御正忌(報恩講)の意味
御文章の5帖目11通に、御正忌の御文があります。
浄土真宗の年中最大行事の報恩講でよく読まれますが、一体どんな意味なのでしようか?
目次
御文章5帖目11通・御正忌
「御正忌」とは報恩講のことです。
報恩講は、浄土真宗でとても大切なご縁です。
蓮如上人は、報恩講をつとめられたときに、参詣された方々に、
「あなたがたは何の為に来られたんですか?
報恩講とは何をする日か知っていますか?」
と、私たちが報恩講にするべき一番大事なことをお手紙に書かれています。
それがこの御文章5帖目11通です。
そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、聖人の御前に参らん人の中に於て、信心を獲得せしめたる人もあるべし、また不信心の輩もあるべし。
以ての外の大事なり。
その故は信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり。
されば不信の人も速に決定の心を取るべし。
人間は不定の境なり、極楽は常住の国なり。
されば不定の人間に在らんよりも、常住の極楽を願うべきものなり。
されば、当流には信心の方をもって先とせられたる、その故をよく知らずは徒事なり。
急ぎて安心決定して、浄土の往生を願うべきなり。
これは一体どういう意味なのでしょうか?
親鸞聖人の計り知れないご恩に報いる
まず「そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、聖人の御前に参らん」とあります。
「御正忌」とは親鸞聖人の報恩講のことです。
私たちは、親鸞聖人から両親よりもどんな先生よりも大きい、計り知れないご恩を受けています。
それは、世の中の誰も教えてくれない、本当の生きる意味を教えて頂いたご恩です。
そのご恩の万分の一、億分の一でもご恩返しさせて頂こうということで集まるのが報恩講であり、御正忌です。
「志を運び」とは、お金だけでなく、農家の方なら野菜とかお米とか、お布施を持って来られたということです。
それは何のためかといいますと「報恩謝徳をなさんと思いて」と言われています。
「報恩謝徳」というのは、ご恩に報いるということで、ご恩返しのためということです。
どなたのご恩に報いるのかというと、次に「聖人の御前に参らん」とありますから、聖人のご恩です。
「聖人」というのは、「上人」ではなくて「聖人」です。
蓮如上人が「聖人」と書かれたら、必ず親鸞聖人のことです。
報恩講に参詣された皆さんは、親鸞聖人に志を運んでこられたのです。
報恩講の2通りの参詣者
次に蓮如上人は、「聖人の御前に参らん人の中に於て、信心を獲得(ぎゃくとく)せしめたる人もあるべし、また不信心の輩もあるべし。
以ての外の大事なり」
と言われています。
親鸞聖人の前に参詣されたたくさんの方々の中に、2通りの人がいる、ということです。
「信心を獲得せしめたる人」というのはすでに信心獲得した人。
「不信心の輩」とは、まだ信心獲得していない人のことです。
これを聞いた参詣者の皆さんは、どう思うでしょうか?
「えっ?阿弥陀仏の救いは今ここに届いているんじゃないの?
浄土真宗の人だったら、誰でも無条件で死んだら極楽に往けるんじゃないの?」
とびっくりしたと思います。
煙草を吸わない人に、煙草を吸うなとは言われません。
報恩講に集まってきた人たちは、私は信心獲得していると思っていた人が多かったので、蓮如上人はこのようなことを言われているのです。
現代でも、浄土真宗の人は最初から救われていると思っている人が多くありますが、そうではないのです。
まだ信心獲得していないということは、「もっての他の大事なり」
大変な一大事である、といわれています。
報恩講に集まられた皆さんには、信心獲得している人と信心獲得していない人がいるけど、信心獲得していない人は、大変な一大事ですよ、ということです。
なぜ大変な一大事なのでしょうか?
それは次に記されています。
なぜ信心獲得していないと一大事なの?
次に、なぜなら、
「その故は信心を決定(けつじょう)せずは、今度の報土の往生は不定なり」
と言われています。
「信心決定」は「信心獲得」と同じことです。
「報土(ほうど)」とは、極楽浄土のことです。
誰でも極楽へ往けるわけではありませんよ。
信心獲得していない人は、死んで極楽浄土へは往けませんよ、といわれています。
御文章2帖目2通には、このあたりをもっとはっきり、
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」
と言われています。
信心獲得していない人は、死んだら極楽どころではないので、「もっての他の大事なり」後生に大変な一大事がありますから、こんな大変なことはありません。これ以上の一大事はありませんよ、と言われているのです。
「されば不信の人も速に決定の心を取るべし」
だから、まだ信心獲得していない人も、急いで信心獲得しなさい。
急いで信心決定しなければなりませんよ。
後生は一大事だから、早く信心獲得しなさいよ、と言われています。
この世のありさまを見ても分かります
こうして蓮如上人は、このように言われています。
「人間は不定の境なり、極楽は常住の国なり。
されば不定の人間に在らんよりも、常住の極楽を願うべきものなり」
「人間は不定の境なり」とは、この世は無常の世界ということです。
苦しみ悩みの人生は、好きな事をして、少し幸せだと思っても、すぐに崩れてしまうはかない幸せです。
いつも喜びは一時的で、苦しみばかりがやってきて、最後は必ず死んで行かなければなりません。
蓮如上人は白骨の章に「老少不定の境」と言われているように、年老いた人が先に死んで、若い人が後から死ぬとは決まっていない、いつ死ぬか分からない不安に覆われた人生です。
それに対して「極楽は常住の国なり」極楽浄土は変わらない安心と満足の世界です。
「されば不定の人間に在らんよりも、常住の極楽を願うべきものなり」
そうであれば、そんな不安な人間界の必ず崩れる幸せよりも、早く信心決定して、浄土往生間違いなしの絶対の幸福になりなさい、といわれています。
報恩講で私たちがなすべきことは?
そして、私たちが報恩講でしなければならないのは、このことだ、と言われています。
「されば、当流には信心の方をもって先とせられたる、その故をよく知らずは徒事なり。急ぎて安心決定して、浄土の往生を願うべきなり」
「されば、当流には信心の方をもって先とせられたる」の「当流」とは、親鸞聖人の教えのことです。
親鸞聖人の教えは、信心の方をもって先としておられる、ということです。
親鸞聖人の教えは「唯信独達の法門」といわれます。
ただ信心一つで、後生の一大事を解決できる、ということです。
私たちが人間に生まれてきた本懐は、後生の一大事を解決して、生きてよし、死んでよしの絶対の幸福になることですから、このことを知らなかったら虚しい人生になってしまいます。
信心一つで、本当の生きる意味を果たせるということです。
信心一つで、本当の生きる目的を達成できるといっても同じです。
ですから「先とせられたる」と聞くと、何か後があるのかと思いますが、そうではありません。
「先とせられたる」とはこれ一つということです。
親鸞聖人の教えは、信心一つということです。
だから、「急ぎて安心決定して、浄土の往生を願うべきなり」と言われています。
「安心」とは信心と同じことです。
一刻も早く信心決定して、浄土往生間違いなしの身になりなさい、皆さんが報恩講に参詣された目的は、これ一つですよ、ということです。
私たちが報恩講で親鸞聖人のご恩に報いるときには、親鸞聖人に喜ばれることをしなければなりません。
親鸞聖人に喜ばれるには、親鸞聖人の教えられた通りにするのが一番喜ばれますから、親鸞聖人が一生涯教えて行かれた通り、早く信心決定しなさいと蓮如上人は教えられているのです。
では、どうすれば信心決定できるのかについては、浄土真宗の本質ですので、以下の講座をご確認ください。
浄土真宗の本質を学ぶ
浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。
関連記事
著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。