弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは
弥勒菩薩というのは、菩薩の中でも一番有名な菩薩です。
仏像で有名なのは広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像です。
よく学校の美術の教科書に出てきますので、ほとんどの人が何となく見たことがあります。
その弥勒菩薩の微笑みは、ウルトラマンの口元のモデルになったといわれます。
弥勒菩薩は、別名、慈氏菩薩とか阿逸多(あいった)菩薩ともいわれ、『大無量寿経』にも『阿弥陀経』にも出てくる菩薩です。
一体どんな菩薩なのでしょうか?
弥勒菩薩の出てくるお経
弥勒菩薩は、浄土三部経の中でも、『大無量寿経』と『阿弥陀経』に出てくる菩薩です。『阿弥陀経』では、阿逸多(あいった)菩薩という名前で、祇園精舎に参詣して『阿弥陀経』の説法を聴聞しています。
また、『大無量寿経』では、後半は、弥勒菩薩に対してお釈迦さまは説法をされています。
例えばこのように説かれています。
仏、弥勒に語りたまわく
「それ彼の仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍し、乃至一念することあらん。
まさに知るべし。この人は大利を得と為す。
すなわちこれ無上の功徳を具足するなり」(大無量寿経)
「仏、弥勒に語りたまわく」というのは、お釈迦さまは、弥勒に仰せられた、ということです。
どんなことを説かれたのかというと、「彼の仏」というのは阿弥陀如来のことですから、「彼の仏の名号を聞くことを得て」というのは、阿弥陀如来の完成された名号を聞いて、ということです。
「歓喜踊躍し、乃至一念することあらん」というのは、名号を聞いた一念の瞬間、踊り上がるような大歓喜の身に救われる、ということです。
「まさに知るべし」というのは、よく知るがよい。
「この人は大利を得と為す。
すなわちこれ無上の功徳を具足するなり」というのは、私たちを幸せにする広大な働きのある南無阿弥陀仏の大功徳を頂いて、無上の功徳と一体になるのである、ということです。
菩薩とは
弥勒菩薩は「菩薩」ですから、まだ仏のさとりは開いていません。
菩薩というのは、「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略で、菩提を求める人をいいます。
菩提というのは、仏のさとりなので、仏のさとりを目指して努力している人を菩提薩埵とか、菩薩といいます。
では仏のさとりというのは、どんなさとりかというと、さとりといっても、低いものから高いものまで、全部で52あります。
これを「さとりの52位」といいます。
ちょうど相撲取りでも、下はふんどしかつぎから、上は大関、横綱まで色々あるようなものです。
その下から数えて52段目の、大宇宙最高のさとりを、「仏のさとり」とか、「仏覚(ぶっかく)」といいます。
これ以上は上がありませんので「無上覚(むじょうかく)」ともいいます。
この仏のさとりを開かれた方を仏とか、仏様といいます。
その仏を目指している人を菩薩といいます。
ですから、菩薩というと、地蔵菩薩とか、観音菩薩を思い浮かべる人が多いと思いますが、ほとんど仏のさとりと等しい51段のさとりを開いている菩薩もいれば、まだ1段も仏のさとりを開いていない菩薩もあります。
仏教の目的は、究極的には仏のさとりを開くことですから、この仏教についての記事を読まれているあなたも菩薩ということになります。
悟りを開く難しさ
世の中でよく「さとった」という人がいますが、それは、何かをひらめいたり、気づきを得ただけです。
中には不幸が続いて諦めたことを「人生さとった」という人もあります。
ですが、仏教でいわれるさとりは全然違います。
仏教でいわれるさとりは、一段違えば、人間と虫けらほど境涯が違うといわれます。
ですからさとりの位をのぼって行くには、出家して厳しい戒律を守り、非常に難しい修行をしなければなりません。
よく選挙に出てくるダルマという人形があります。
もともと禅宗を開いた達磨大師がモデルです。
達磨大師は中国の人だと思われていますが、もともとインド出身で、中国に仏教を伝えた人です。
120才まで生きたと言われています。
その達磨は、壁に向かって9年間修行をして、手足が腐って切り落とさねばならないほどだったと言われます。
修行には、苦しみに耐え抜く強靱な忍耐力が必要です。
達磨は怖い顔をしているようでいて、目は怖くありません。
あれは、私たちをにらみつけているのではなく、修行がつらくてくじけそうになる自分の心を見つめているのです。
