸞聖人は身をもって知らされて、『歎異抄』にいわれています。

親鸞聖人のように9歳から29歳まで比叡山で血のにじむような修行をされた方でも一つの善もできないのですから、
私はそんな地獄行くような悪いことやってないけどなー
というのは、まだ本当の自分の姿が分かっていないだけです。
欲や怒りやねたみの心で、口と身体でどんな悪を造っているか、阿弥陀如来の本願を聞けば、ハッキリします。

蓮如上人も、『帖外御文』にこういわれています。

後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし。(帖外御文)

後生」というのは、死んだらどうなるかということですから、蓮如上人も、お釈迦さまの教えられているように、死んだら非常に長い間地獄で苦しまなければならないといわれています。
これを「後生の一大事」といいます。
だからはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀如来の救いにあいなさい、信心決定しなさい、といわれています。
信心決定すれば、輪廻転生して永遠に迷い苦しみ続ける根本原因が絶ちきられ、この世から、未来永遠の幸せになれるのです。

では、その苦しみ迷いの根本原因とは何か、どうすれば断ち切られるのかについては、以下の電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめてありますので、今すぐお読みください。

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著者紹介

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生おさなみみずき

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。何とか仏教に関心のある人に知らせようと10年ほど失敗ばかりした後、インターネットの技術を導入し、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者3千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらおうと奮戦中。

仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能