善鸞(ぜんらん)と秘事法門
善鸞(1217-1286)は慈信房善鸞(じしんぼうぜんらん)といって、浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人の長子です。
ところが、浄土真宗では異端とされる秘事法門(ひじほうもん)の祖とされ、親鸞聖人から勘当されています。その大きな原因は3つあります。
また、秘事法門には7つの特徴があります。
一体どのようなことなのでしょうか?
目次
善鸞の生い立ち
善鸞は1207年、34歳の親鸞聖人の長男として、生を受けました。
当時の親鸞聖人は、法然上人のお弟子でしたが、承元の法難といわれる権力者からの弾圧を受け、新潟県へ流刑にあわれます。
善鸞も連れられて、新潟県で幼い頃を過ごします。
約5年を新潟県で過ごされた後、親鸞聖人は善鸞を連れて関東へおもむかれ、茨城県の稲田を中心に、20年以上、布教に挺身されました。
その間、善鸞も親鸞聖人から教えを受けて、やがて浄土真宗の僧侶となります。
やがて60歳を過ぎられた親鸞聖人は、生まれ故郷の京都へお帰りになりますが、その後の関東では、親鸞聖人の教えを聞いていた人達が動揺する大きな問題が起きてきました。
日蓮の出現
当時の関東に起きた大きな問題とは、日蓮宗を開いた日蓮が現れたことです。
1252年、37歳の善鸞より5歳年下、32歳の日蓮が関東にやってきて「念仏無間」と騒ぎ始めます。
念仏無間とは、念仏を称えたら無間地獄に堕ちるという意味で、念仏を説かれたお釈迦さまを冒涜する主張です。
最初は関東の人たちも相手にしなかったのですが、あまりに自信ありげに大きな声で繰り返し叫び続けるため、「ひょっとして……」と不安になる人が現れ始めたのです。
そして、朝廷だけでなく、鎌倉幕府も念仏を弾圧する関東の厳しい情勢の中、善鸞は親鸞聖人の使いとして、教えを説いていました。
『最須敬重絵詞(さいしゅきょうじゅうえことば)』には
初は、聖人の御使として、坂東へ下向し、浄土の教法をひろめて、辺鄙の知識にそなわりたまいける
とあります。初めは親鸞聖人の使いとして関東で浄土真宗の教えを広めて田舎の人たちの先生になっていた、ということです。
その善鸞のもとへ、「念仏称えたら次から次へと苦しみがやってきて、死ねば地獄へ堕ちるだろう」と日蓮からいわれた人たちが訪ねてきます。
「今日あって明日なき命、死ねば後生は一大事だ。
もし日蓮の言う通りなら大変なことになる。
念仏は本当に地獄へ堕ちるたねまきなのか、極楽往きのたねなのでしょうか?」
と不安に駆られている人たちや、
「早く信心決定したい、何とか信心決定するコツとか近道はないのですか?」
という人たちがいました。
善鸞は、多くの問題に悩まされながらも、その人たちの質問に答えていかなければなりません。
一体どうしたのでしょうか?
