「現代人の仏教教養講座」

 

「浄土真宗」入門講座

浄土真宗の大切な所をわかりやすく解説

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生きる意味を、知ろう。

浄土真宗のお仏壇

世間では、お仏壇は先祖を祭るところだと思われているかもしれませんが、そうではありません。先祖の霊が宿る所でもありません。
浄土真宗のお仏壇には、どんな意味があるのでしょうか?

お仏壇とは

浄土真宗のお仏壇は、御本尊を御安置するところです。
浄土真宗で金仏壇が使われるのは、極楽浄土を表したものです。
御本尊とは、根本に尊ぶべきものですから、これ以上大事なところはありません。

信は荘厳より生ず」とまで言われるように、お仏壇を荘厳する気持ちが大切です。 それは仏縁のあらわれです。
とはいっても、お仏壇を荘厳するとき、皆に見てもらいたくて仏壇を立派にするという人もありますが、そうではありません。
御名号を尊ぶが故に荘厳するのです。
お仏壇を欲しいというのは、御名号を尊ぶ気持ちでなければなりません。
そういう気持ちでお仏壇を用意して、お仏壇の真ん中に御本尊を御安置し、荘厳させて頂くのが大切です。

お仏壇の種類

お仏壇には、大きく分けて、唐木仏壇と金仏壇の2種類があります。
唐木仏壇とは、紫檀(したん)や黒檀(こくたん)などの唐木の仏壇です。
金仏壇とは、檜・松・欅・杉などの白木に漆を塗り、金箔を施されたものです。

どちらでなければいけないということはありませんが、浄土真宗では主に金仏壇を使います。
それは、阿弥陀仏の極楽浄土を、私たちにわかりやすいように表現しようとしたものです。

お仏壇の大きさ

お仏壇の大きさは、その中に御安置する御本尊の大きさに合わせてつくられています。
御本尊の大きさは、五十文のお布施で御下付して頂いた御本尊を五十台、二百文のお布施で御下付して頂いた御本尊を二百台と呼ばれていましたので、御本尊の大きさは、三十台、五十台、七十台、百台、百五十台、二百台というように呼ばれます。

それに合わせて、お仏壇も、三十台、五十台、七十台、百台、百五十台、二百台というように呼ばれます。

お仏壇の構造

御本尊を御安置する仏殿を「宮殿(くうでん)」といいます。
これは浄土の宮殿楼閣をあらわしたものです。
御仏壇の中で最も精巧に作られています。
宮殿の屋根は、本願寺派(西本願寺)は一重屋根、大谷派(東本願寺)は二重屋根になっています。

宮殿を支えている壇を「須弥壇(しゅみだん)」といいます。
昔のインドでは、世界の中心に須弥山(しゅみせん)という山があり、その上のほうを仏様のおられるところとしたのです。

お仏壇には内扉がありますが、これを障子といいます。
本願寺派では巻障子(まきしょうじ)、大谷派では金障子(きんしょうじ)といいます。

お仏壇に入れてはいけないもの

浄土真宗では、他の宗派と違い、お仏壇に入れてはいけないものがあります。

それというのも、浄土真宗は「一向宗」とも言われますように、阿弥陀如来一仏に向かい、それ以外の諸仏や菩薩や神には一切、手を合わせたり、拝んだりいたしません。
なぜならお釈迦さまが、仏教の結論として、「一向専念無量寿仏」と説かれ、私たちの後生の一大事を解決し、この世から未来永遠の幸福に救ってくださる仏は、大宇宙広しといえども、阿弥陀如来以外にはましまさぬのだと教えられているからです。

このことを蓮如上人は『御文章』に、「一心一向というは、阿弥陀仏において、二仏をならべざる意なり」と教え示されています。

ですからお仏壇の中は、「南無阿弥陀仏」の正御本尊のみにして、雑行の対象になるようなものは置かないのがよいのです。

たとえば、亡くなった方の位牌や写真などは、お仏壇の中ではなく、別の場所に置くように致しましょう。
御名号以外の掛け軸、仏教に関する掛け軸なども、同様です。
各地の神社仏閣のお札や祈祷の札、参詣記念の土産品も入れません。
そのようなものは、玄関や柱にもはらないようにします。

親鸞聖人や蓮如上人の御影は、お仏壇の外の両側にお掛けするのがよいでしょう。
お仏壇の中は「南無阿弥陀仏」の正御本尊のみで、スッキリするのが、親鸞聖人の御心にかなったお仏壇の中です。

お仏壇を求める時期

世間では、「誰も死んでいないのに仏壇を求めると死者が出る」などと言われますが、とんでもないことです。
お仏壇は死者のための場所ではないのです。
浄土真宗の門徒は、何百年も前から朝晩おつとめをさせて頂くことになっています。
一日も早くお仏壇を用意して、御本尊をお迎えしなければなりません。

