龍樹菩薩(ナーガールジュナ)
龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)はナーガールジュナともいわれる、インドの高僧です。「八宗の祖師」といわれてあらゆる宗派から尊敬され、「小釈迦」とまでいわれます。
また著作も多く「千部の論師(せんぶのろんし)」といわれます。
親鸞聖人は龍樹菩薩を七高僧の一番最初にあげて尊敬されています。
一体どんな人生を歩まれ、どんなことを教えられたのでしょうか?
目次
龍樹菩薩を親鸞聖人が尊敬される理由
龍樹菩薩は、親鸞聖人が七高僧の一番最初に挙げられている方です。
なぜ親鸞聖人は、龍樹菩薩を七高僧の一番最初に挙げられて、大変尊敬されているのかといいますと、親鸞聖人は29歳のときに、阿弥陀如来の本願によって、絶対の幸福に救われたといわれています。
絶対の幸福に救われたというのは、後生の一大事を解決して、未来永遠の幸せになったということです。
わずか50年か100年の肉体の命を助けてもらってさえも、助けてくださった方のご恩を感じます。
ましてや未来永遠の後生の一大事を助けて頂いたのですから、阿弥陀如来の大恩は、身を粉にして報いても足りないという心が起きてくると「恩徳讃(おんどくさん)」に言われています。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
(恩徳讃)
それほどの幸せになったということです。
阿弥陀如来に救われると、身を粉にしても報わずにおれないという「恩徳讃」の気持ちが必ず起きてくるのです。
その次に、阿弥陀如来に救われたらどんな心になるかといいますと、こんなすごい阿弥陀如来の本願を教えてくだされた「師主知識」のご恩も忘れることができないといわれています。
「師主知識」とは仏教を正しく伝えられた先生のことです。
地球上で一番最初に阿弥陀如来の本願を説かれたのはお釈迦さまです。
ところが釈迦は2600年前の方ですから、その釈迦の教えられた阿弥陀如来の本願を正しく親鸞聖人まで伝えてくだされた方のご恩も、骨を砕いても報わずにおれないと言われています。
「もしあの方が教えてくだされなければ、私は救われることができなかった。
教えてくだされた方のご恩を死んでも返さずにおれない」ということです。
その阿弥陀如来の本願を正確に伝えられた7人の方を親鸞聖人は選ばれて「七高僧」といわれています。
その一番最初に挙げられているのが、龍樹菩薩です。
龍樹菩薩とは
龍樹菩薩のことは、中国でも日本でも、「八宗の祖師」といわれます。
天台宗でも真言宗でも、禅宗でも浄土宗でも、あらゆる宗派から祖師と尊敬されている高僧です。
そして小さなお釈迦さまという意味の「小釈迦(しょうしゃか)」ともいわれています。
仏教では、お釈迦さまに次いで2番目に偉大な方が、龍樹菩薩なのです。
龍樹菩薩は、お釈迦さまがお亡くなりになってから700年後、南インドに現れた方ですが、それはすでにお釈迦さまが『楞伽経(りょうがきょう)』にこのように予言されています。
未来にまさに人あるべし。
南天国の中に於て、大徳の比丘ありて龍樹菩薩と名づけん。
能く有無の見を破し、人の為に我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して、安楽国に往生せん。
(楞伽経)
これは、将来、南インドに私の教えを伝える龍樹という者が現れるだろう。
有無の見という外道を打ち破り、大乗無上の法を明らかにして、41段の悟りを開き、死んで阿弥陀如来の極楽浄土に往生するだろう、ということです。
このことを親鸞聖人は、『正信偈』にこうおっしゃっています。
釈迦如来、楞伽山にして、衆の為に告命したまわく、
「南天竺に龍樹大士、世に出でて、悉く能く有無の見を摧破し、大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜん」と。(正信偈)
お釈迦さまは楞伽山で、「衆の為に告命したまわく」というのは、参詣していた聴衆にハッキリ告げられた、ということです。
「南天竺」とは南インドのことですので、南インドに龍樹という者が現れて、こういうことをするであろう、と予言されたのです。
