「現代人の仏教教養講座」

 

「浄土真宗」入門講座

浄土真宗の大切な所をわかりやすく解説

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生きる意味を、知ろう。

四苦八苦(しくはっく)とは

四苦八苦」は、世間でもよく苦労するという意味で使われます。
例えば、「お金の調達に四苦八苦した」とか、
今のプロジェクトを進める上で、専門外のことをする必要があって四苦八苦した
などのように、一般的に難しいことや、苦手なことに直面した時に四苦八苦するといいます。
ところが、この四苦八苦はもともと仏教の言葉で語源はお釈迦さまの説かれた8つの苦しみのことです。
そして、これを知らせることが、私たちを本当の幸せに近づけることになるのです。
四苦八苦とは、一体どんな意味なのでしょうか?

四苦八苦を仏教で教えられる理由

仏教では、苦しみを根本から解決して、本当の幸せになれる道を教えられています。
ところが、勢力があるとか、お金があるとか、地位が高いとか、栄耀栄華を極めているくらいの楽しみで「人生バラ色」だと思っていたら、本当の幸せを明らかにされた仏教を聞きたいという気持ちが起きてきません。
そこでお釈迦さまは、そんなお金や地位で勢いがあるくらいで「人生は楽しい」と思ってしまう迷いの深い私たちですので、そんなものは一時的な儚い幸せで、私たちは決して苦しみから逃れることはできないことを教えられているのです。
苦しみから逃れられないことを知らされて初めて、その苦しみの原因を知って、取り除いておきたいという気持ちが起きてきますから、お釈迦さまは私たちを本当の幸せに導くために、私たちの逃れることのできない四苦八苦を教えて「人生は苦なり」と教えられているのです。

ではどのように教えられているのでしょうか?

四苦(しく)とは

お釈迦さまは、人間が生きて行く上で、4つの苦しみから逃れることができないと教えられています。
そのことを親鸞聖人は、『目連所問経』にこう説かれていると『教行信証』に教えられています。

豪貴富楽自在なることありといえども、ことごとく生老病死を免るることをえず。
(教行信証)

この「生老病死」の4つの苦しみを「四苦」といいます。
どんなに勢いがあり、地位が高く、お金持ちで、栄耀栄華を極めていても、生老病死の四苦を免れることはできない、ということです。

四苦」とは、詳しくいえば、「生苦」「老苦」「病苦」「死苦」の4つです。
それぞれどんな苦しみなのでしょうか?

1.生苦(しょうく)

生苦」とは、生きる苦しみです。
生まれる苦しみという人もいますが、それは過去のことで、誰も覚えていないので、お釈迦さまが四苦を説かれた目的からすると、生まれたからには生きるために苦しむことになるので、生きるために味わう苦しみのことです。

生きるには、まずお金が必要になります。
お金を稼ぐために働くと、毎日同じ事のくり返しです。
生きるためには、やりたくないことでも、毎日繰り返さなければなりません
こんなことをして何のために生きているんだろうと思えてきます。

ある程度お金に困らなくなっても、色々な人間関係に苦しみます。
会社で目立たないように上司に言われる通りにしていても、面白くありません。
自分の思いを通そうとすると、目立つので、出る杭は打たれます。
家に戻れば夫婦の人間関係や、子供や親との人間関係など、人数が増えるほど、色々なトラブルが起きてきます。

好きなことをやって生きている人でも避けることはできません。
文豪といわれる夏目漱石でも「知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい」と言っているほど、生きる苦しみはどんな人にも絶え間なくやってくるのです。

2.老苦(ろうく)

そうやって色々なトラブルに対処しながら生きていると、「光陰矢の如し」で あっという間に年をとってきます。
老苦」とは、年老いる苦しみです。
騏驎も老いては駑馬に劣る」といわれるように、若い頃はやり手だった人も、年をとってくると、普通の人ができることもできなくなります。
アメリカの大統領として、かつては国際的に大きな影響力をふるった人でも、年をとって認知症になり、簡単なパズルもできなくなってしまった人もありました。

肌のつやはどんどんなくなり、しわやしみが増え、ルックスは醜くなり、太りやすくなったり、疲れやすくなります。
目も見えなくなり、耳も聞こえなくなり、車の運転も思うようにできなくなってきます。
外から家に帰っても、つい今しがた、自分の財布をどこにおいたかも思い出せなくなってきます。

こうして若い頃は社会で活躍した人でも、長生きすればするほど他人の世話なしでは日常生活もできなくなり、介護してくれる若い者から子供扱いされたり、子供から邪魔者扱いされるようになってくるのです。

3.病苦(びょうく)

病苦」とは、病気の苦しみです。

どんなに健康に気をつけていても、病気になる時はなります。
昨日まで元気に仕事をしていた人でも、病気になると、とたんに働けなくなります。
無理をおして職場に行けば、上司や同僚からうつさないでくれよと、ばい菌のように疎まれます。