では、御本尊とはどんなものなのでしょうか。

御本尊


御本尊とは「根本に尊ぶべきもの」ということです。
これは、時代や場所、人によって変わるものではなく、仏教では、最も重要な意味を持っています。

では、浄土真宗の正しい御本尊は何でしょうか。

親鸞聖人は生涯、御名号(南無阿弥陀仏)のみを御本尊となされ、多くのお弟子や同朋たちにもお勧めになりました。
それは、多くのお聖教にも明記されている歴史的事実です。

そして親鸞聖人は私たちにも、御名号を本尊としなさいと教え勧められています。

親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた蓮如上人は、浄土真宗の正しい御本尊をこう教えられています。

他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。
当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり。

(御一代記聞書)

木像」とは、木でできているという意味ではありません。
何であっても、阿弥陀如来の立体像のことを「木像」といいます。

絵像」とは、掛け軸に書かれた阿弥陀如来像です。

名号」とは、南無阿弥陀仏の六字です。

当流」とは親鸞聖人の教え、浄土真宗のこと
他流」は真宗以外の教えのことです。

他流では、名号より絵像がいい、絵像より木像がありがたいと言うが、当流では、木像や絵像よりも、御名号を本尊とするのが最もよい

とおっしゃっています。

この両聖人のご教導に従って、浄土真宗では、もっぱら南無阿弥陀仏の御名号を正しい御本尊とし、お仏壇の真ん中に御安置しているのです。

次に、御本尊の周りには、色々な仏具があります。それぞれどんな意味があるのでしょうか。

仏具の意味

仏具にもたくさんの種類がありますが、ここでは代表的な仏具やお仏花、念珠などの意味を解説します。

お灯明

お灯明は、昔はろうそくでしたが、最近は、電気ろうそくが多くなってきました。

お仏壇には必ず灯す「お灯明」にはどんな意味があるのでしょうか。

仏教を説かれたお釈迦さまは、
大宇宙には数え切れないほどの仏方がまします。その諸仏方の先生が阿弥陀仏である
と教えられています。

阿弥陀仏は、ほかの仏の到底及ばない智慧(光明・お力)を持っておられます。
これを光明無量といわれます。
無量」とは限りのないこと。
無限のお力を持たれた仏さまが阿弥陀仏なのです。
お釈迦さまは、

阿弥陀仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり。(大無量寿経

諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり、光明の中の最明無極なり。(大阿弥陀経)

と讃嘆なさっています。

親鸞聖人は弥陀の光明の働きを、

無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり。(教行信証総序)

と主著『教行信証』の冒頭に記されています。

無碍の光明」は阿弥陀仏のお力のこと。
阿弥陀仏のお力には、すべての人の苦悩の根元である無明の闇(後生暗い心)をぶち破ってくださる働きがあります。
その計り知れな阿弥陀仏の光明を「慧日」といわれます。
天に二日がないように、二つとない智慧の太陽であるということです。

この無明の闇を破る力のある仏は、阿弥陀仏しかおられないのです。

人間に生まれてきた意味も、生きる喜びも知らず、ささやかな楽しみを求めて日暮らしする私たちを、決して消えない真の幸福にする、阿弥陀仏の絶大なお力を示されたお言葉です。

お灯明は、この阿弥陀仏の智慧を表しているのです。

お仏花

お仏壇の向かって左には、季節の美しい花をお供えします。
お仏花にはどんな意味があるのでしょうか。

お花を飾ると、自然と心が和んで、ほっとするように、お仏花は、阿弥陀仏の慈悲を表しています。

阿弥陀仏は、大宇宙のあらゆる仏の先生の仏さまです。
すべての人を永遠の幸せにしてやりたいという弥陀の大きな慈悲の心が、お仏花で表されているのです。

人間にも慈悲の心はあります。
しかし私たちの慈悲は、小慈悲といわれ、3つの欠点があります。

1続かない
2差別がある
3盲目である

ということです。

私たちもかわいそうな人を見た時、その時は、「かわいそうだな」と思いますが、悲しいことにその心は続きません。

また、我が子に対しては深い愛情があっても、他人の子供を同じようにかわいがることができるでしょうか。
どうしても差別ができます。

盲目とは、先を見通すことができないということです。
情けが仇になる」ことがあるように、よかれと思ったことが、かえって相手を苦しめる結果になることもあるのです。

このような欠点だらけの人間の慈悲に対し、仏さまの慈悲は、

1変わらない
2平等の
3智慧に裏づけられた

慈悲ですから「大慈悲」といわれます。

私たちの求めている幸せは、何一つ続く幸せはありません。
ほんの一瞬の線香花火のような、今日あって明日なき幸せです。
常に不安がつきまとい、心の底から満足できるものではありません。

