後悔のない人生・蓮如上人の不足と念願
親鸞聖人の教えを正確に、最も多くの人に伝えられた蓮如上人が、59歳を迎えられたとき、死が近づくことを感じられ、名残惜しいと思われたこと、不足に思われたこと。朝から晩まで念願されたことが御文章1帖目6通に書き残されています。
そして、私たちが後悔のない人生にする方法も教えられています。
それは一体どんなことだったのでしょうか?
目次
御文章1帖目6通・睡眠の原文
「御文章」は、蓮如上人の書かれたお手紙です。
全部で80通ありますが、蓮如上人の私たちを思われるお気持ちがせつせつと語られています。
その中の6番目、1帖目6通がこちらです。
そもそも、当年の夏この頃は、何とやらん、ことのほか睡眠におかされてねむたく候は、いかんと案じ候えば、不審もなく、往生の死期も近づくかと覚え候。
まことにもってあじきなく、名殘惜しくこそ候え。
さりながら、今日までも、「往生の期もいまや来らん」と、油断なくそのかまえは候。
それにつけても「この在所に於て、已後までも信心決定する人の、退転なきようにも候えかし」と、念願のみ昼夜不断に思うばかりなり。
この分にては、往生つかまつり候とも、今は子細なく候べきに、それにつけても面々の心中も、ことのほか油断どもにてこそは候え。
命のあらん限りは、我らは今の如くにてあるべく候。
よろずにつけて、皆々の心中こそ不足に存じ候え。
明日も知らぬ命にてこそ候に、何事を申すも命終わり候わば、いたずらごとにてあるべく候。
命のうちに不審もとくとくはれられ候わでは、定めて後悔のみにて候わんずるぞ。
御心得あるべく候。あなかしこあなかしこ。
文明5年卯月25日書之
少しずつ区切って読んでみましょう。
蓮如上人のご高齢による体調の悪化
まずこのお手紙の日付は、「文明5年卯月25日」です。
これは蓮如上人59歳の頃です。
蓮如上人が当時の平均寿命をはるかに越えて59歳のときに書かれたものです。
「卯月」というのは4月ですが、旧暦のことなので、今でいえば初夏の頃です。
「そもそも、当年の夏この頃は、何とやらん、ことのほか睡眠におかされてねむたく候」
とあります。
当時、室町時代は厳しい時代で、平均寿命は15歳とも言われます。
蓮如上人は、60歳に近づき、平均の4倍近く長生きされているのですが、夏になり、今年の暑さに日中でも眠けを催すようになってきたと言われています。
これは一体どうしたことだろうと考えてみたところ、このように言われています。
「いかんと案じ候えば、不審もなく、往生の死期も近づくかと覚え候」
それは間違いなく、死ぬときが近づいて来たのだろうと思う、ということです。
蓮如上人が残念に思われることは?
自分が無常の風に誘われて、まもなく往生することになれば、「まことにもってあじきなく、名殘惜しくこそ候え」といわれています。
今までご縁のある皆さんに仏法の話をしてきて、もっともっと話をしたかったのに、まことに残念で、名残惜しいことだ、ということです。
「さりながら」だけど、
「今日までも、『往生の期もいまや来らん』と、油断なくそのかまえは候」
いつ自分の最後の日がやってきても、悔いのないように、説法をしてきた。
私自身ももちろん、親鸞聖人の教えによって、いつ死んでも極楽参り間違いなしの絶対の幸福の身に救われた。
そして、皆さんに、こんなことならもっと話をしておけばよかったと後悔しないように、今日まで日々、全力投球してきた。
この蓮如、いつ死んでも悔いはない。
しかし、心配なのはあなたのことだ。
蓮如上人の念願とは?