虫歯になれば、夜も眠れなくなります。
頭痛で何も手につかなくなるときもあります。

年をとると、身体が弱ってきて、ますます病気になりやすくなります。
若い頃は何ともなかったのに、ある時突然ぎっくり腰で腰痛になり、動けなくなります。

糖尿病になると、最初は自覚がありませんが、加速度的に進行して神経症になったり、腎臓がやられたり、目が見えなくなったりします。
糖尿病は、進行を遅らせるだけで、治ることはありません。
腎臓がやられて人工透析が必要になると、週に何回も病院で高額の医療を受けなければならなくなります。

ガンも最初は自覚がありませんが、日本人の2人に1人はガンになります。
末期になると治すことはできず、大変な苦痛を受けて、死を待つばかりとなります。

4.死苦(しく)

死苦」とは、死ぬ時の苦しみです。
死ぬほど辛いことはない」といわれますが、死ぬ時には心も身体も大苦悩を受けます。
お金や財産、地位、名誉や家族など、今まで成し遂げたり手に入れて、心の支えにしたり、生きがいとしていたすべてを置いて、一人ぼっちで死んで行かなければなりません。
蓮如上人はこう教えられています。

まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。
御文章1帖目11通

いよいよ死んで行かなければならない時には、今まで必死でかき集めてきたお金も財産も、地位も名誉も何一つ頼りにはなりません。
みんな別れて、一人で真っ暗な後生に旅立っていかなければならないということです。

生きるということは、この一番苦しい死に向かって一日一日近づくことですから、死苦は誰も逃れることはできないのです。

八苦(はっく)とは

八苦とは、四苦にさらに4つの苦しみを加えたものを八苦といいます。
七高僧の5番目の善導大師は、主著『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』にこう教えられています。

八苦の中に、生苦・老苦・病苦・死苦・愛別苦を取りて、これを五苦と名く。
更に三苦を加うれば即ち八苦となる。
一つには五陰盛苦、二つには求不得苦、三つには怨憎會苦なり。
そうじて八苦と名づく。
(観無量寿経疏)

八苦とは、生苦、老苦、病苦、死苦の四苦に、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」の4つを加えた8つの苦しみを言うのです。
この苦しみから逃れられる人はありませんから、善導大師は続けてこう教えられ、親鸞聖人も『教行信証』に引用されています。

五苦・八苦等は、六道に通じて受けて、いまだ無き者はあらず。
常にこれに逼悩す。
(観無量寿経疏)

四苦八苦は、六道輪廻している迷いの衆生で受けない者はなく、常に追い詰められて悩まされている、ということです。

では、八苦のあと4つの苦しみは、それぞれどんな苦しみなのでしょうか?

5.愛別離苦(あいべつりく)

愛別離苦」とは、愛するものと別離する苦しみと書くように、好きな人を失う苦しみのことです。

浄土真宗の3代目の覚如上人は『口伝鈔』にこう記されています。

人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり。
(口伝鈔)

愛別離苦は、八苦の中でも、最も切なく、身に染みる苦しみなのです。

素敵な人との出会いは胸がときめきます。
ところが、会うは別れの始めといわれて、ときめく出会いは、別れの第一歩です。
いろいろな人と出会いますが、出会いっぱなしという人はありえません。
出会いの数だけ別れがあります。
こんにちは、赤ちゃん」という日があっても、必ず別れる日が来ます。

愛する人を失うというのはどんな人にとっても生木を引き裂かれるような苦しみです。

あんまり失っても悲しくも辛くもない場合は、自分にとってあまり大切な存在ではなかったからです。
愛していればいるほど別れが辛くなります。

これは人だけではありません。
私たちが大事にしているお金や財産もそうです。
手にいれた瞬間から、もう必ず手放すことに定まっています
自分のたてた家が、地震で崩れたり、火事で燃えたり、だんだん古くなって、雨漏りがして朽ち果てていきます。
せっかく築いた地位も定年退職で降りる日がきます。
才能や若さ、記憶力も、視力や聴力も、だんだん衰えて、最後は最も愛している自分の命を失わなければならないのです。

6.怨憎会苦(おんぞうえく)

怨憎会苦」とは、怨み、憎むものと会わねばならない苦しみです。 私たちは会いたい人にはなかなか会えませんが、会いたくない人にはばったり会います。
周りのすべての人から好かれている人はありませんので、誰しも苦手な人や相性の悪い人があります。
小さい頃から、嫌なクラスメートやいじめてくる人があります。
上司や同僚で考え方の合わない人がいても、会社で働いていれば、毎日会わなければなりません。
同じ部屋の空気も吸いたくないという人もあります。

中には、「結婚する前は一番好きだったのに、結婚したら一番嫌いな人になった」と驚いている人もあります。

私たちは一人で生きて行くことはできませんから、必ず人の集まりの中で生きています。
一人一人利害も異なりますし、必ずうまくいかない人とも一緒に生きていかなければならないのです。
そして、やがて誰も会いたくない、老いや病と会わねばならない苦しみ、最後は一番会いたくない死と会わなければならない怨憎会苦がやってくるのです。

7.求不得苦(ぐふとっく)

求不得苦」とは、求めているものが得られない苦しみです。

私たちは何かを求めて生きています。
一番求めるのは、お金です。
お金を求めて生きています。
あるいは異性を求めて生きています。
あるいは名誉求めて生きています。 ノーベル賞を目指している人は、名誉を求めて生きています。
このように、生きているということは、何かを求めています。