1.秘密の法文の開発
善鸞は、悩み抜いた結果、教えの内容を変えてしまいます。
『最須敬重絵詞』はこう続きます。
初は、聖人の御使として、坂東へ下向し、浄土の教法をひろめて、辺鄙の知識にそなわりたまいけるが、後には、法文の義理をあらため……
善鸞はこう言います。「実は父、親鸞から真夜中、直々に授けてもらった本当の教えがある。
時期が来たら話せと言われていたのだ」。
そして釈迦がただ一つ説かれた阿弥陀如来の本願を、昔は咲き誇っていたものの今はしぼんだ花にたとえて、どんなにきれいな花でもしぼんでしまえばどうにもならないから、今までのような話はどれだけ聞いても助からないと言います。
そして、阿弥陀如来の本願に代わって、信心を頂く「秘密の法文」がある、と言い出したのです。
その秘密の法文を授ける儀式を夜中に行い始めます。
これがやがて秘事法門と言われるようになるのです。
それだけではありません。
善鸞はますます仏教から遠ざかって行きます。
2.仏教を離れて神道に
善鸞について書かれた『最須敬重絵詞』はこう続きます。
あまさえ巫女の輩にまじわりて、仏法修行の儀にはずれ
巫女(みこ)というのは、神道で神に仕え、祈祷する女性ですから、
仏教から外れ、神に仕える神道の人達の仲間になってしまったのです。
お釈迦さまは仏教の結論としてこう教えられています。
一向専念 無量寿仏(いっこうせんねん むりょうじゅぶつ)
「無量寿仏」とは、阿弥陀仏のことです。阿弥陀仏は、すべての人を救うとお約束されています。
ですから一向専念無量寿仏とは、阿弥陀仏一つに向きなさい、阿弥陀仏だけを信じなさい、ということです。
なぜなら阿弥陀仏以外の諸仏や菩薩や諸神は、出家して厳しい修行をしなければならないとか、難しい修行ができた人だけとか、差別があります。すべての人を平等に助けるという諸仏も菩薩も諸神もないからです。
すべての人を救うという仏は阿弥陀仏しかありません。
私たちが後生の一大事助かる道はそれ以外にないのだから、決して阿弥陀仏以外の諸仏や菩薩や諸神に向いてはならない、大宇宙の諸仏の王である阿弥陀仏に助けてもらいなさい、というのが仏教の結びの言葉です。
その釈迦の教えに反して、善鸞は神に仕えるようになっていたのです。
それは親鸞聖人がお亡くなりになってからも、3代目の覚如上人が病のときに、このような病気治しのふだを渡そうとしたことからも分かります。
われ符をもって、よろずの災難を治す。
(最須敬重絵詞)
さらには、お父さんの親鸞聖人の教えられたことも守りませんでした。
3.権力者に他のお弟子の弾圧を申請
親鸞聖人は、仏教を伝えただけで、たくさんの人を死刑にし、法然上人を流刑にした権力者に対して、主著の『教行信証』に、
「天皇から下臣に至るまで、仏法に背き、正義にたがい、無法な怒りで罪悪を作っている、何たることか」
主上・臣下、法に背き義に違し、忿を成し、怨を結ぶ(教行信証)
と記され、権力者と決別されました。
さらに親鸞聖人は、権力者の性質を熟知され、お手紙に
余のひとびとを縁として、念仏をひろめんとはからいあわせたまうこと、ゆめゆめあるべからずそうろう
(御消息)
と教えられています。「余のひとびと」とは、権力者のことです。権力者を利用して仏教を広めようとしてはならない、ということです。
権力者を利用しようとしても、逆に利用されて、教えを曲げられてしまうのです。
このように親鸞聖人は権力者には近づくな、と教えられていたのです。
ところが善鸞は、権力者に近づき、勢力を拡大しようとします。
最後は鎌倉幕府に、親鸞聖人がこう言われたといって、他の親鸞聖人のお弟子を弾圧する働きかけまでするようになったのです。
善鸞の勘当
京都におられた親鸞聖人は、手紙などでこの善鸞の様子を知られます。
阿弥陀如来の本願を否定し、秘密の法文を授ける儀式を考え出すなど、夢にも思っておられないことです。
そんなことは絶対にあってはならないことだと、親鸞聖人は、何度も何度もいさめの手紙を善鸞へ書き送られます。
しかし、一向に改める気配はありません。
確かに「一向専念無量寿仏」を伝えるのは大変なことです。
強調すると、聞いた人は、偏っているのではないかと言って離れて行きます。
それよりも、儀式で信心獲得できると言ったほうが、手っ取り早く信者もお金も集まります。
そして「よらば大樹のかげ」とばかりに権力者に近づきます。
親鸞聖人が何度いさめても、あまり重く受け止めなかったのか、善鸞は少しも改めませんでした。
親鸞聖人はどれほど苦しまれたか分かりません。
これでは全人類の救われるたった一本の道がぶち壊されてしまいます。