ですから、見ても怖いような感じがしないのです。
壁に向かって9年間、手足が腐るほど修行をした達磨でも30段程度しか悟れなかったと言われます。
また、中国の天台宗を開いた天台という僧侶がいます。
智顗(ちぎ)という人です。
親鸞聖人は『教行信証』に、頭のいいことにかけては、智顗の右に出る者はいないとほめたたえておられます。
親鸞聖人もものすごく頭のいい方ですが、その親鸞聖人にほめられるのですから、よほどのことです。
そんな智顗でも、出家して戒律を守って一生涯修行をして、11段までしか悟れなかったと言っています。
普通に修行してさとりの位を登って行くと、三阿僧祇劫かかると説かれています。
劫というのは4億3200万年、阿僧祇(あそうぎ)というのは、10の56乗ですから、生まれ変わり死に変わりしながら修行を続けなければなりません。
いかにこのさとりを開くのが大変なことかわかります。
今日まで地球上で仏のさとりを開かれたのは、お釈迦さまただお一人です。
だから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。
弥勒菩薩の悟りの段階
では、弥勒菩薩は、そのさとりの52位のうちで、今どの位のさとりを開いているのかというと、下から数えて51段目です。
これを等覚(とうがく)といって、ほとんど仏のさとりと等しいさとりです。
お釈迦さまは、地球上で私の次に仏のさとりを開くのは、弥勒菩薩だと説かれています。
ですから、弥勒菩薩を「補処(ふしょ)」といいます。
補処というのは、補うところと書きますように、次に仏になることが決まっている人のことをいいます。
だから「補処の菩薩」とか、「補処の弥勒」といわれます。
ですから、平安時代の頃には、弥勒菩薩を信じている人がたくさんありました。
真言宗を開いて弘法大師といわれる空海は、今は兜率天(とそつてん)という天上界で修行している弥勒菩薩のもとへ行って一緒に修行をしたいと思っていました。
また、日本に天台宗を伝えて伝教大師といわれる最澄も、空海に対して
「一緒に弥勒菩薩にあう時を待ちたいですね」
と手紙に書いています。
このように、弥勒菩薩は、現在51段のさとりを開いている、お釈迦さまの跡継ぎですので、多くの人が尊敬しています。
現在でも弥勒菩薩の仏像をおいて、信仰している人があります。
では、弥勒菩薩はいつ仏のさとりを開くのでしょうか?
弥勒菩薩が仏になるのはいつ?
弥勒菩薩は、51段目まで、自力で修行してさとりを開いてきたのですが、もう一段さとりを開いて仏になるのに、あと56億7千万年かかります。
相撲とりでも、ふんどしかつぎの時は、すぐ上に上がれるのですが、大関横綱になると大変です。
それと同じようにさとりでも、上に行けば行くほど一段上がるのが難しくなります。
そして、弥勒菩薩があと1段さとりを開くのに56億7千万年かかるというのは、色々なお経に説かれていることです。
親鸞聖人もこういわれています。
五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし
(正像末和讃)
「五十六億七千万、弥勒菩薩はとしをへん」というのは、弥勒菩薩が仏のさとりを開くまでに56億7千万年かかる、ということです。
ところが親鸞聖人は後半に
「まことの信心うるひとはこのたびさとりをひらくべし」
といわれています。
「まことの信心うるひと」というのは、信心獲得した人のことで、阿弥陀如来の本願に救われた人のことです。
阿弥陀如来に救われると、死ぬと同時に弥陀の浄土へ往って仏のさとりを開きますから、「このたびさとりをひらくべし」といわれています。
阿弥陀如来に救われた人は、弥勒菩薩よりも早く仏のさとりを開けるということです。
親鸞聖人は自らの体験をこういわれています。
親鸞聖人の体験
親鸞聖人は、29才の時に、阿弥陀如来の本願に救われて、本当にお釈迦さまの言われた通りだったと、こう言われています。
真に知んぬ。
弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。
(教行信証)
「真に知んぬ」というのは、信じたのではありません。
火は熱いものだろうと信じているという人はありません。
火は熱いものだろうと信じているのが知っているになるのは、火傷をした人です。
親鸞聖人は、「ああ親鸞、明らかに知らされた」といわれているのです。
どんなことが知らされたのかというと、次に言われていることです。
「弥勒大士」というのは弥勒菩薩のことです。
「等覚の金剛心」というのは、51段のことです。
弥勒は51段のさとりを開いているので、