ところが、求めているものは、簡単に手に入りません。
ノーベル賞は、簡単にもらえません。
好きな人は、簡単に手に入りません。
得られずに苦しみます。
どうしたら手に入るのだろう、と苦しみます。

たとえ小さな目標を達成しても、喜びは驚くほど一時的で、すぐに次の目標が出てきます。
どこまで行っても、これで得られたというゴールはありません。
死ぬまで何かを求め続けます

そして最後は「もう少し生きていたい」と求めながら、得られずに死んで行くのです。
このような、求めているものが得られない苦しみが求不得苦です。

8.五陰盛苦(ごおんじょうく)

五陰盛苦」とは、五陰が盛んなるが故の苦しみです。
五陰盛苦」の「五陰」は五蘊と同じで、心身のことです。
五陰盛苦」は 心身が盛んであるがゆえの苦しみで、これまでの7つの苦しみは心身が盛んであるから起きてきたものです。
これまでの7つの苦しみをまとめてしめくくられたものです。

この生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦は、生きている限り、なくすことはできません。
ですから仏教によってなくすことができる苦しみは、この四苦八苦ではないのです。
では、お釈迦さまがなくそうとされているのは、どんな苦しみなのでしょうか?

苦しみの根本原因は?

仏教では、私たちは人間として生まれ、80年か100年生きて死んで行くだけではありません。
それは肉体のことであって、本当の私というのは、過去から現在、また未来へ続いて行きます。
これを「三世(さんぜ)」といいます。

三世とは、過去世と、現在世と、未来世の3つです。
過去世とは、私たちが人間として生まれる前の世界です。 現在世とは、人間に生まれてから死ぬまでです。
未来世とは、死んだ後です。
後世とも後生ともいいます。
世間では、よく人が死ぬことを「旅立つ」といわれます。

肉体なら生まれてから80年くらいで終わりですが、それでは終わらない永遠の生命があって、過去世から現在世、未来世と流れているのです。
人間に生まれている間は通過点に過ぎません。
現在世は、永遠の生命のごく一部です。
平均寿命が伸びて100年間というと、長いように思いますが、何億兆年の長さと比べたら、一瞬です。
私たちの一生は、あっという間の瞬間です。

四苦八苦というのは、人間に生まれている間だけの苦しみですので、木でいうなら枝葉です。
それらの根っこにあたる根本苦というものがあります。
木の根っこがあって、幹があって、そこから枝葉がしげるのです。

四苦八苦は枝葉ですが、それをしげらせている根っこにあたる根本苦があって、ここを断ち切らないと苦しみをなくすことはできません
その根本苦というのは、三世を貫いている苦しみです。
過去世から未来世へ貫いて苦しめているものです。
これを蓮如上人は、『御文章』に「過去・現在・未来の三世の業障(ごうしょう)」といわれています。
業障というのは、業のさわりということで、苦しみの元です。
この三世の業障が、私たちの苦悩の根元なのです。

苦しみの根元がなくなると?

三世を苦しめる苦しみの根本と、人間に生まれている間だけ苦しめる四苦八苦とでは大きさ、深刻さが全然違います。
ですからこの苦しみの元が、生きている時になくなれば、四苦八苦はそのまま、絶対変わらない絶対の幸福になれます。

それを教えられたのが、
生け花や 浮き世の水にだまされて
 花は咲けども 実らざりけり

という歌です。
生け花」は根っこのない花です。
生け花は水にさしておけば、だまされて花は咲きますが、実は結びません。
浮き世の水」というのは、生まれてから死ぬまでの肉体のことです。
私たちは肉体がある限り、肉体にだまされて四苦八苦はなくなりません。
ですが、苦悩の根元が断ち切られていれば、実らないということは、死んだ後、その苦しみは続きません。
仏教を聞いて、阿弥陀如来の本願によって苦悩の根元を断ち切られると、未来永遠の幸せになれるのです。

では私たちの苦悩の根元とは何か、どうすればそれを断ち切られ、生きている時に絶対の幸福になれるのかについては、以下の小冊子に分かりやすくまとめてありますので、今すぐお読みください。

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著者紹介

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生おさなみみずき

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部にて量子統計力学を学び、卒業後、仏道へ。仏教を学ぶほど、その深い教えと、それがあまりに知られていないことに驚く。仏教に関心のある人に何とか本物の仏教を知ってもらおうと10年ほど失敗ばかり。たまたまインターネットの技術を導入し、日本仏教アソシエーション、日本仏教学院を設立。著書2冊。通信講座受講者4千人。メルマガ読者5万人。執筆や講演を通して一人でも多くの人に本物の仏教を知ってもらえるよう奮戦中。

仏教界では先駆的にインターネットに進出。メールマガジンや、X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)、インスタグラム(日本仏教学院公式インスタグラム)で情報発信中。先端技術を駆使して伝統的な本物の仏教を一人でも多くの人に分かりやすく理解できる環境を作り出そうとしている。メールマガジンはこちらから講読が可能