「それにつけても『この在所に於て、已後までも信心決定する人の、退転なきようにも候えかし』と、念願のみ昼夜不断に思うばかりなり」
それにしても、皆さん仏教を聞いて、信心決定した、絶対の幸福になったと喜んでいるが、その人たちの他力の信心が本物であってもらいたい。
本当に絶対の幸福になれたのであれば、絶対変わらない幸せなのだが、もし崩れるようなことがあれば、それは絶対の幸福になっていなかったのだ。
どうかあなたは、真剣に仏法を聞いて、信心決定のゴールまで聞き抜いてもらいたい。
信心決定して絶対の幸福になれば、死ねば浄土へ往って仏に生まれる身になれるから、ぼやぼやしていないで、早く変わらない幸せの身になってくれよと、朝から晩、晩から朝まで、ずっと途切れることなく、念ぜずにおれないのだ。願わずにおれないのだ。何とか早く聞き抜いてもらいたい。
蓮如上人の不足とは?
蓮如上人自身のことについては、このように言われています。
「この分にては、往生つかまつり候とも、今は子細なく候べきに」
この蓮如は、このように絶対の幸福に救われ、皆さんに全力でお伝えし、できるすべてのことをやってきましたから、いつ死ぬときが来て、往生することになっても、今は何の問題もない。
そして今日も蓮如の話を聞きに集まってこられた方々は、懐かしい顔ぶればかりだ。
だけど、皆さんの顔を見ていたら、それにしても心配になってきた。なぜかというと、
「それにつけても面々の心中も、ことのほか油断どもにてこそは候え」
皆さんの顔を見ていると、まるっきり油断しているのが顔に表れている。
皆さん、死なぬつもりの顔ばかりだ。
必ず死ななければならないのに、しかもいつ死ぬか分からないのに、後生の一大事という大問題を抱えながら、死ぬと言えば他人事。
自分とは関係のないことのように思っている。
「命のあらん限りは、我らは今の如くにてあるべく候」
あなたは今日も死なない、明日も死なないと思っているけれど、それは間違いですよ。
命のある限り、死ぬが死ぬまで自分は死ぬまいと思い続けている。
あなたも臨終になったら分かるけど、それでは手遅れなんですよ。
「よろずにつけて、皆々の心中こそ不足に存じ候え」
何が不足かといって、あなたの心の中こそ不足なことはない。
臨終まで何とかなれると思っている。
あなたの心の中を推しはかるに、とても満足して死んでいけない。
あなたは何のために生まれて来たの?
こうして蓮如上人は、私たちにこのように勧められています。
「明日も知らぬ命にてこそ候に、何事を申すも命終わり候わば、いたずらごとにてあるべく候」
命というのは、いつまであるか分からないのですよ。
人の命ははかないものだから、明日をも知れない露の命をながらえているのですよ。
週末の予定を手帳に書いて計画しているかもしれませんが、今日死んだら、無駄ごとですよ。
今週や来週の仕事の予定を立てているかもしれませんが、今月の目標や、年間目標を立てているかもしれませんが、あと一週間の命となったらやりますか?
明日をも知れない命なんですよ。
仕事をするだけで死んだら一体何のための人生だったのですか?
仕事をするために生まれて来たのですか?
本当の生きる意味は別のところにあるのですよ。
後悔のない人生にするには?
「命のうちに不審もとくとくはれられ候わでは、定めて後悔のみにて候わんずるぞ」
命のある間ですよ。死んだら手遅れですよ。
「不審」というのは、本当の生きる意味が分からない心です。
何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、分からない心です。
「とくとく」とは、早く早くということです。
この心が一刻も早くなくならなれば、必ず後悔しますよ。
こんなことになるんだったら、聞いておけばよかった。
どうして真剣に聞かなかったんだろうと、必ず後悔しますよ。
「御心得あるべく候」
念を押しておきますよ。
何回も言っておきますよ。
くれぐれも気をつけてくださいよ。
このように、蓮如上人は私たちに、早く仏教を聞いて、本当の生きる意味を知ってもらいたいと一日中、念じ続けておられたのです。
では、蓮如上人の教えられたように、信心決定して本当の生きる意味を知るにはどうすればいいかについては、浄土真宗の本質ですので、以下の講座をご確認ください。
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著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。