大無量寿経とは?
『大無量寿経』は、『無量寿経』ともいわれ、浄土真宗で最も大切にされるお経です。浄土三部経の中でも最も重要なお経です。
一体どんな内容なのでしょうか?
大無量寿経とは
『大無量寿経』は別名『無量寿経』といわれるほかにも、上下二巻あるので『双巻経』といわれたり、略して『大経』といわれたりします。
親鸞聖人がよく引用される
『無量寿如来会』
『平等覚経』
『大阿弥陀経』
『無量寿荘厳経』
は『大無量寿経』と翻訳者の異なる異訳のお経です。
『大無量寿経』は、七千余巻ある釈迦の説かれた一切経の中でも最も重要なお経です。
お釈迦さまは35歳で仏のさとりを開かれてから、80歳でお亡くなりになるまで、45年間教えを説かれました。
その教えは今日、たくさんのお経となって書き残されています。
それは一切経七千余巻といわれる膨大なお経です。
そのたくさんのお経の中でも、お釈迦さまはこれを説きたかったというお経が『大無量寿経』です。
ですから『大無量寿経』は、出世本懐経といわれます。
「出世本懐経」とは、お釈迦さまがこの世にお生まれになられた目的、そして仏教を説かれた目的のお経ということです。
それはお釈迦さまの本心が説かれている、ということです。
ですから一切経を何回も何回も読み破られた親鸞聖人は、主著『教行信証』の最初にこのように教えられています。
それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。
(教行信証)
「教」は、お経には教えが説かれていますので「経」と同じ意味です。
仏教では真実は一つしかありませんので、たくさんのお経の中で、真実のお経は、『大無量寿経』一つだということです。
それ以外のお経は、『阿弥陀経』も『観無量寿経』も『法華経』も、みんな『大無量寿経』へ導くための方便のお経だということです。
ではなぜ『大無量寿経』が釈迦出世本懐のお経であり、唯一の真実のお経なのでしょうか?
なぜ大無量寿経が唯一の真実なのか
なぜ『大無量寿経』が一切経の中で唯一の真実のお経なのかというと、親鸞聖人は、お釈迦さまがそのようにおっしゃっているからだと根拠をあげておられます。
お釈迦さまが『大無量寿経』を説き始められる時と、終わられる時に、他のお経にはないことがいくつかあったのです。
まず、お釈迦さまが『大無量寿経』を説かれる時に、今までお弟子たちが見たこともない尊いお姿を現されたのです。
『大無量寿経』の最初にこう説かれています。
その時、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして光顔魏魏とまします。
(大無量寿経)
「諸根悦予」とは、体中が喜びにわきたっておられたということです。
「姿色清浄」とは、きよらかなお姿を表しておられたということです。
「光顔魏魏」とは、お顔がぎぎとして輝いておられたということです。
お釈迦さまにとっては、いよいよこの世に生まれた目的を説く時がきた、と非常に喜びに満ちておられたのです。
そして、お釈迦さまは「五徳瑞現」といわれる、すばらしいお姿を現されます。
これから何かすごいことが起きる奇瑞を現わされたわけです。
その尊さは、お弟子の阿難が驚いて、立ち上がるほどであったと『大無量寿経』に説かれています。
それを親鸞聖人もこう教えられています。
尊者阿難座よりたち 世尊の威光を瞻仰し(浄土和讃)
「尊者阿難」というのは、お弟子の中でも最も長く、20年間お釈迦さまのおそばで仕えたお弟子です。
お釈迦さまは、今から説法をされる所ですので、阿難は座らなければならないのですが、
その阿難が驚いて立ち上がったということです。
「世尊」とはお釈迦さまのことです。
お釈迦さまが、それほど全身喜びに満ちて、お顔が光り輝いておられたので、仰ぎ見た阿難が、
「お釈迦さま、今まで長い間お仕えしてきましたが、今日のようなお姿はいまだかつて拝したことがございません。
これはとてもただごととは思えません。
どうもお釈迦さまの御心の中には、尊い仏のかげが宿っておられるようです。
お釈迦さまは尊い仏を念じておられるようですが、どうなされたのでしょうか?」
とお尋ねします。
お釈迦さまは、この時、「大寂定三昧」に入っておられたのです。
「大寂定三昧」とは「弥陀三昧」ともいわれます。
これは、分かりやすくいいますと、お釈迦さまは、大宇宙の諸仏の先生である阿弥陀如来の催眠術にかかったような状態です。
催眠術にかけられると、かけられた人は、何でも言う通りになります。
「右のほうへ歩きなさい」
と指示すると、右のほうに歩いて行きます。
「こう話しなさい」
と言われると、その通り話します。
お釈迦さまは、阿弥陀仏の催眠術にかけられて、ロボットのようになってしまわれたのです。
これは阿弥陀仏のお力によるものです。
ですから『大無量寿経』を説かれたのはお釈迦さまの口であったのですが、まるで腹話術の人形のように、阿弥陀仏のお言葉を説かれたのです。
もともとお釈迦さまは尊いお姿をされていたのですが、側近の阿難が驚くほど、もはやお釈迦さまであってお釈迦さまでない、阿弥陀如来のようなお姿になられたということです。