どんな人にとっても我が子はかわいいものですが、そんな私情のために多くの人が地獄につき堕とされるのを黙って見過ごすことはできないと、やがて親鸞聖人は善鸞を勘当することを決意されます。
そしてついに84歳のとき、50歳の善鸞を勘当したのでした。
このような勘当状が残っています。
あさましさ、申すかぎりなければ、今は、親ということあるべからず。
子と思うこと、思いきりたり。
かなしきことなり。愚禿釈親鸞
親子の縁を切るということは、自ら子供を殺すようなものですから、親鸞聖人はどれだけ悲しまれたか分かりません。
それに加えて親鸞聖人はこれまでも、肉食妻帯の破戒僧だとか、仏教を破壊した悪魔だとか、色々な非難攻撃を受けてこられました。
それなのにまた子供を勘当したとなれば、世間からは
「自分の子供さえ導けない者が、人を導けるはずがない」
と非難攻撃されることは火を見るより明らかです。
そうまでして、私たちに真実の仏教を明らかにしようとされたのです。
この善鸞の勘当が、親鸞聖人90年間のご生涯の中でも最も苦しまれたことであったでしょう。
親鸞聖人は臨終にも会われない
そして親鸞聖人が90歳でお亡くなりになるとき、善鸞は、関東から会いに来ます。
何とか臨終直前に間に合い、
「ぜひともお父さんに最後、一目でいいからあわせて頂きたい」
と玄関先で他の人に頼みます。
ところが親鸞聖人は、
「見せることはならん、そのまま帰せ」
と拒否されています。
勘当されているのに最後に会いに来たんだから、普通は改心して謝罪しにきたのではないかと思います。
それでもなお許されなかったということは、善鸞の今まで犯してきたことが、いかに仏教の教えを曲げ、多くの人を地獄へ堕とす恐ろしい行為であったかということです。
もし顔を見せたら、それを許したと受け取られかねません。
他の人が、やはり善鸞は正しかったのかと思ってしまいます。
後生の一大事は大変な問題なので、みんなが少しでも迷うような言動はとられなかったのです。
それで親鸞聖人は最後まで拝顔を許されず、真実の仏教を徹底されたのでした。
それでも善鸞の始めた秘事法門は、各地に潜行伝播し、現代まで伝わってしまったのです。
秘事法門とは、どんなものなのでしょうか?
秘事法門の7つの特徴
秘事法門は、土蔵秘事ともいわれます。
これは、夜中密かに土蔵などで儀式を行い、信心を頂けるという人工信心です。
秘事法門には、7つの特徴があります。
1.絶対に秘密を守れと言う。
2.夜中に信心を授ける。
3.彼らの言う善知識から「それでよい」と信心が認可される。
4.儀式によって信心を貰う。
5.信心を貰った年月日時に覚えがなければならぬ、とやかましく言う。
6.頂いた後は、聞く気がなくなる。
7.求道に苦労した体験談ばかり言う。
それぞれどんな特徴でしょうか?
1.絶対に秘密を守れと言う。
秘事法門は、儀式のことは秘密にして、他人に言ってはならないといいます。
それで「秘事法門」といいます。
言ってはならないのは、妻にも子にもです。
どうやって信心頂いたか、
いつ信心頂いたか、
そんなことをもし言ったなら、あなたの信心は、なくなってしまう、と言います。
しかし、なくなるようなものは真実の信心ではありません。
また、お釈迦さまは、如来の法には何かを弟子に隠そうとするような秘密はないとお経に説かれています。
親鸞聖人の教えも仏教以外にはありませんので、秘密はありません。
蓮如上人は、このような「秘事法門」について『御文章』にこう教えられています。
秘事法門といえることは、更に仏法にてはなし。あさましき外道の法なり。
これを信ずる者は、永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり。
(御文章2帖目14通)
秘事法門は、仏教ではないから、地獄へ堕ちてしまうということです。
だから蓮如上人は続けて「急ぎその秘事をいわん人の手を離れて、速く授くるところの秘事を、ありのままに懺悔して、人に語りあらわすべきものなり」(御文章)
早くその秘事法門の人から離れて、他の人に言いなさい、と教えられています。
2.夜中に信心を授ける。
昼間よりも、夜中のほうが神秘的な雰囲気になり、感情が高ぶるので、こういう儀式は夜に行われます。
ところが他力の信心を獲得するというのは、このように人間の操作によって人工的に作られるものではありません。
親鸞聖人は、『教行信証』にこう教えられています。
信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す(教行信証)
「信楽」とは他力の信心、「如来選択の願心」とは、阿弥陀如来の本願です。