そんな私たち、すべての人を、等しく、未来永遠変わらない無上の幸福にしてみせると誓われているのが阿弥陀仏です。

線香

浄土真宗では、朝夕お仏前で『正信偈』と『御文章』を拝読します。
これを勤行といいます。
勤行をする時に線香をお供えします。

線香は香木や香草を粉にして練ったもので、独特のよい香りがしますが、香りを楽しむためではありません。
私たちの身体のにおいを消すものとして、阿弥陀仏への礼儀に使われるようになったのです。

日常、大事な人に会う時は香水をつけたりして相手に失礼にならないようにします。
まして阿弥陀仏は、私たちを未来永遠の幸福に救ってくださる仏さまですから、最高の礼を尽くすのです。

もう一つ大切な心掛けとして仏教ではこう教えられます。

線香が燃え尽きて灰となるのを、自分が火葬場で焼かれて灰となることに例えてみよ

勤行が終わると、ゆっくり燃えていた線香も一筋の灰となります。
私たちも幻のような一生が過ぎれば、火葬場で一つまみの白骨となるのです。

蓮如上人の書かれた「白骨の章」には、

野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。(御文章)

と警告されています。

どんなに元気な人も、無常の風に吹かれれば、たちまち一つまみの白骨になってしまいます。
忙しい忙しいと死を忘れて過ごしている私も、確実に夜半の煙へ近づいているのです。

生きている時は
これこそ幸せだ、間違いないものだ
と思ってかき集めた金も地位も家族も、一切置いていかねばなりません。
すべての人の行く先が、後生です。
蓮如上人は、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまいらすべきものなり。(御文章)

と「白骨の章」を結んでおられます。

朝晩お仏壇にお供えする線香に、わが身の無常を見つめ、阿弥陀仏一仏に向かわせていただきましょう。

お仏飯・お供物

お仏前には「お仏飯」と「お供物」をお供えします。
最も尊い仏である阿弥陀仏へのお供え物です。

お仏飯は毎朝お供えし、夕方の勤行が終わってからお下げしましょう。
運ぶ時は小さなお盆に乗せ、高く掲げて持ちます。

お供物は、もちや菓子、果物などをお供えします。
肉や魚など殺生したものは避けるのが慣例となっています。

現代人なのか、お仏飯としてコンビニのおにぎりをお供えしていた人がありましたが、「鮭おにぎり」でした。これはよくない例です。
お仏飯は、仏器に盛ってお供えしましょう。

お仏飯やお供物は
讃嘆供養正行」(阿弥陀仏一仏を誉め讃え供養すること)といって、五正行(阿弥陀仏に向かっての正しい五つの行)の一つに数えられます。
心がけて、実践しましょう。

念珠

お仏前で合掌する時、手にかけるのが念珠です。

念珠を持たずに仏さまに向かうのは、仏さまを手づかみにすることになる

と蓮如上人は言われています。

念珠は珠と糸でできています。
珠は「百八の煩悩」を表しています。
欲や怒りの煩悩で、日々煩わされ悩まされているのが私たち。
珠はそのままではバラバラで収拾がつきませんが、糸が通ってきれいにまとまります。

糸とは「信心」を表します。
百八の煩悩も、信心の糸が貫いて初めて、そのまま喜びと転じ変わります。
それを念珠で表しているのです。

浄土真宗の勤行とは?

浄土真宗の方ならば、朝晩、お勤めの時に拝読しておられるのは あの「帰命無量寿如来、南無不可思議光」で始まる、有名な『正信偈』です。

漢字ばかりで書かれていますので、お経だと思っている人がありますが、『正信偈』はお経ではありません。

お経は、お釈迦様のお言葉書き残したものですが、『正信偈』は親鸞聖人の書かれたものですから、お経とは違います。

この『正信偈』には、親鸞聖人90年の教えのすべてが収まっているのです。

正信偈の後は、蓮如上人の『御文章』を拝読します。
朝晩、正信偈と御文章を拝読することは、親鸞聖人、蓮如上人のご説法を親しく聴聞させて頂き、阿弥陀如来の救いにあわせて頂く大切なご縁ですので、欠かさず励行するようにいたしましょう。

浄土真宗の本質を学ぶ

浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。

著者紹介

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生おさなみみずき

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。何とか仏教に関心のある人に知らせようと10年ほど失敗ばかりした後、インターネットの技術を導入し、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者3千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらおうと奮戦中。

仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能