そしてお釈迦さまは、
「阿難よ、よくぞ尋ねた。
誰かにそういうことを尋ねて欲しいといわれたのか、それともそなた自身が尋ねたのか」
と聞かれます。
「誰から言われたことでもございません。
私自身が感じたのでございます」
と申し上げると、
「そうか阿難、よく聞いた、そなたの智慧はすばらしい」
とおほめになられます。
そして「実は今日こそ私がこの世に生まれた目的を説こうと思っているのだ」とこのように説かれます。
如来、世に出興する所以は道教を光闡し、群萌を拯い恵むに真実の利を以てせんと欲してなり。(大無量寿経)
これは、「私が地球上に現れた目的は、まず方便の教えを説き開き、すべての人を真実の救いに導くためであったのだ」、ということです。
こうしてお釈迦さま自らが『大無量寿経』が出世本懐であると説かれているのです。
これだけでも、『大無量寿経』が出世本懐経であることは明らかなのですが、もう1つは、お釈迦さまが『大無量寿経』が説き終わられた時のことです。
唯一永遠の教え
『大無量寿経』が出世本懐経である2つ目の理由は、親鸞聖人は、「特留此経」といわれています。
『大無量寿経』の最後にお釈迦さまは、こう説かれているのです。
当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。
(大無量寿経)
「経道」とは一切経のことです。
お釈迦さまの説かれた一切経が滅尽する時がくると言われています。
「滅尽」とは、消滅して、なくなってしまうということです。
お釈迦さまは、私が死んだ後、一万年後には、『法華経』などの一切のお経がなくなってしまう法滅の時代が来ると説かれています。
しかし、「特にこの経を留めて」この『大無量寿経』だけはなくならないといわれているのが「特留此経」です。
「止住すること百歳せん」の「百」は、99+1の100ではありません。
「百」は満数と言って無限ということです。
そのことは、異訳の『無量寿如来会』でも、
「まさに是の法をして久しく住して滅せざらしむべし」
と言われています。
サンスクリット本でも「この教法が滅びないように偉大な贈物をするのだ」と明らかです。
ですからこのお言葉は、やがて一切経が消滅する時代になっても『大無量寿経』だけは永遠に残り、すべての人々を本当の幸せに救い続けるであろう、ということです。
真実というのはいつでもどこでも変わらない三世十方を貫くものです。
時代によって消えてしまうものは、真実ではありません。
『大無量寿経』だけが唯一の真実のお経なのです。
そして、お釈迦さまは『大無量寿経』を説き終わられると、私のなすべきことはみな終わった、と満足されたと説かれています。
このようなことから親鸞聖人は、一切経で唯一の真実の経は『大無量寿経』である、と簡潔明快に明らかにされているのです。
では『大無量寿経』には何が説かれているのでしょうか?
大無量寿経の内容
『大無量寿経』に説かれていることは、阿弥陀如来の本願です。
阿弥陀仏の本願とは、阿弥陀仏のお約束のことです。
『大無量寿経』に説かれていることは、阿弥陀如来の本願以外にありませんから、親鸞聖人は『正信偈』に、こう説かれています。
如来所以興出世
唯説弥陀本願海(正信偈)
これは、「如来、世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんとなり」
と読みます。
「如来」とは、この世に現れた如来ですから、釈迦如来のことです。
「所以」とは、目的ということです。
お釈迦さまが地球上に現れて、仏教を説かれた目的は、ただ一つ、といわれています。
それが、「弥陀の本願海」です。
「弥陀の本願海」とは、阿弥陀如来の本願のことです。
阿弥陀如来の本願は、大変広くて深いので、海にたとえて本願海といわれているのです。
このように、『大無量寿経』に教えられたことは、阿弥陀如来の本願一つなのです。
では、阿弥陀如来の本願をどのように説かれているのでしょうか。
阿弥陀如来の本願は、漢字36字でこのように教えられています。
設我得仏 十方衆生(たとい我仏を得んに、十方の衆生)
至心信楽 欲生我国(至心に信楽して我が国に生れんとおもうて)
乃至十念(ないし十念せん)
若不生者 不取正覚(もし生れずは正覚を取らじ)
唯除五逆 誹謗正法(ただ五逆と正法を誹謗せんことを除かん)
(大無量寿経)
これはお釈迦さまが説かれたのですが、阿弥陀仏の催眠術にかけられたような状態で説かれていますので、阿弥陀仏のお言葉です。
分かりやすくいいますと、
「どんな人も 必ず助ける 絶対の幸福に」
ということです。
「絶対の幸福」とは、私たちが普段求めている続かない、儚い幸せではなく、いつまでも変わらない幸福のことです。
その絶対の幸福にすべての人を必ず救うと誓われているのが阿弥陀如来の本願なのです。
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著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。