「信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す」とは、他力の信心を獲得するのは、阿弥陀如来の本願のお力によるのだ、ということです。
真実の信心は、夜中に儀式を行って、人工的に感情をあおって授けるものではありません。
3.彼らの言う善知識から「それでよい」と信心が認可される。
「善知識」とは正しい仏教の先生のことです。
信心は、心の問題ですから、究極的には他人には分かりません。
信心獲得すれば、心や口や身体に表れますが、心や口や身体から信心を得たかどうかは分かりません。心や口や身体から判断できる信心は、自力の信心です。
真実の信心は阿弥陀仏と本人の間の問題です。
ですから、真実の信心を他人が認可することは、原理的に不可能なのです。
そういうことを知らない人は、「それでよい」といわれると、それで安心してしまって、前進しなくなってしまいます。
こうなると、もう真実の信心を獲得まで求め切ることができなくなってしまうのです。
4.儀式によって信心を貰う。
これは色々な儀式がありますが、大体は寺の本堂ではなく、お仏壇の前で行われます。
誘われてきた人がふらふらになるまで首をふったり、体をゆすったり、おさえつけたりするものもあります。
また儀式に類するものでは、会場で7人から8人の円陣を作ります。
そして「後生が苦になって眠れません。どうしたら救われるんですか」という人を真ん中に囲みます。
そして具体的な罪悪を、
「こんな悪いことをしていないか」
「こんな悪いことを思っていないか」
と聞いて責めます。
「そんなことをしているうちに、今死んだらどうなるのか」
と周り中から大声で責め立てます。
すると、本人も辛くなって感情が高ぶり、わーっと泣き崩れます。
はいずり回る人もあります。
そうすると、先生の立場の善知識が「信心頂けたぞ」と言います。
すると、これで救われたのかと思って喜びが起きてきます。
周りの人も、「よかったね、よかったね」
「おめでとう、おめでとう」と喜びます。
するとますます自分は助かったと思って、喜びがこみ上げます。
そして、それが、『正信偈』に
「獲信見敬大慶喜」(正信偈)
とある大きな慶びですよ、
最初に泣いたのが「三品の懺悔(さんぼんのさんげ)」ですよ、と説明されて、納得します。
このように、各地に色々なものもありますが、いずれも人間の力で人工的に信心を作り上げるものです。
5.信心を貰った年月日時に覚えがなければならぬ、とやかましく言う。
秘事法門で儀式によって授けられる信心は、感情が高ぶった喜びでできていますので、時間が経つと薄れてきて、やがて消えてしまいます。
こうして経年劣化して忘れてしまうのを防ぐために、秘事法門では、
「年月日時を覚えておかなければならない」と言われるのです。
真実の信心決定はいつとはなしに頂くのではなく、ハッキリした体験ですから、その瞬間は自覚があります。
しかし、その年月日時を覚えているかどうかは関係ありません。
仏教では時を2つに分けて言います。
1つは「実時(じつじ)」、もう1つは「仮時(けじ)」です。
「実時」とは、午前7時とか、午後2時10分などです。
「仮時」とは、夢のさめた時、蜂にさされた時、痛かった時などです。
仏教でどちらを使うかというと、仮時です。
お経を読んでみても、何年何月何日に説かれたとは言われていません。
「一時仏……」というように、「ある時」仏は……といわれています。
仏教で時を言われるときは必ず仮時です。
ですから親鸞聖人も覚如上人も蓮如上人も、信心決定されたことは明言されていますが、どこにも「実時」では語られていません。
あっても、せいぜい29歳のとき、くらいです。
「私は何月何日、何時何分に獲信した」と語っていたり、
「獲信の年月日時に記憶がなければならない」などと、実時を言う人があれば、親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人と異なる信心でしょう。
6.頂いた後は、聞く気がなくなる。
秘事法門の信心は、頂くと仏教を聞く気がなくなります。
ところが、真実の信心を頂くと、ますます聞きたくなるのです。
蓮如上人は、『御一代記聞書』にこう教えられています。
一つことを聞きて、いつも珍しく初めたるように信の上にはあるべきなり。
信心決定すると、同じ一つのことを何回聞いても、まるで初めて聞いたように、新鮮な喜びと感動がある、ということです。
昔、三代市(みよいち)というお嫁さんが、姑の反対の中、阿弥陀如来の本願を聞き抜き、ついに死ねば浄土往生間違いなしの信心を喜ぶ身になりました。