それは、「悉く能く有無の見を摧破し」と教えられています。
「有無の見」とは「有の見」と「無の見」のことです。
「有の見」とは、死後、肉体は滅びても、固定不変の霊魂が存続するという考えです。
ほとんどの宗教はこちらです。
「無の見」とは、死んだら無になるという考え方です。
唯物論は無の見で、現代人に多い考え方です。
仏教以外の宗教はこのどちらかに入りますが、これらは真理に外れた教えですので、仏教では外道といわれます。
真理に外れた教えは多くの人を苦しめることになりますから、その有無の見を龍樹菩薩は生涯にわたってことごとく打ち破り、大乗無上の法を宣説された、ということです。
これを、お釈迦さまが
「龍樹は、すべての外道を徹底的に打ち破り、真実の仏教を明らかにするであろう」
と予言され、果たしてその通りになってきたのです。
このように、お釈迦さまから出現を予言され、八宗の祖師、小釈迦と尊敬されている方が龍樹菩薩です。
ところがそんな龍樹菩薩も若い頃は、確かに頭がよく実行力はすごかったのですが、そんな立派な人ではありませんでした。
龍樹菩薩の若い頃
龍樹菩薩は、お釈迦さまがお亡くなりになって約700年後、南インドのバラモンの家に生まれました。
バラモンというのは、当時の身分の高い祭司のことです。
龍樹は幼い頃から天才的な頭脳を持ち、聞こえてきたバラモン教の四ヴェーダ(四吠陀)を暗唱してしまいました。
やがて天文や地理など、当時の学問のすべてを修得してしまい、もはや学ぶことは何もなくなってしまいました。
そこで次は、どの位欲望を満たせるかを追及し始めます。
龍樹は男でしたので、一番いい女を楽しもうと、3人の友達と、王宮に忍び込みます。
夜な夜な王様の女と遊んでいると、3カ月ほどして王様に気づかれます。
怒った王様は、何百人もの兵隊と待ち伏せます。
そうとは知らずにやってきた龍樹たち一向に、伏兵が斬りかかります。
3人の友達はあっという間に斬り殺されてしまいますが、龍樹だけは刀を使ってはならない王様の近くに身を潜め、命からがら逃げ出すことができました。
ついさっきまで仲良く遊んでいた友達がみんな死んでしまい、
「もし自分が死んでいたらどうなっただろう、人は死んだらどうなるのか?」
と不安に駆られます。
欲望が恐ろしい運命を引き起こすことを知らされた龍樹は、無常と罪悪を見つめ、絶対に避けることのできない死の問題の解決を求めて出家したのでした。
仏門に入られた龍樹菩薩
ところが一度方向転換すると、龍樹はすぐれた人でしたので、どんどんさとりの段階を登って行き、全部で52あるさとりの位のうち、41段に到達しました。
この41段のさとりを「初歓喜地(しょかんぎじ)」とか「歓喜地」ともいいます。
これをお経には「初歓喜地に住して」といわれ、『正信偈』には「歓喜地を証して」といわれているのです。
さとりの中でも一番上の52段が仏のさとりで、ここまでさとりを開かれたのは、地球上ではお釈迦さまただ一人です。
そして歴史上2番目が、41段の龍樹菩薩と、七高僧の2番目の天親菩薩のお兄さんである無著菩薩(むじゃくぼさつ)です。
お釈迦さまを除いては、今日までここまでさとりを開かれたのは、龍樹菩薩と無著菩薩だけです。
龍樹菩薩は、自力で修行して41段のさとりを開かれたのですが、お経の次の「安楽国に往生せん」とか『正信偈』の次の「安楽に生ぜん」の安楽は、阿弥陀如来の極楽浄土です。
阿弥陀如来の極楽浄土には、自力の修行では往けません。
阿弥陀如来のお力によってしか往けませんので、他力です。
龍樹菩薩は、自力で41段までさとったのですが、とても自力で救われる自分ではなかったと知らされて、41段までさとった自力を捨てて、他力によって救われて、死ねば浄土へ生まれる身になった、ということです。
そして生涯にわたって徹底して有無の見を打ち破り、真実の仏教を明らかにされました。
龍樹はものすごく頭が良かったので、ことごとく外道の者はやられてしまい、
そのために恨みを買って、最後は外道の者に殺されてしまったといわれます。
それだけ命をかけて、真実の仏教を私たちに伝えてくだされた、ということです。
では龍樹菩薩は、どんなことを明らかにしてくだされたのでしょうか?
早く助かる方法は?