「龍華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし」といわれています。
「龍華三会(りゅうげさんえ)」というのは、龍華樹という菩提樹の下で弥勒菩薩が仏のさとりを開いてから、最初にする説法のことで、それは56億7千万年後のことです。
「無上覚位」というのは仏のさとりですので、56億7千万年後に弥勒菩薩が仏のさとりを開く、ということです。
弥勒菩薩は今51段のさとりを開いていて、もう一段で仏なのに、その一段上がるのに56億7千万年かかります。
一瞬で弥勒菩薩と同格に
ところが次の「念仏の衆生」というのは、阿弥陀如来に救われた人のことで、親鸞聖人のことです。
次の「横超の金剛心」というのは、他力の信心のことです。
阿弥陀如来に救われた人は、他力の信心を獲得します。
阿弥陀如来の救いに時間はかかりませんので、蓮如上人は御文章5帖目10通「聖人一流の章」に、
「一念発起(いちねんぽっき)・入正定之聚(にゅうしょうじょうしじゅ)」
といわれています。
「一念発起」の「一念」というのは、何億分の一秒よりも短い時間のことです。
限りなく短い時間で、他力の信心が起きますので、一念発起といわれています。
一念に他力の信心を獲得すると「入正定之聚」といわれるように「正定聚(しょうじょうじゅ)」に入ります。
「正定聚」というのは、まさしく仏に生まれるに定まった人達ということです。
正定聚は厳密には、さとりではないのですが、正定聚の人は、さとりでいえば51段だと親鸞聖人はいわれています。
正定聚に住するを「等正覚を成る」とも言えるなり。
「等正覚」と申すは即ち補処の弥勒菩薩と同じ位と成るときたまえり。
(浄土三経往生文類)
正定聚というのは、弥勒菩薩と同格なのです。
弥勒菩薩は、これまでも自力で大変な修行をしてだんだんだんだん悟ってきたのですが、阿弥陀如来の本願に救われると、生きている時に、一念で、51段高飛びするのです。
弥勒と同格ですから、上下はありません。
「おい弥勒、どうだ、しっかりやってるか?」
といえる間柄に、生きている時になれるのです。
たがら親鸞聖人は、29才の時に、正定聚の身になって、
こういうことがハッキリ知らされた
「まことに知んぬ」
といわれています。
弥勒菩薩を超える
ではいつまでも弥勒と同じかというと、そうではありません。
親鸞聖人は「親鸞の方が弥勒よりもずっと幸せなんだ」といわれています。それが
「念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」
ということです。
阿弥陀如来に救われた人は、生きている時に51段高飛びして、弥勒と同格になるのですが、「臨終一念の夕」というのは、死ぬと同時に、ということです。
「大般涅槃を超証す」というのは、仏のさとりを開くのだ、ということです。
「超証」はとびこえてさとる、ということです。
弥勒菩薩はまだ56億7千万年厳しい修行をしないと仏のさとりを開けないのに、阿弥陀如来に救われた人は、死ぬと同時に「弥勒お先ごめん」とすぐに浄土で仏になります。
弥勒菩薩より先に仏のさとりを得て、弥勒の先輩の仏になるのです。
これはまったく阿弥陀如来の本願力によるので、蓮如上人は、「聖人一流の章」に
「不可思議の願力として仏のかたより往生は治定せしめたまう」
といわれています。
「不可思議の願力として」というのは、阿弥陀如来の不思議の本願力によって、ということです。「往生は治定」というのは、浄土へ往って仏に生まれることがハッキリしたということです。
親鸞聖人は
「ああ親鸞は幸せだった、阿弥陀如来の本願の尊いことをこのように知らされた」
「まことに知んぬ」
と言われているのです。
弥勒菩薩と同格になる方法
このように、生きている時に、他力の信心を獲得して、この世は弥勒菩薩と同格になり、死ねば弥勒菩薩より先に仏のさとりを開くには、阿弥陀如来の本願力によって、苦悩の根元を断ち切って頂かなければなりません。
では、その苦悩の根元とは何か、どうすれば断ち切られるのかについては、以下の電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめてありますので、今すぐお読みください。
浄土真宗の本質を学ぶ
浄土真宗の教えの本質、苦しみの根元をメール講座にまとめました。
詳しくは以下のページで確認してください。
関連記事
著者紹介
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。
仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能。