それを聞いた姑が、こんな歌を歌います。
「危ぶみの ないならなぜに 寺参り とぼとぼせずに 家で喜べ」
もう阿弥陀如来に救われたんだったら、わざわざ寺なんかに行って聞かなくてもいいじゃないか、
もっと家で働いたらどうだ、ということです。
それに対して三代市はこういう歌を返しています。
「危ぶみの なき身にして 下された ご恩思えば 家におられず」
阿弥陀如来に救われご恩を思えば、余計に聞かずにおれないということです。
それに対して秘事法門の人工信心を頂いてしまうと、それで聞く気がなくなってしまいますので、本当に救われるまで求めなくなってしまうのです。
7.求道に苦労した体験談ばかり言う
また秘事法門に類する人の場合は、よく
「あの人も獲信した」
「この人も獲信した」といいます。
妻は34歳3カ月の時、
娘は8歳6カ月の時、
弟は27歳4カ月の時に獲信した、
などとその人の実名を挙げて、獲信の年月を記したり、語ったりします。
そして、いつ、どこで、どのように、こんな人に出会って、こんな苦しい思いをして、誰のもとで求めて、こんな苦労をして、どの位の期間で救われた、と救われるまでの具体的な体験談をとうとうと語ります。
このような具体的な信仰体験は、一人一人違いますが、熱烈に語ると人を引きつけますので、特に救われるまでの体験談を強調します。
それは、自分はこんなに頑張ったという自慢話でもありますから、言いたいのです。
(それに引き換え、救われたらどうなるかはほとんど言いません)
このような具体的な体験談を聞かされたり読まされたりした人は、きっとこんなものだろうと自分の頭で設計図を作り、「ああなろう、ああなろう」と猿マネをします。
そして、少しでも何らかの体験があると、その程度で信心を頂いたと思い込んでしまい、そこで止まってしまうのです。
善鸞は、このような人工信心のもとを作ってしまったのです。
ところが、このような救われるまでの体験談は、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人などの善知識方のどこにも見られないことです。
個人的な具体的な体験談は、一人一人違いますから、すべての人に共通する教えになりません。
ですから仏教を正しく教える善知識は、救われるまでの具体的な体験談は相手の為になりませんから一切説かれず、万人共通の救われた世界、絶対の幸福の世界ばかりを説かれます。
その上で親鸞聖人は、どうすればそんな絶対の世界に出られるのかということを、いつ、どこでどうなったと全く言われず、いつでもどこでも、万人に共通する表現で明らかにされているのです。
それで親鸞聖人の教えは何百年経っても色あせずに伝えられ、私たちの胸を打つのです。そして、私たちを活き活きと真実へ導いてくだされるのです。
秘事法門にひっかかりやすい人
一方、善鸞の生みだした秘事法門も、浄土真宗の広まりと共にコバンザメのように広まっていきます。
浄土真宗の盛んな地域では現在も潜行伝播し、人々を迷わせているのですが、どのような人が、秘事法門にひっかかりやすいのでしょうか?
それは秘事法門の特徴を考えれば分かります。
秘事法門にはこれまで挙げたような、以下の7つの特徴があります。
1.絶対に秘密を守れと言う。
2.夜中に信心を授ける。
3.彼らの言う善知識から「それでよい」と信心が認可される。
4.儀式によって信心を貰う。
5.信心を貰った年月日時に覚えがなければならぬ、とやかましく言う。
6.頂いた後は、聞く気がなくなる。
7.求道に苦労した体験談ばかり言う。
これらによって、手っ取り早く信心を頂いたと思い込ませ、真実の信心を獲得することを妨げてしまう恐ろしい教えが秘事法門です。ということは、手っ取り早く救われたい人、まじめな人がひっかかりやすいのです。
初心者の人は、あまり後生も問題にならず、救われたいという気持ちがまだ強くないので、あまりひっかかることはありません。
それがやがて仏教を聞いて後生の一大事が知らされ、早く救われたいという気持ちが強くなるほど、引っかかりやすくなります。
ですから秘事法門の人は、初めての人に仏教を伝える気持ちはなく、ある程度ご縁が深まった人に近づいてくるのです。
ご縁が深くなればなるほど引っかかりやすくなりますから、秘事法門には最後の最後まで注意が必要なのです。
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著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。