ある時、龍樹菩薩が釈迦の説かれた『華厳経(けごんきょう)』の講義をしておられると、「軟心の菩薩(なんしんのぼさつ)」から質問がありました。
「菩薩」と聞きますと、弥勒菩薩とか観音菩薩とか非常に高いさとりを開いた菩薩を思い浮かべますが、菩薩にも色々あります。
菩薩というのは、「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略です。
菩提というのは本当の幸せのこと、
薩埵は、求める人のことですので、本当の幸せを求める人を菩薩といいます。
その中でもここで質問したのは「軟心の菩薩」です。
「軟心」とは、心がやわらかいということですから、心がフラフラしているということです。
菩薩といっても、あまり気持ちが強くない菩薩ということです。
ですから本当の幸せを求めているといっても、ほとんどの人は軟心の菩薩です。
その軟心の菩薩の一人が、龍樹菩薩に質問しました。
「諸久堕(しょくだ)の三難があって進めません。
どうすればいいでしょうか。
なんとか早く助かる方法はないものでしょうか」
その時、龍樹菩薩は大きな声で、「何を言うか。そんなことは獰弱怯劣(ねいじゃくこれつ)の者の言うことだ」と、怒鳴りつけました。
「獰弱怯劣」とは、「獰」は悪い、「弱」は弱い、「怯」は卑怯、「劣」は劣っているということです。
そして龍樹菩薩はこう叱り飛ばします。
仏道を求むるは三千大千世界を挙ぐるよりも重し
(龍樹菩薩『十住毘婆沙論』)
『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』とは、龍樹菩薩の主著です。
「三千大千世界」とは大宇宙のことですから、仏道を求めることは大宇宙を持ち上げるよりも重いのだ、ということです。
仏道を求めるというのは、後生の一大事の解決を求めるということです。
1軒のマイホームを建てるのでも大変です。
1軒の家を何十年も働いてようやく建てても、津波が来れば流されますし、マッチ一本で灰になってしまいます。
もちろん死んで行く時には持っていけません。
そんな消えていくものを作るために生まれて来たのではありません。
後生の一大事を解決して浄土往生間違いなしの永遠の幸福の身になるために生まれて来たのです。
それをなんとか早く助かる方法はありませんかなど、とんでもないことだ。
後生の一大事の解決は、大宇宙を持ち上げるよりも重いのだと、その心得違いを叱りつけておられます。
まず後生の一大事の重さを教えられたあと、龍樹菩薩は、
「だがな、世間の道にも色々ある。陸路を歩いて行くような苦しい道もあれば、水路を船に乗っていくような楽しい道もあるように、菩薩の道にも難しい道もあれば、易しい道もある」
と教えられています。
この龍樹菩薩が教えられたことを、親鸞聖人は、『正信偈』の続きの所にこう要約されています。
難行の陸路の苦しきことを顕示し、
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう。
(正信偈)
陸路を歩いて行くような自力の難行が苦しいことを明らかに示され、水路を船で行くような他力の易行が楽しいことを教えられたということです。
信楽というのは阿弥陀仏の救いのことで、絶対変わらない絶対の幸福のことです。
ですから龍樹菩薩は、他力易行の阿弥陀如来の本願を軟心の菩薩に教えられているのです。
では、軟心の菩薩が困っている諸久堕(しょくだ)の三難とはどんなことなのでしょうか?
仏教を求め行くと出てくる疑問
「諸久堕」とは、「諸」と「久」と「堕」の3つです。
1つ目の「諸」とは、悟りを求めるには、諸(もろもろ)の難行をおさめなければならないということです。
なぜそれが問題になるかというと、私たちには煩悩があるからです。
煩悩とは私たちを煩わせ、悩ませるもので、全部で108あります。
中でも私たちを最も苦しめるのは、欲や怒りや愚痴の3つです。
欲というのは、あれが欲しい、これが欲しい、
お金が欲しい、もっと儲けたい、どれだけお金があってもまだまだ欲しいと限りなく求め続けます。
人から褒められたい、悪口言われたくない、人の評価で悩んだり苦しんだりしています。
その欲が邪魔されますと腹が立ちます。
儲けようと思ったのに儲けそこなうと、あいつのせいで損した、こいつがいるために儲けそこなったと怒りの心が燃え上がります。
心の中で誰かれ構わず切り刻んで苦しみます。
腹を立ててもどうしようもない相手には、恨み、ねたみの心が起きてきます。
そしてかげで呪ったり足を引っ張ったりします。
このような煩悩でできているのが私たちですので、仏教を聞いていきますと、煩悩が邪魔になってきます。
軟心の菩薩が「諸」の難を質問しているのは、私たちでいえば、煩悩が邪魔になって真剣に聞けません、と質問しているようなものです。
阿弥陀如来の本願は、煩悩でできた者を救うというお約束ですので、『歎異抄』にも「煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」といわれています。
「煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)」とは、煩悩が燃え盛っているということで、そんな者を救うと誓われたのが阿弥陀如来の本願です。
ところがその本願を信じられないから、煩悩が邪魔になるのです。
求めていくと必ず煩悩が問題になってきます。
諸久堕の「諸」は私たちでいえば煩悩が問題になって進めないということです。
次に諸久堕の2つ目の「久」とは、久しくかかるということで、大変な長時間の修行が必要だということです。
私たちでいえば、どれだけ聞いても聞いてもハッキリしないと、
「どれだけ聞けばいいのだろう。
本当に救われることがあるのだろうか」という心が起きてきます。
これが、諸久堕の「久」です。
諸久堕の3つ目の「堕」とは、「他の人よりまず自分が助かりたい」という自己中心的な心に堕ちかねない、ということです。
これは菩薩にとっては死であって、地獄に堕ちるより恐ろしいと龍樹菩薩は教えられています。
私たちでいえば、「こんなことでは地獄に堕ちるのではなかろうか」という不安な心が起きてきます。
仏教を聞いて進んで行くと、「堕ちてしまうともう取り返しがつかないぞ」という底の知れない不安が出てきます。
これが諸久堕の「堕」です。
軟心の菩薩は、
「このような諸久堕の三難があって進めません。
どうしたらいいのでしょうか?」
と龍樹菩薩に質問しているのです。
龍樹菩薩のお答え
この諸久堕の三難が断ち切られるのが、阿弥陀如来の本願を憶念した時です。
龍樹菩薩はこう教えられています。
阿弥陀仏の本願を憶念することかくのごとし。
もし人我を念じ名を称じて自ら帰すれば、即ち必定に入る。
(十住毘婆沙論)
「憶念」とは救われたことです。
「憶」もおもう、「念」もおもうという字ですが意味が違います。
「憶」は時々思う、折に触れ縁に触れて時々思うことです。
「念」は忘れることなく追い続けることです。
念は「明記不忘(みょうきふもう)」といって手帳に明記して忘れないように、心に明らかに記されて、絶対忘れないことです。
この念があるから憶が出てきます。
ちょうど地下水が流れているところで井戸を掘ると、水が湧くようなものです。
地下水がなければどれだけ掘っても水は湧きません。
この地下水が念で、井戸から湧く水が憶です。
次に「即ち必定に入る」とありますように、阿弥陀仏の本願に救われると、救われた瞬間、「必定(ひつじょう)」に入ります。
「必定」とは、死ねば必ず浄土へ生まれる身のことです。
これが信楽であり、絶対の幸福です。
必定に入るのは、生きている時ですから、龍樹菩薩は、こうも教えられています。
人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、即時に必定に入る。
この故に我常に念じたてまつる。
(十住毘婆沙論)
「この仏の無量力功徳を念ずれば」とは「阿弥陀仏の本願を憶念すれば」と同じ意味で、阿弥陀仏に救われればということです。
「即時に」というのは、一念に、ということです。
「一念」とは、『教行信証』には「時剋の極促(じこくのごくそく)」といわれていますが、何億分の一秒よりももっと短い時間のことです。
阿弥陀仏の救いはだんだん救われるのではなく、一念の救いです。
阿弥陀仏の本願に救われた瞬間、生きているときに必定に入り、絶対の幸福になるのです。
では龍樹菩薩ご自身はどのように救われたのでしょうか?
龍樹菩薩はどのように救われたの?
龍樹菩薩ご自身についても、『十住毘婆沙論』にこう教えられています。
この故に我、彼の仏の本願力に帰命したてまつる。
(十住毘婆沙論)
彼の仏の本願力というのは、阿弥陀如来の本願のお力のことです。
「帰命」というのは救われるということですから、この龍樹も、阿弥陀仏の本願力に救われたといわれています。
自力で41段までさとられた龍樹菩薩でも、とても自力で救われるような者ではなかったと知らされて、この獰弱怯劣の龍樹は、阿弥陀仏の本願に救われたのだといわれているのです。
人類で2番目の41段の悟りを開かれ、「八宗の祖師」「小釈迦」といわれた龍樹菩薩でも阿弥陀仏の本願に救われたということは、41段どころか出家して悟りを求めることもできない私たちは、阿弥陀如来の本願によってしか救われない、ということです。
この龍樹菩薩の教えを親鸞聖人は先ほどの『正信偈』の続きにこう要約されています。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。
(正信偈)
「自然」は、いつとはなしに、ということではありません。
阿弥陀仏のお力によって、ということです。
阿弥陀仏の本願に救われた瞬間、死ねば浄土往生間違いなしの絶対の幸福になれるのだと教えられている所です。
このように親鸞聖人は、もし龍樹菩薩が真実を明らかにしてくだされなければ親鸞救われなかった、
龍樹菩薩が阿弥陀仏の本願を明らかにしてくだされたなればこそ親鸞は救われることができたのだと喜ばれて『正信偈』にほめたたえておられるのです。
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著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。何とか仏教に関心のある人に知らせようと10年ほど失敗ばかりした後、インターネットの技術を導入し、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者3千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらおうと奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。